第53話 母と子
ベスレム?ベスレムって・・
河原が顔色を変えてリリスに飛びつく。
「駄目!駄目だよ!あんな変態親父、やめとけよ!何されるかわかんないぜ!駄目だ!」
コトン、と音に驚いてドアを見ると、セフィーリアが呆然とドアに立っている。
「リー・・・リ・・ 」
リリスは青ざめた顔でさっと顔を逸らした。
「リーリ、食事・・ここで食べる?」
「い、いえ、下に・・参ります。申し訳ありません、御師様に水仕事を・・」
「いいの・・いいのよ。」
ふらふらセフィーリアは下へ降りてゆく。
ヨーコがそれを追いかけた。
「おばさん!」
お、おばさん?!この私が?!
セフィーリアがガーンと振り向く。
「おばさん、リリスがお母さんって呼んでも嫌じゃないよね!おばさん!嫌じゃないよね!
助けてよ!リリスってば信じ切れないんだよ!」
「私が?信じられない?」
「そうだよ!人間は可愛がるだけじゃ駄目なんだよ!おばさん!」
一体、この人間は私に何をせよと言っているのだ?何をどうすればよいのだ?
戸惑うセフィーリアにヨーコが迫る。
ヨーコにはじれったくて仕方がない。
「リリス、あのままじゃあの変態親父の所に行っちゃうよ!
ねえ!リリスを助けてあげて!
今のままじゃ、自分の居場所がないんだよ!
ねえ!ちゃんとしてよ!」
ヨーコの必死の顔は、本当にリリスのことを考えている。
短い時を生きる人間とは何と複雑なことか、こんな子供が・・
私は、あの子に何をしてきたんだろう。
自分の命をあれ程軽んじる子に・・私は、大切な物を作ってあげられなかった。
ギュッと腕を掴むヨーコに、セフィーリアは微笑んで優しく頬を撫でた。
「人の子よ、ようわかった。」
キッとセフィーリアが顔を上げ、リリスの部屋に戻る。
部屋では友人に囲まれて、なお暗い顔のリリスが、ベッドに怠そうにして座っている。
真実を知ってからどれほど苦しんでいるのか。
同い年というのに他の子よりうんと小さく、旅から帰ってきてからも、思い悩んでげっそりと痩せてしまった。
魔導の力など・・何の役にも立たない・・
私は・・
「御師様・・・」
そっと、リリスが表情を窺うように見上げる。
その不安げな顔にセフィーリアはにっこり微笑み、そして傍らに膝をついてリリスを見上げた。
「御、御師様・・私などに、膝をつかれてはいけません。」
「いいのよ、リーリ。ねえ・・リーリ、これから二人で・・親子二人で暮らそう。」
リリスが驚いて色違いの目を見開いた。
「でも・・でも・・み、身分が・・
私は、今のままで十分でございます。」
「私は人じゃない。
身分なんて人が勝手に付けたものだ、都合のいいときだけ使わせて貰おう。
愛するリーリ、私はただ、リーリの本当の母親になりたいんだよ。」
「でも・・お城の人が・・そんなこと、臨んではいけないって・・私は、召使いです・・」
「他の人間なんか、何と言おうと関係ない。
リーリ、もう遅いかい?私はお前に何もしてあげられなかった。
だから、今からお前に沢山してあげたいのだ。それとも、お前ベスレムへ行ってしまうのかい?」
リリスが首を振り、目から大粒の涙をぽろぽろと流す。
「でも・・でも・・きっと、ご迷惑をおかけします・・王子にも、御師様にもみんな・・
私は、本当に生きていてよろしいのでしょうか・・?」
「当たり前じゃないか!お前は私の宝だ。
リリス、お前と出会えて、本当に良かったよ、私は精霊で一番の幸せ者だ。
リリス、これから二人で暮らそう。お前は、私の大切な息子だ。」
ああ・・
リリスがごくんと息を飲む。
ずっとずっと、誰かに、御師様にそう言って欲しかった。
今なら、きっと許される。
「お・・・お、は、は、う、え・・さ、ま。」
リリスが小さな声で囁く。
「リーリ・・リーリ、今なんて?」
セフィーリアが大きく目を見開き、リリスの顔を覗き込む。
リリスは恥ずかしそうに潤んだ涙を拭いて、赤い顔ではにかみながら俯いた。
「お、お母、上・・様・・」
セフィーリアは大きく見開いた目からドッと涙を流して、ガバッとリリスを抱きしめた。
「リーーリーーー!!」
「きゃっ!痛っ!御師様痛い!いたーーーっ!」
「わーん!リーリー大好きーー!!」
「肩が!痛ーーーい!痛い!痛ーーーい!!」
リリスもまた涙がぽろぽろ流れている。
「ほら!御師様リリス死んじゃうよ!ほら!」
ヨーコ達も泣きながら、痛がるリリスを助けにセフィーリアの引き剥がしにかかる。
みんなで一塊になって泣いていると、後ろから怪訝な声が聞こえた。
「お前達、何をしているのだ?」
「あっ!キアンー!ザレルも久しぶりー!」
「だから何をしている。」
「あんた達こそ何しに来たのよ。」
ザレルが後ろで大きな袋をボスッと降ろした。
「実は、こいつが僕の親衛隊を暫く下りて、ここに住むと言い出してな。部屋、空いているのだろう?」
「ええええええーーーー!!!」
一気に感動が冷め切った。
「何で、せっかく出世したのに。」
「城内勤めは肌に合わん。」
「だからってどうしてここに住むの!」
セフィーリアも感動が覚めて、リリスを放すとザレルにくってかかった。
「リリスに怪我を負わせたのは俺だ。
怪我が治るまで世話をしたい。」
「いらない!いらないわよ!これから二人でゆっくり暮らすの!」
「俺は独り身が長い、一通りは何でも出来る。
お前は人ではない、気がつかん事もある。」
「つくわよ!何から何まで私がやるの!」
「無理だな。今まで何をしてきた?」
うっ!セフィーリアが言葉に詰まる。
「だ、だから、これからやるって決めたのよ!」
フッと、ザレルが馬鹿にして笑った。
「御師様などと、祭り上げられている者に何が出来る。」
フッと、今度はセフィーリアが笑い返す。
「あーら、お生憎様。たった今、あの子私をお母上様って呼んでくれたのよ。」
「俺には御師様痛い!と聞こえたぞ。」
「ううう・・キイイイ!悪かったわね!」
セフィーリアとザレルが睨み合う。
皆も初めて見るザレルの饒舌ぶりだ。
ヨーコ達が、こそこそリリスを囲んで囁きあった。
「ねえ、御師様とザレル、仲悪いの?」
「いいえ、とっても仲がよろしいんですよ。
これも、いつものことです。
ほら、仲がいいほど喧嘩すると申しましょう?」
はあ、なるほど。
「ねえ、リリス。おはは上様って、ちょっと変だよ。お母さんでいいんだよ。」
「え?そうでしょうか、どうお呼びするのが御師様に相応しいのかわからなくて・・」
「師は師!母は母!一緒に考えるのが変だ!」
「まあまあ、キアン。」
みんな頭に血が上る。バタバタとセフィーリアがリリスの元に来て跪いた。
「ね!リーリもこんな奴と一緒に暮らしたくはないわよねー!ねっ!」
「いえ、私は一向に構いませんが。」
「まあ!リーリ!意地悪!」
「じゃあ、決まりだな。」
プウッとセフィーリアがむくれる。
リリスが笑ってセフィーリアにキスすると、小さく囁いた。
「ごめんごめん、悪い!ね、母上様。」
キョンとするセフィーリアの周りで、皆がパッと明るい顔をして笑い出す。
いつもひっそりとした丘の上の館は、その日珍しく子供達の声で騒がしい。
巣へと帰る鳥達に見守られて、空を美しい色に染め、日も静かに落ちてゆく。
その日アトラーナの夜は、いつもと違って暖かい風が穏やかに吹き、人々を優しく見守って幸せな夢へと誘った。
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