第3話

 恵流は蹲った陽の手を頭から引き剥がし、引っ張り上げた。


「ほら、立って。もうそんなに重くないよ? 歩き易くなってきたでしょ?」


「いや、そうだけど……動揺がすごくて…………なんか、色んな驚きが、今まとめていっぺんに……」


 そう言いつつ、陽はよろよろと立ち上がり、また歩き出す。



「んー、まあ戸惑うよねぇ。じゃあ、驚きついでに良いこと教えちゃう。あのね、天本さん達はすっかり回復して、今は本格復帰に向けて、額縁の製作を始めようとしてるよ」

 父親が失踪して天涯孤独となった陽を引き取り、自身が社長を務める木工房へ就職させてくれた恩人夫妻だ。彼らも一時大病を患ったが、回復を果たしたのだ。



「え、ほんとに?! 二人とも?」


「そう。陽の絵ための、額縁を作るの。あとね、カレンさんの足も治って、五島さんと一緒に舞台に向けて動いてる。このまま順調に行けばだけど、舞台は大成功しそう。ぼんやりとだけど、未来も見えるんだ」


「ああ………良かった………」


 夏蓮も事故に遭い、怪我自体は大したことがなかったのだが、両脚が動かなくなってしまったのだ。彼女もまた復活を遂げ、再び世界的ダンサー「煌月カレン」としての活動を始めた。



「それから、栞さん。お子さんと一緒に、元気に頑張ってる。職場に復帰しつつ、陽の絵の管理とか……イベント的に個展を開いて、その収益で慈善団体に寄付したり、忙しそう」


 木暮栞。陽のマネージャーである木暮優馬の妻。優馬とともに陽を支えてくれた……が、夫である優馬は既に………



「……そっか」


「で、アドラメレクだかステッキ老人だかの存在は、かなり認知されてきてる。だいぶ拡散されてるよ。ネットで悪魔の存在を周知した陽の作戦、上手くいってるみたいだね」



「………渡辺君は、どうしてる?」

「渡辺君? ……えっと、誰のことでもわかるわけじゃないんだ。私が会った事ある人しか……」


「恵流も会ってる……っていうか、その場に居合わせたって感じかな。あの時だよ、公園で絵を踏まれた時」

「……ああ!! あの時!」


「うん。宮内くんを投げ飛ばした時に、下敷きになって一緒に転んでた子」

「うー………覚えているようないないような……ちょっと待って。集中してみる」


 歩きながら、恵流は目を伏せ集中する。まずは、宮内くん。あの、陽がいつも似顔絵屋さんやってた公園で……酔っ払って陽に絡んで絵を踏みつけた挙句、陽に反撃されて投げ飛ばされて………で、その宮内くんの下敷きになって、潰されてた人…………うぅ、印象薄いな……集中、集中………



「えーと……うん、元気にやってるっぽい。お友達と外国に行ったり……あ、将来は建築家になるみたい。クライアントにね、『この建物には、中に誰が居ますか?』って初めに聞くのが決まりだって。これ、陽に強く関係してることだと思う。そう視えるよ」


「……ああ。そっか………うん、心当たりが無くもないや。良かった、のかな。たぶん」


「家庭を持って、幸せそうだよ。家族写真がたくさん見えた。あと、なんかインコがたくさん見えた」

「あははは、そっか。なら間違いなく本人だ。良かった」


 こちらで会ってから、陽が初めて笑った。

 げっそりとやつれていた顔も普段通りのイケメンに戻ってきたし、もうだいぶ足取りも軽くなっている。周辺はほんのりと明るく暖かい。元の場所まで、もうすぐだ。



「陽もね、慣れてきたら視える筈だよ。気になってるだろうと思ったから、私が代理で先に見ちゃったけど」

「うん。教えてもらって、少し安心した。ありがとう」



 陽がこちらの様子を窺っているのがわかった。

 恵流が目線で促すと、陽はおずおずと切り出した。


「あの………聞いていいのかわかんないんだけど……恵流のご両親は? 大丈夫、かな?」


「ああ……うん。そりゃ、今も哀しんでいるけど。でも、大丈夫。ちゃんと乗り越えてくれる。陽の描いてくれた絵、居間に飾って毎日観てるみたいだよ」


「……そっか」

「心配してくれて、ありがとう」

「いや、マジで申し訳なくて……」


「ほら。もう直ぐだよ」

 恵流は陽の言葉を遮り、話を切り替えた。


「どんどん引っ張られてるみたいでしょ? あれみたい……なんだっけ。えーっと、あるく歩道!」


「……うごく歩道?」

「あ……うん、それそれ。えへへ」


 恵流につられるように、陽も笑い出す。


「ほんとだ。歩いてる以上に進む感じだね。すごい」


「うん。ここまで来たら、もう大丈夫。……あのね、陽。さっきは言えなかったんだけど、これからほんとの事を話します」


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