アイデンティティークライシス

福田肇史

1.静かな夜

住宅街にある静かな公園。

公園には草木が揺れる音と、ブランコの鎖の軋む音が響いていた。それ以外には何も聞こえない、静かな夜だった。満月の明かりに照らされ、ブランコに2つの影ができていた。一方はダンスを踊っているかのように揺れ、もう一方は静かにゆっくりと揺れていた。

通行人が公園の前を通る。通行人たちは一瞬ブランコの方を見るが、何もなかったかのように自分の家へと歩を進める。満月に照らされた2つの陰。どこかの高校の制服を着ている男女。一見すると青春の一ページのような微笑ましい、ある意味妬ましい状況であったが、二人の間に会話はない。接近するどころか、近づかないで欲しいというオーラすら感じられる。別れ話や喧嘩の匂いを感じ、そそくさと退散していく。公園を風がかけていく。公園の中はブランコの軋む音だけになった。


それから、どのくらい時間が経っただろうか。影は二つとも止まり、公園の中は静寂に包まれている。ある人は早足で通り過ぎ、ある人はあっと悲鳴をあげ逃げていく。それでも公園の中は静かなままだった。

「君は名前がある?」

少年は独り言のように俯きながら、少女に話しかける。

「ない。」

少女はしっかりと答える。

「そう。僕もだよ。」

今度は俯きながらもしっかりと答えた。

少女はそれを聞き、再びブランコを漕ぎ始めた。満月に照らされ、影が踊る。


満月はその後も、踊る影と動かない影を写していた。

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