第52話 セフィーリアの館

 優しい風が巻く、城下より少し離れた丘の上にセフィーリアの館はある。

二階建ての小さな家だが繊細な貴族的な作りの母屋で、ここにはセフィーリアとリリスが住んでいる。

そして隣りには弟子の住む離れ、そして家畜の小屋が並んでいた。

近くには小さな村があるのだが、今では時折薬草に詳しいセフィーリアの元へ、薬草を求めて村人が訪ねてくる。

ここでは数人の魔導師の弟子が、薬草の勉強や魔導の修行をしている姿が時折見られた。


 その、館の玄関前にいきなり空間の裂け目が現れ、四人と爺さんがにゅっと出てきた。

アイが現れると同時に、場違いな黄色い声が館の前に広がる草原に響き渡る。


「きゃああ!久しぶりい!リリスー!来たよ!」


静かだった館が、突然鳥かごをつついたような騒ぎになった。


「何かさあ!爺さんって、便利すぎて旅行の気分全然出ないよね。」


「これ、旅行かい?!」


「うるさい!静かにせんか!

セフィーリア!うるさいのを連れてきたぞ!」


ノックもせずにガチャッとドアを開け、ずかずか中へ入ってゆく。

玄関を入ると、正面に大きな階段、右が居間、その奥がキッチンだ。

城から援助があるらしく、調度品もあのラグンベルクの城並みにいい物がある。

リリスが偉い人だと言っていたのもわかる。

どやどや入ってゆくと、居間から白い髪を結い上げ上品なドレス姿のセフィーリアが、ニコニコ顔で出てきた。


「あら、来たの!リーリ、ずっと会いたがっていたのよ!喜ぶわ!」


リリスは元気がないと聞いたのに、やけにご機嫌だ。それに、何故か弟子の姿が見えない。


「おや?弟子はどうした?」


「もー、あいつ等いると、リーリが気を使って全然養生になんないから、暫く暇を出したのよ。

んふふ、二人っきりな、の!

リーリの世話がこーんなに楽しいなんて知らなかったわあ!

やっぱり養育係の口うるさいババア、さっさと城に帰せば良かった!今日は美味しいシチュー作ってるの!」


なるほど、この様子じゃベッドにいつまでも寝ている方が嬉しいらしい。

キッチンからは美味しそうなシチューの香りが漂ってくる。

セフィーリアはくるりと回ってスキップを踏みながら、キッチンに消えた。


「御師様、リリスが元気ないってのに嬉しそうだねえ。」


「うむ、何しろ養育係は二人の間に立って、二人が馴れ合うのを阻んでいたからのう。

それに、リリスは頻繁に旅に出るのじゃ。」


なるほど。手をかけたくて仕方がないらしい。


「んじゃ、ちょっと会ってくる。あたし等やり残したことがあんの。」


「やり残し?余計なことはするなよ!リリスの部屋は左奥じゃ。」


「おっけー!あれ?」


階段へ向かう途中で、この世界に似つかわしくない段ボール箱が目に入った。


「あれ、何?」


爺さんが、ああと呟く。


「わしとセフィーリアで、ま、ちょっとした貿易じゃな。」


「やっぱりー!商売してるって、御師様と爺さんだったんだ!」


爺は分かるが、まさか御師様もグルとは・・


「うむ、セフィーリアが、金をためて向こうの世界にリリスを住まわせたいと言ってな。

向こうは身分とか煩わしい物がないからな。」


なるほど、御師様なりに色々考えているんだ。

少し感心しながら階段を上り、廊下を進んでリリスの部屋に行った。


 コンコン、


小さくノックしてそうっと開けた。

リリスの部屋は角部屋だから、二カ所の窓から光が射し込みとても明るい。

小さな机とベッドに、可愛らしい本棚には本が数冊と、沢山の紙を束ねた・・ノートだろうか?それが沢山立っている。

神経質なほど綺麗に整理してあるのも、あまり余計に物がないのもリリスらしい。

壁に立てられた質素で飾りのないフィーネが、リリスの長けた演奏技術からすると似つかわしくないように思われた。


散らし屋の自分達の部屋とは雲泥の差だ。

ベッドに横たわる部屋の主を覗き込みながら、みんなそうっと部屋に入っていった。

布団に埋もれるように、赤い髪が見える。


「リリス、リリス来たよ。」


吉井が布団をそっとめくった。

中から懐かしくも、やつれた顔が覗く。

ぼんやり目を開け、そしてにっこりと以前のように微笑んでくれた。


「あれ・・?夢・・かな?」


「夢じゃないよ、久しぶり。どうだ?傷は。」


「いえ・・まだ少し。一度開いたので付きが悪いそうです。」


「痩せたなあ、飯は?あ、寝てていいんだぜ。」


「いいえ、出来るだけ起きるようにしていますから、大丈夫です。うっ・・つっ・・」


リリスが身体を起こす。

何だか凄くきつそうに見える。

あんなにキリキリしてタフだったのに、あの旅で力を全部出し切ったみたいだ。


「キアンとザレルは?」


「あれから、お会いしていません。

御師様に聞いたお話では、キアナルーサ様は祝賀行事でお忙しいそうです。

ザレルも王子の親衛隊に。」


「へえ、親衛隊?かっちょいい!出世したじゃん。リリスは?何になったの?」


「私は・・馬を、一頭頂きました。」


「え?!たったそれだけ?!」


「元々何かいただけるとは思っておりませんでしたから、私などにはもったいないほどです。

大変立派な馬です、不満などまったくございません。」


ございませんって、きっぱり言われて返す言葉もない。リリスらしい。


「何かさ、お前・・もう、何もかも終わったって感じだな。元気出せよ。」


「そうですか?そうは思ってないんですけど。

御師様の家に戻りましたらホッとして・・」


ヨーコがメッとして、おでこをコンと叩いた。


「まだそんなこと言ってる!御師様の家じゃなくて、ここは自分の家でしょ!」


「でも、ここは御師様にお借りしている部屋ですから・・」


首を振ってリリスが、小さく囁いた。

綺麗で明るい、この屋敷でもいい部屋なのに、ここに座るリリスは小さく見える。


「でも、御師様にとっては、リリスは召使いなんかじゃないよ。子供だよ。」


「いいえ、とんでもない、違います。」


「何言ってンの!リリスは王子様じゃん!

本当は召使いなんかじゃないって・・」


「私は、王子ではありません。

静かに、今まで通りの生活を送るだけです。」


「でも!」


納得できないアイを、ヨーコが遮る。

ヨーコにはわかるのだ。


「こんなの、本で見たことあるよ。

他の人間に知れたら、お家騒動になりかねない。

そんなの、リリスは絶対臨まないんだよね。」


リリスが、力無く微笑み頷いた。


「ええ、ありがとうございます、ヨーコ様。

アイ様、あのフレア様のお話は、夢うつつのお話しでございます。もう、お忘れ下さい。」


「リリス・・」


「辛いな、リリス。」


アイが涙を浮かべ、吉井がぽつりと漏らした。

リリスがふと、視線を落とす。


そう・・辛かった・・そうだ・・

私はずっと、逃げたかったんだ。


師を、母親と勘違いしそうになった自分から。

聞きたくない程に、私の身分がいかに低いかを教え込むあの養育係から。

耳をふさいで、懸命に歩いて忘れようとした。

そして逃げ場を求めて、両親をずっと追い求めていたのだ。


それが、まさか王族とは・・


あまりにも身分が違いすぎる。

そっと、見に行く事さえ出来ない。

せめて優しい目で見てもらえたなら、それを支えにも出来たろうに。


私は・・実力で選ばれた魔道師ではなかった。

私は・・王は・・ああ、わからない・・


もう・・もう、忘れよう。


リリスが急に明るい顔で笑って顔を上げた。


「実は、ベスレムから公におつかえしないかとお誘いを頂いているんです。

傷が癒えたらそうしようかと思って。」

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