第4話

「アドラメレクのこと」


 笑顔から一瞬にして、陽の表情が硬くなった。


「正確に言うと、『陽が名付けた、アドラメレク』のこと、ね」


 聞きたいことがたくさんあるが何から質問していいのかわからないのだろう、徒らに口をパクパクしている陽を押しとどめ、恵流は説明を続ける。



「結論から言うとね、あいつは確かに存在した。被害にあったっていう人がこっちの世界にも居て、陽のあの放送、こっちでも一部で騒ぎになったの。ほら、昔はあんなふうに個人で情報拡散なんて、絶対に出来なかったわけじゃない?」


 不安気に、食い入るように聞いている陽に、恵流は頷いてみせる。


「でも、多くの人にいっぺんに周知された挙句に、名前まで付けられた。それが、本当に良かったの。それまではぼんやりした噂レベルだったものが、名前が付くことで、あいつの存在が確定した。恐れることの出来る、語ることの出来る、” 対象 ” になった」


 励ますように、恵流は陽の手を強く握る。


「ぼんやりとした恐怖には、怯えるばかりで何も出来ない。でも、確かな ” 対象 ” になら、” 対策 ” をとる事が出来る。今、その対策がどんどん進んでる。さっきもちょっと言ったけど、情報がたくさん出てきてまとめ上げられ、あいつの罠が暴かれて、それぞれが警戒し始めてる。もちろん、その情報を知って自らあいつに接触しようとするお馬鹿さんもいるんだろうけど……それはもう、自業自得だからしょうがないね」


「じゃあ……」


「うん。陽のしたことは、無駄じゃなかった。それどころか、あいつの存在に大きな楔を打ち込んだの。それって、大きな功績だよ」



 陽がまたその場にへたり込みそうになったので、恵流が抱き留める。安心したのだろう、体の力が抜け切った陽がため息をつきながら、恵流に完全にもたれかかった。


「それが無かったらね、あんな形で自分の命を終わらせたってことで、陽は完全にあっち行きだったみたい。くらーい、さむぅい所。危なかったね………という訳で、陽はこっちでも、結構な有名人です」


「良かった………少しでもあいつにダメージ与えたんなら……」


「少しどころか大ダメージだよ、きっと。こっそりやってた悪事がバラされたんだもん。もう今までみたいに好き勝手は出来ない。楔っていうより、そうだなぁ、指名手配だよね。名前付けられて、絵まで描かれちゃってさ。まあ、逮捕は無理だろうけど………誰もあいつの罠に引っかからなくなったとしたら、居ないも同じだよね。そうなるといいよね」



 何度も頷きながら、陽がしがみついてくる。体温も完全に戻った。ちょっと熱いぐらい。


「……陽、相変わらず体温高いね。あと、ちょっと苦しいよ」

「あ、ごめん!」


 陽が慌てて手を離す。

 二人は既に立ち止まっていたが、ゆっくりと光に向かって引き寄せられている。


「でもさ……あいつが本当にいたってことは、やっぱり恵流の病気は俺の」

「ほぉーらぁ! 絶対にそうなると思ったから、さっきは言えなかったんだよ? どうせまた、逆方向へ走っちゃうでしょ」


「……はい。スンマセン」

「よろしい。あのね、陽。これだけは忘れないで欲しいの。私、陽と一緒にいられて幸せだったんだよ。すごく、幸せだった」


「恵流……」

「だから、一応また言うけど、もしあっちへ行っても、私が絶対に連れ戻しに行くからね! 寒くて重くて怖いとこ、また行くのヤダからね」


「もう行きません!約束します」

「うん。約束ね」



 光の方へ引き寄せられる速度が、どんどん早まっている。

 辺りに白い靄が立ちこめてきた。




「さて、お話が終わったところで。私はそろそろ、行かなくちゃ」


「え?! 行くって、何処に? やだよ」


 驚いた陽が、泣きそうな顔で腕を掴んでくる。今にも地団駄を踏みそう。子供みたいだ。


「お仕事です。ギリギリまで陽と一緒に居たかったから、時間目一杯使っちゃった。今日の分のお仕事、終わらせなきゃ……大丈夫、そのうちまた会えるから! 頻繁には無理だけど、たまになら……あのね」



 離れるのは嫌だと駄々をこねる陽をあやす様に、恵流はゆっくりと言い聞かせる。


「こっちでも、やることはたくさんあるんだよ。私はこれから、現世の危険な場所で他人の写真に写りこまなきゃいけないの。浮遊するオーブとして。心霊写真ってやつだね。ついでにそこらに居る浮遊霊を説得して、こっちへ連れてくる」


「え、心霊写真に写る霊って、こっちから派遣されてるの?」

「うん。そういうの多いよ。もちろん本当に取り付いてるひともいるけど」


 へええ、という顔をして、陽は驚いている。駄々をこねるのも忘れたみたいだ。まぁ気持ちはわかる。私も初めて聞いた時には驚いたから。


 相変わらず表情が読み易すぎる陽が可笑しくて、恵流は笑いを堪えた。

 昔からそうだった。話すのは苦手だけど、思ってることが顔に全部出ちゃう人。そして再確認。私、本当にこの人、好き………


「他にもね、迷子になって困ってる人を助けたり、幼くしてこっちに来た子供に色々教えたり。あと、社会に強い恨みを持って亡くなった人と話したり。落武者っぽい人とか、まだ居るんだよ。その恨みを持ったまま転生したら、社会に害を与えかねないからね、そういう人と話して気持ちをほぐしたり、希望を渡すのも仕事のうちなの」


 仕方ないと諦める風情を醸し出すものの、陽はまだ恵流の腕をしっかりと握り、離さない。そんな顔されたら、うっかり仕事をサボってしまいそう。頑張れ恵流ワタシ


「……こっちでいっぱい働くと、生まれ変わるときに希望を聞いてもらえるんだって。だから私、たくさん働いて、また陽と同じ時代同じ場所に生まれ変われるようにお願いするつもりなの。そのために、頑張ってる」


「こっちでずっと一緒にいるんじゃ、駄目なの?」



……またその顔だ。首を僅かに傾げて、目を覗き込んでくる。天然でこれだもん。全く、もう! ズルいってば!


「駄目です。しばらく居たらわかるけど、こっちは割と退屈なの。仕事はあるけど娯楽に乏しい。生きてる方が断然楽しいよ。私はまた、陽と一緒に……陽と、楽しく、生きたいなぁ」


 自分でもあざといと思うほど、上目遣いで陽を見つめる。

 上目遣いとかすごく恥ずかしい!けど……陽はまんまと説得されてくれたみたい。なんだか妙に照れてどぎまぎと視線を外し、耳の縁を赤くしながら鼻の下をゴシゴシ擦り始めた。と思うと、ちらりとこちらを見る。

 攻め込まれると途端にヘナヘナになるのも、相変わらずだね……


 上目遣いのまま小首を傾げて微笑んでみせると、陽は呻きながら両手で顔を覆った。


「わかった。降参です。我慢します………また、会えるんだよね?」



……えへへ。私だってもう、負けてないんだから。


「うん。あちこち走りまわるし狭間に顔を出す用事もあるから、近いうちどこかでひょっこり会えるよ。お互いの都合が合えば、お仕事の合間の休息時間にも」




 いつの間にか、二人は光の中にいた。辺りはすっかり白い靄に包まれている。



 恵流が指差す方向に、光の道が見えた。白い靄の中にうっすらと光っている。


「この道を進めば、三途の川に出るから。その向こうで優馬さんが待ってるよ」


「え、優馬さんが?」



「陽はあの時……死の間際に、私たちを思い浮かべてくれたでしょ。私もそうだった。お互いの思いが通じると、どれだけ時を経ていても迎えに来られるの。優馬さんも、最期まで陽のことを心配してたんだね。

 でも、優馬さんはまだ49日以内だから、狭間と生の世界の間しか動けない。だから、川の近くで待ってる。きっと待たされ過ぎて怒ってるよ」


「わあ、ヤバぁ………」



 恵流はくすくすと笑いながら背中に手を回す。数秒後、戻ってきたその手には、小さな箱を掴んでいた。


「はいこれ、プレゼント。私のお仏壇に備えてあったロイズの生チョコ、貰って来た。甘党の優馬さんにあげたら、ちょっとはご機嫌とれるかも」


「おお………」


「はい、早く行って。あと、川のほとりにいる船頭さんに申請したら、お洋服もらえるからね」

「え、もう寒くないし、俺は別にこのままでも」

「上半身裸とか、家の中だけにして」

「……はい。申請します」


「優馬さんによろしくね」

「うん。またね」


「またね」





 何度も振り返り大きく手を振りながら、陽は光の道を進んだ。鼻腔の奥の煙臭さは、いつの間にか消えていた。


 ずっと向こうから、優馬の叫ぶ声が小さく聞こえる。


「オイ、よーーーーーう! どんだけ待たすんだこのタコ助がぁ!さっさとこっち来やがれ!」



 一瞬、腕の中で雨に打たれる優馬の姿が目の奥にちらついた。

 灰色の雨に塗り込められた景色。みるみる青ざめていく顔色。うっすらと開かれた虚ろな眼は光を失って。弱めに頭から流れる血が白いシャツを紅く染め、降りしきる雨がそれを滲ませ……


 残酷な、しかし酷く美しい情景。恐ろしい瞬間だったのに、それを絵に描き取りたいという画家としての欲求。繰り返す、悪魔のような衝動。めまぐるしく入れ替わる、甘美な狂気と絶望。



 ……だったのだが。当の優馬の怒鳴り声によって、その苦しみはあっさりとかき消された。


「ちんたら歩いてんじゃねえ! 走れえええええええええええ!!」


 


「優馬さん、死んでもやっぱり賑やかだな……」


 小さく笑って呟くと、陽は光に向かって駆け出した。





   おまけの物語 おわり

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アドラメレク おまけの物語 霧野 @kirino

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