1.さようなら、中学生活

 教室中には浮足立った雰囲気が漂っている。泣いたり笑ったり感傷に浸ったりと、皆がそれぞれのやり方で今日までの3年間の日々を振り返っている。あちこちの机に中学校の卒業アルバムの寄せ書きページが開いて置かれていて、それぞれ書き込んだり見せ合ったりしている。中には胸ポケットにさした花を交換したり、引きちぎったブレザーのボタン痕を指さしてからかい合ったりしている。


「暸一は、このあとどうすんの?」

「このあとって?」

「俺らカラオケでも行こうかって話してて」


 学年の半分ぐらいは地元の公立高校に進学する。残りが、就職か専門学校もしくは少し離れた高校に進学する。僕に声をかけてきたのは、地元進学がほとんどのグループで、二人だけ専門学校に進学を決めていた。


「このあと叔父さんに挨拶に行くから参加するのは難しいかも」

「ああ、秦が下宿する先の叔父さんか。挨拶の後、出てこれないの?」

「片道三時間ぐらいかかるから、戻ってくるの遅くなるんだ」

「遅くてもいいから戻ってきたら連絡しろよ」


 僕は地元からかなり離れた公立高校に進学する。半年前に父親の海外赴任が決まり、両親そろって渡米することになったのだ。一緒に留学しようと父親にはそれはもう強く説得されたけれど、僕は日本に残ることにした。母も残ると言ってくれたが、学生時代には留学したり、結婚前は年に一度は海外旅行をしていた母だ。本音では海外生活をしたいだろうと、その申し出を断り、寮がある高校を中心に受験した。合格した学校の中で、叔父の家から通える公立高校を選んだ。

 叔父のことはずっと避けてきたし、日本に残ることも叔父の家に下宿することも僕自身で選んだこととはいえ、どうしてこれを選んだのか我ながら不思議だ。初めて両親に相談されたときは、日本でも海外でもどちらでもよかった。両親は一緒に来てほしそうだし、最初はしんどいだろうけれど、将来のために留学してもいいかなと思ったぐらいだ。

 すぐに答えようとしたら、母親によく考えてと言われて、考えていくうちに残ろうと思ったのだ。


「しかし、暸一から話聞いたときは本当驚いたぜ」

「いまだに信じらんない」

「俺も。あの秦暸一がわざわざ日本に残って、叔父さんの家に下宿して通うとかね」

「暸一がお父さんの海外行きの話し始めたときは、てっきりついていくんだなって思った。暸一たしか英語成績いいし」


 みんながうんうん、と頷いている。


「面倒くさくないほうを選ぶとは思ったけど、どっちも面倒くさそうだし」

「将来のことを考えたら、留学選びそうだし」

「暸一は俺たちのことも気にせず、あっさりそっち選ぶと思ってたよ」

「俺たちと離れがたいとか、そんなこと、暸一が選択肢にいれるわけないだろ」


 友達の発言とは思えないような内容で、僕をそっちのけでみんなで盛り上がっている。

 自分でも自分らしくない選択だと思うので、反論できない。たしかに、普段あまり物事に執着しない。友達には申し訳ないが、人間づきあい含め何事も広く浅い関心しかない。居心地が悪くなければ、それでいい。

 服装で言えば、おしゃれがよく分からないので、友達と遊ぶときは制服。制服以外だと、着心地良さそうなショップのマネキンの上から下までをそのままセットアップとして買ってあるのでそれを着ている。

 髪型はくるくるの天然パーマで、パーマ用のムースを使ってなんとか整えてはいるがカットは自分で適当にたやっている。くるくるして多少おかしなカットになっていても気がつかないだろうし、僕としてはだらしなく見えなければそれでいい。


「しかし、ずるいよな。叔父さんの家、田舎とはいえ大きいんだろ?」

「暸一って実はお金持ちだったのかよ」

「いや、お金持ちじゃないよ。東京からは離れてるけど田舎でもないし。たしかに叔父さんの継いだ家はお屋敷レベルだけど、その屋敷だってやばいぐらい古いうえに維持するだけでぎりぎりで、お金はないらしい」

「お化け屋敷系? それはそれで面白そうじゃん」

「小さいころから行ってないから、今がどうなのか分からないけど。覚えてるのは、なんか猫がいっぱいいたなぁってことだけ。猫屋敷って呼んでたぐらい」


 ぼんやりと覚えているのは、広い屋敷のそこら中に猫がいたこと。自由に出入りしていたから野良猫だと思うが、どの子も綺麗な毛並みだった気がする。ほかにもなんか変な物がいたような気がするのだが、思い出せない。何せ、保育園を卒業したぐらいから叔父のことも屋敷のこともずっと避けてきた。なんとなく怖くなったのだ。父の実家だが、正月ですら近寄らなかった。

 叔父さんの猫屋敷の話をしているうちに、ぎりぎりと頭の芯が痛み出した。物心ついた頃からたまに襲ってくる、もはやお馴染みの頭痛だ。目のかすみや耳鳴りがないだけ今日はましな方だろう。目のかすみや耳鳴りがあるときは、見間違いや聞き間違いがひどくなる。誰かいると思って話しかけたり、周囲の話に返事をしていたら誰もいなかった、ということもざらだ。小学校低学年の時はそれこそ、なにかの病気かと調べたり薬を飲んだり色々したが、とくに良くも悪くもならず今まで来ている。

 痛みをごまかすために、天然パーマの髪をわしわしといじりながら友人の話に適当に相槌を打った。


「遊びに行くから、落ち着いたら連絡しろよ」

「おい、暸一から連絡が来るわけないだろ。こいつの受け身っぷりは思い知らされたじゃないか」

「そうだった。じゃあ、しつこく連絡するから必ず俺らをお屋敷に招待しろ」

 お屋敷に招待ってやばくね、とみんながげらげら笑っている。

「分かったよ、約束する」


 教室では卒業式が終わったというのにまだ泣いている子がいる。片っ端から写真を撮りまくっているやつもいる。すれ違い際にいろいろなクラスメイト達と記念に写真を撮ったり言葉を交わしながら、校門に向かった。中学生活は広く浅く付き合ってきたからか、予想外に大勢が名残惜しんでくれる。でもこれで卒業。きっとほとんどの奴とはもう二度と会うこともないだろう。そう思うと確かに淋しさはある。名残惜しい感じもしないでもない。でもその淋しさや名残惜しさは友人達が抱いているだろう気持ちとはなんとなく温度差がある気がした。みんなが感じていそうな、それこそうっかり泣きそうな感動的な何かは、僕の胸にはない。中学生活は楽しかった、と思っているのに不思議だ。




 校門付近では、大きい旅行鞄やスーツケースとともに正装した両親が待っていた。ライトグレーのパンツスーツのふくよかな母と、出勤の時とは違う、シルバーのネクタイを締めた細面で眼鏡をかけた父。一緒に歩いていた友人たちの家族も合流して、挨拶合戦が始まる。

 友人たちはよくうちにも遊びに来ていたので、お世話になっただの、おばさんのマフィンが食べられないのが淋しいだの、日本に残す息子をよろしくだのと晴れやかなトーンで目まぐるしく会話が飛び交い、また写真を撮り合う。僕は軽く微笑んで突っ立っていた。中学最後の日だというのに、じわじわと頭痛がひどくなり、微笑むのが精いっぱいだった。


「暸一、もしかして痛むのか?」


 みんなと別れ、僕の引っ越し荷物第一弾をタクシーに詰めて乗り込むなり、父がそう言った。うまく微笑んでいたつもりだが、ばれていたらしい。助手席から僕の顔をのぞいている。僕は髪をわしわしといじりながらうなずいた。


「ひどいなら一旦家で休んで、様子を見ようか」

「大丈夫。一応薬も持ってる」


 薬が気休め程度にしか効かないことは両親も僕も分かっている。なにせもう十年近くこの症状とは付き合ってきたのだ。

 僕が諦めのため息をつくと、母が勢いよく僕の肩を抱いた。衝撃で頭がずきりと痛み、思わず顔をしかめた。


「卒業の勢いで行っちゃった方が、この子も気が楽なんじゃない?」


 卒業に勢いなんてないと思うが、突っ込まないでおいた。母は豪快でがさつに、父に言わせると太陽の様な明るさを振りまきながらそう言った。頭痛に襲われている僕にとっては、夏の太陽のように暴力的に思える。

 心配しすぎる父と豪快に励ます母に連れられタクシーで二十分ほど走ってたどり着いた駅で、新幹線に乗る。ここから二時間弱乗るので寝てしまうことにする。甲斐甲斐しく自分のジャケットを僕の膝にかけてくれた父に微笑んで見せてから、僕は目を閉じた。



 気づいてすぐにこれは夢だと分かった。

 なぜなら僕は五歳で、わくわくと猫屋敷の庭を走り回っていた。

 磨きこまれた木の縁側から飛び降りた先は手入れの行き届いた庭で、猫が5、6匹いる。父方の実家だが、いつ行っても猫が入り浸っているお屋敷だったので、近所の人たちはもちろん僕も猫屋敷と呼んでいた。

 猫屋敷には、猫だけではなくたくさんの人が出入りしていた。でも子供はいなかったし、大人たちも忙しそうだったから僕はいつも通り『友達』と遊んでいた。

 友達の顔がはっきりと分からない。顔が分からないのにその子が僕の友達なのが分かるあたりが、夢っぽい。

 いつも通り友達と猫たちで遊んでいると、相変わらず顔が見えないが友達が楽しそうに笑った。友達が笑った拍子に右目が閉じ、上下に分かれていたあざがつながり、細長い島のような模様があるのが分かった。本州のようなあざだ。

 そのあざには見覚えがある気がする。

 どこまでが夢なんだろう。こんな友達がいた記憶はない。

 顔が分からないのに、そのあざだけがよく分かる。

 夢の中で友達は薄い水色の平安貴族のような恰好をして、僕の手を引いている。歴史で習った狩衣、というやつだ。

 そのうち、いつの間にか祠が見えてきた。屋敷の裏手にあり、木製の小さなものだがいつも丁寧に手入れされていて、子供ながらにこれが特別な何かだと知っていた。僕は友達の手を放したくないのに、その祠が怖くて仕方がなかった。

 悪いことが起こる、と全身が訴えている。

 でも僕は友達と一緒に祠の向こうに飛び込もうとしている。

 祠の向こう?

 祠の向こうにあるものを、僕は知っている?

 祠に飛び込んだと思った次の瞬間、ひどく冷たい顔で僕らを見下ろし睨む叔父の顔が浮かび、楽しかった場所が見知らぬ恐ろしい場所に変わってしまった。濃い靄に囲まれて視界が狭まっていく。

 いけない、これ以上はいけない――――。


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