現を抜かすは世の常ならず

第一章 

プロローグ 望月の独り言

「おい、聞いたか。秦家はたけの鬼子が屋敷に住むらしいぞ」

「あそこはもう渡し守わたしもりはいなかったよな」


 今日も暇だな、と最近増えてきた顎の下の肉をさすりながらぼんやりしていると秦家の話になっていた。

 ここ数年、この窓口は暇になってしまった。地域の集会所の一室で、ぼんやりと大人たちが事務机に座り、仕事をしている風を装って噂話をしている。何人かの机のPCは電源すら入っていない。古いけれど磨かれている木のタイルの床、大きな窓は開け放たれていて春の気配を感じる空気が室内に満ちている。暇なだけではなく、平和な雰囲気で気を抜くとあくびが出そうなほどだ。

 ここは、町の寄り合いか地元民の集まりのように見えるだろうが、違う。表立っては存在していないある組織の、依頼受付の窓口だ。

 普通は目に見えず、対処できないようなイキモノを扱うのがこの組織の仕事だ。あやかし、だとか化け物だとか、神だとかそういう扱いをされるようなイキモノ。

 この地域で最も強力な力を持っていた秦家の前当主が亡くなってから、この窓口では難しい依頼は受けられなくなった。おかげで、窓口を担当している、『カラス』と呼ばれる私たちは暇だ。

 暇な分、情報入手には余念がない。


「秦家と仲が良かっただろ、望月」

「そうですねぇ。もともと私はじゃなくてですから」


 そうは言っても、当然人手不足の組織からは今も『目』の仕事が回ってくる。

 対応できないだけで、この地域に何もイキモノ事案が発生しないわけではない。なにせ、この地域には、イキモノが住む常世と人の住む現世をつなぐ『門』があるのだ。今月などは半分以上が『目』の仕事だった。イキモノやそれに対処しうる力がある人を見極められるというだけの『目』だというのに、人使いが荒い。本来は監視やスカウトが仕事なのに、最近は現場の補助まで回ってくる。力を持ち、対処にあたる『渡し守』などは、目の回る忙しさに違いない。

 三十後半、というか四十歳が見えてきたおじさんとしては、のんびり働きたい。自分でおじさんなんて言ってしまうと、ぐっと年を感じてしまう。それもあの秦の若君と付き合うようになってからより感じる。あの人は三十にもなるのに、二十歳のころと変わらないイケメンぶりなのだ。自分と違いすぎて、嫉妬もできない。


「じゃあ望月さんは、門の監視も含めて秦と付き合ってるんですか」

「付き合うって言ったって、若い頃の話ですよ。もう十年ぐらい昔ですから。今は確か弱いながらも力を引き継いでいる先代の末息子が後を継いで屋敷に住んでいて、先代が懇意にしていたイキモノと契約もしていたはずですよ」

「鬼子は現当主の遠縁だっけ」

「いえ、甥ですね。先代の長男の一人息子が鬼子です」

「鬼子はどんな子か知ってる?」

「私は知りませんよ。あの神隠し騒動の時は見えるだけのでは役に立ちませんでしたから、呼ばれもしませんでした。封印が施せるか他所のが行ったはずです。私はその子が生まれるころにはすでに秦との付き合いはありませんでしたし」


 十年ほど前に神隠し騒動があってから秦一族は監視対象になっている。そのため『目』の仕事の一環で、今や先代の末息子と月に数回は秦家の猫屋敷で将棋を指す仲なのだが、それをここで言うつもりはない。

 秦家がいにしえから管理していた常世と現世の門は、今の秦家に管理する力も術もないため、組織によって強く封印されている。だが歴史ある場所の持つ力は強い。しかも先祖返りという表現がぬるいほどの子供が秦一族にはいる。そちらの方は担当していないが、まさに鬼子という感じらしい。鬼子の本来の意味、親に似ていないとか、人として異形であるわけではない。ただ、人としては信じられないほど常世に馴染み、ありえない力を持っているらしい。まさに、文字通りの鬼の子ではないかというわけだ。

 だが、あの末息子は温厚で優しい人間だ。整った顔立ちで、和服を好み、時代が時代なら若君、とでも呼ばれていそうな雰囲気がある。私が内心そう呼んでいると言っても、彼を知る人なら納得してくれるに違いない。

 彼はたしかに一人で渡し守ができるほどの力はない。だが場が清まるような不思議な気配がある。長年付き合ってきた情もある。組織から命じられれば彼についての報告をするし、仕事を頼むこともあるが、そうでないのならこちら側に巻き込まずに放っておいてやりたい。

 組織はこの世界のバランスを保つにはもちろん必要だが、時に法外な強硬手段をとることもある。そういったことには関わらせたくない。


「しかし、鬼子は今や何も覚えてないんだろ?」

「覚えてないどころか、何も感じないらしい」

「じゃあ、戦力にはならないか」

「おい、子供を戦力になんてそんなこと言うな。子供は子供らしく過ごすべきだ」


 ぼんやりと聞いていたが、つい強い口調でそんなことを言ってしまった。


「望月、怒るなよ。戦力って何も、渡し守として最前線で、なんてことを考えてたわけじゃないさ」

「ただ、そのちょっとばかり手伝ってくれたらなって」

「そうそう、仕事が増えれば給料も上がる」

「うちの窓口に危ない依頼なんて来ないわけだし」


 同僚たちはすまなそうに言い訳し始めている。

 同僚たちに悪意などないことは分かっている。とくに今ここにいるのは『鴉』、何の力も有さず、知識があっても見ることもない人たちだ。イキモノたちの怖さを本当には理解できない。

 そして、イキモノや人が命を落としていくのを実感することはない。

 それに実際、『渡し守』の中には、小学校に上がる頃から働いている子もいる。秦家と違い未だに力を維持している旧家や、力を持たない親が力を理解できずに捨てられた子供なんかもだ。強い力を持つ子供たちは、早くからイキモノたちや常世を理解することが、本人たちを守ることにつながる。だから、組織の人間は子供が働くことに関して、感覚がマヒしている。働いているというより、家業を手伝わせている、そんな感覚なのだ。

 だが、亡くなった秦の先代はそのことに反対していた。

 子供を守るのは大人の仕事で、身を守る術は現場に出なくても学ぶことはできる。渡し守になるかどうかを、子供たち自身が選択してから初めて仕事に出ればいい、そう言っていた。幼いうちから命のやりとりをするような仕事に子供たちを同伴していくのは間違っている、そう言っていた。時に子供が危ない仕事に駆り出されると知り、依頼をかけ持ってでも阻止することもあった。


 強く、聡明で、毅然とした美しさがある女性だった。


 そして、大人になった若君を見ていると、その判断が正解だったと思える。

 人それぞれ背景や、事情がある。だから、何が正解とは言い切れないことだとは理解している。

 でも、やはり子供は子供らしく生きていてほしいと思ってしまう。それは私のエゴだ。だが自分以外の命や、世界の理なんて重いものに責任を持つのは大人の仕事でいい。凡人ながらも凄惨な現場を何度か見ているとやはりそう考えてしまう。

 それに、先代の亡くなり方、そのときの組織の対応にも未だに納得ができない部分がある。

 私はいつから組織に懐疑的な思いを抱くようになったのだろう。

 気がつくと、随分と厳しい顔をしていたらしい。同僚たちが気まずそうに黙り込み、ちらちらとこちらを見ていた。


「分かってますよ、皆さんがちょっと言っただけってことは」


 そう言った途端に、皆が安堵した顔をする。思わず笑ってしまった。


「望月は、いつもにこにこしているから、黙り込むだけで怖い」


 いつもにこにこしているわけではないのだが、ここ数年体が平均よりふくよかになってからよく言われるようになった。まぁ、感じがいいというのだから反論はしないけれど。


「こういうタイプの方が怒らせると怖いんだ」

「でもまぁ、俺たちも悪かったよ。望月さんの言うとおりだ。子供は簡単だとしたって仕事なんかせずのびのびとしてたほうがいい」


 この話は止めてお茶にしましょう、と言うとみんな喜び勇んでお菓子やら飲み物やらを持ち寄る。それぞれの椅子を応接スペースに移動させて円座になる。今までだってろくに仕事なんぞしていなかったが、休憩、と思うとより楽しい気持ちになるようだ。

 輪に加わろうとすると、窓から鳥が入ってきて目の前でホバリングする。手の平を上にして差し出すと、鳥は折り紙に変わり手の中に落ちた。式神だ。翼の文様でどこからのものかわかる。


「望月さん、それって」

「笠雲からの指令ですね」

「笠雲って、組織の取締役会だよな?」

「初めて見た」


 みんな顔を青くしてこちらを見ている。折り紙を開くとひどく簡素な文章で、一週間後に秦家に行き、鬼子と接触せよ、と書かれていた。

 思わずため息をついた。


「おい、望月、大丈夫なのか。その、なにかまずいこととか」

「いえいえ、としての仕事の指令が来ただけです」


 そう言って、鳥だったその紙に息を吹きかける。その瞬間灰になって崩れてしまった。受取人以外は読めないし、受取人が息を吹きかけると了解されたとみなして、破棄される術が組み込まれている。

 同僚たちは、ほっとしたようにまた休憩に戻る。『笠雲』から末端の人間に直接通知が送られてくるなんて、普通粛清やら罰則やら不穏な通知以外ありえない。粛清の前に通知なんて、来るだけましなのだが。

 とにかく、これはそれだけ組織が関心を寄せているということだ。

 何かあった時に私は、彼を守り抜くことができるのだろうか。あの先代のように。

 当時はたいして付き合いのなかった一族なのに、今や勝手に託されたような気持になっている。

 なんにせよ、今は従うしかない。

 気持ちを切り替えてまんじゅうを手に、みんなの輪に加わった。

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