第2話
「陽、こっちだよ」
「随分と進み辛かったでしょう? こっちは、来ちゃいけない方向だからだよ。陽は、こっちじゃないの。こっちへ来るべき人は、勝手にずるずる引っ張られちゃうんだから」
言いながら、恵流も闇を掻き分けるように、辛そうに歩を進める。
「こんなとこまで来ちゃって。陽ってば、無茶するよねぇ」
「……ごめん」
申し訳なさそうに小さな声で謝る陽の手を、恵流はしっかりと握りなおし、さらに腕を絡めた。
「まあまあ、もういいですよ。元の場所に近づけば、普通に歩けるようになるからね。もうちょっと頑張ろう」
「……うん」
息を切らしながら、光の点を目指し、じりじりと闇の中を進む。
「あのさ、恵流?」
「うん?」
「ここって……その」
「うん。俗に言う、死後の世界でございます」
「……だよね」
「うふふ。ちょっと意外でしょ」
笑い事じゃない気もするが、恵流の笑い声を聞くと心がじんわりと温まる。とても心地がいい。
「ほんとはね、三途の川とか狭間とか、あるんだよ? 私、お出迎えに行く予定だったのに、陽はぜーんぶすっ飛ばして、一目散にここまで来ちゃったから」
「え? どういうこと?」
歩きながら、恵流はこの世界のシステムをかいつまんで説明した。
人は死後、三途の川へやってくる。
(三途の川という場所は日本人特有のもので、国によって様々であるらしい)
川を渡った先が「狭間」と呼ばれる場所で、そこで最大49日を過ごす。狭間と生の世界は比較的簡単に行き来出来るが、49日を過ぎても生の世界に留まると狭間には戻れなくなってしまい、生の世界を彷徨うことになる。
狭間での滞在を終えると、人はそれぞれの場所に割り振られるのだ。
「最初に居た白い靄の向こうに、明るい道が見えたでしょ? そっちへ進めば、すぐに川があったのに」
「……俺、明るいところへ行っちゃいけないと思ってたから……」
「それでもね、普通は行くべき方向に自然と足が進むんだよ。陽、精神力強すぎ。あと、走るの早すぎ」
恵流はそう言って軽く肩をぶつけ、また笑う。
「ごめん………俺、いつもいつも、恵流に助けられてばっかりだ。そもそも、俺のせいで恵流はこんなことに」
「陽のせいじゃないよ」
「いや」
「うーん、じゃあ、陽のせいかもしれない。みんなに起きた不幸なことは、陽の痣のせいだったかもしれない。でもね、それは陽の責任ではないの。陽が償う必要なんて、無いんだよ」
「でも! 俺があんな奴につけ込まれなければ……それに、その………」
「大事なのはね、陽は今、ここにいるってこと。暗い方へ引き摺られたんじゃなければ、赦されてるってことなの。誰が何を赦したのかは、私にもわからない。でも、ここに居ていいんだから。私たちと同じ側に居て、いいの」
「………恵流……」
「そんな声出さないの。陽、もし罪悪感が拭えないとかでまた暗いところに行くなら……私、また連れ戻しに行くからね。寒くて暗くて辛いけど、何度だって行くから。私に辛い思いをさせたくなかったら、もうあっちへ行かないで。いい?」
一瞬迷った様子を見せたものの、陽は黙って頷いた。でも、まだ耳を弄っている。それは、言い出しづらいことがある時の、陽の癖だった。
「あ、もしかして。カレンさんとの事、気にしてる?」
「………それも、あります」
ふふ、と声を潜め、恵流は小さく笑う。恵流の死後、次の恋人となった
恵流は、逃げたのだった。彼女に惹かれていくであろう陽を見たくなくて、自分に自信がなくて、彼を憎んでしまうかもしれない自分が怖くて。
─── 陽を大好きな私のまま、死にたい。
だから、患った病気を自分への
「あります、って。急に敬語」
「あ、うん。なんていうか……」
空いている方の手でしきりに耳たぶを引っ張っている陽がおかしくて、懐かしくて、恵流は繋いだ手をペチペチ叩いた。
「いいの。陽には必要な事だったから。大体、私の方から逃げ出したんだもん」
「でもそれは、元々あの痣の……」
「まだそれ言う気? 陽、いい加減にして」
恵流は足を止め、陽の正面に立った。空いている方の手を取り、両手を結ぶ。
「痣の事に関しては、私には判断がつかない。だから、いくらそれを言われても困るよ。それからね」
陽の両手をしっかりと握りしめ、真っ直ぐに目を見つめた。
「カレンさんのことだって、真剣だったでしょう? 大切な出会い、大切な人だったでしょ? それなのに、私が陽を怒ったりすると思う? 私はね、大好きな人に……陽に、幸せでいて欲しいって、そう思ってたよ」
みるみるうちに、陽の両目に涙が溜まっていく。今にも溢れそうで、恵流はまた、夜の湖の絵を思い出す。
陽が報酬をもらって初めて描いた作品。暗い夜の湖に、美しくキラキラと舞い落ちる光の欠片。その光は季節によって、桜の花びらや飛び交う蛍、雪片にも見えたものだ。
「それとも、怒って欲しい?『この、浮気者!』って」
急に手を離して殴る振りをしたので、陽は咄嗟に目を瞑り身体を竦めた。
「あはは、嘘だよ。そんなこと、するわけないでしょ」
恵流は再び陽の手を取り、歩き始める。
「だったら、陽は私のこと『この、薄情者!』って怒ってくれなきゃ。何も話さずに、あんな風に逃げたんだから」
「怒ったりしないよ……あの時は、恵流はそうするしかなかったんだって、わかってるもん」
「でも、傷つけたよね。すごく」
「それは……正直に言っちゃうと、そうだった。でもちゃんと、わかってたよ、何度も考えて、わかった」
「うん。陽の声、聞こえてた。何度も話しかけてくれてたでしょ? 月命日やお誕生日、その他にも、たくさんたくさん」
「え? マジで?! 聞こえてたの?」
「うん。カレンさんとのことだって、一度きっぱり断ったのも聞こえてた」
「ちょ………マジか」
今度は陽が立ち止まり、その場にしゃがみ込んで頭を抱える。
「あ、そんなに詳しくは聞いてないから、大丈夫! 私に関することで、気持ちが強く出てる時の声しか聞こえてこないから! 第一そんな全部聞こえてたら、こっちだって大変だよ」
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