第4話

 目を覚ました時には病室だった。

 どうやら拠点で出来る限りの処置をした後、後方行きのトラックで病院に運ばれたらしい。


 医師に聞かされたところによれば、左肩の弾丸は抜けていたが、その後に手当てもしないまま無理に動かしたことで、失血死寸前だったことに加えて周辺の神経が酷く痛んでしまったらしい。

 完治してもどれだけ動くようになるかは分からないと告げられた。実際、肩から先の感覚はほとんどなかった。


 ただ、生きているだけでも幸運であることを後に知る。

 わたしが所属していた部隊は拠点ごと壊滅したらしい。それまでは優勢だったソ連軍だが、あの数日後にエストニアの協力を得たドイツ軍の反撃を受けたそうだ。ナルヴァ川の付近に確立していた拠点はいくつも破壊されてしまい、進軍を食い止められる結果になった。

 あのまま前線にいれば、わたしは恐らく死んでいただろう。壊滅する前に離れることが出来たのは、奇跡という他なかった。


 わたしは歩けるくらいに回復した段階で、戦闘の続行は不可能と見なされ、実家に帰されることになった。

 その間、レイラと会うことは一度も出来ていない。彼女もわたしと一緒に運ばれて来ており、治療も無事に済んでいたが、未だに目を覚ましていなかった為だ。

 暗に早く病床を空けろと言うように急かされ、わたしは後ろ髪を引かれる思いで帰途に就くことになった。


 モスクワの実家に帰ったわたしの姿を見て、両親は複雑な様子だった。

 生きて帰って来たのは嬉しいが、左腕が動かないような状態では、立派な職に就くことも嫁の貰い手もないと思ったのだろう。


 何はともあれ、わたしはそのまま実家で約一年半を過ごし、終戦を迎えたのだった。





 第二次世界大戦が終了してから二年が過ぎた。

 わたしは父親が探してくれた事務の仕事をしている。左腕はほとんど動かないので、どうしても出来る仕事は限られてしまうが、そんなこちらの状態に配慮してくれる良い職場だ。


 休みの日はあてどもなく散歩することが多い。ついついすれ違う人の顔を確認してしまう。求める姿があるはずもないのに。


 戦争が終わってから、わたしはレイラの行方を調べた。徴兵事務所で彼女の住所を聞いたところ、親戚の家の場所を知ることは出来た。カザンだったので、そう遠くはない。

 しかし、そこを訪れて知ったのは、レイラは行方知れずである、という事実だった。


 彼女は無事に意識を取り戻し、わたしと同様に家へと帰されたらしい。しかし、戦争が終わって間もなく、行先も告げずに家を出て行ったようだ。

 キエフの元々住んでいた家というのも教えてもらったが、そこには別の家族が住んでいることを確認した。


 手詰まりだった。わたしは彼女の行方を調べる手立てもなく、街を歩く人々に彼女の影を追い求めるくらいしか出来ない。

 レイラの方からわたしを探すことはそれほど難しくない。いずれ訪ねてくれるかも知れないという期待はあった。


 それでも、既に二年が過ぎていた。レイラが会いに来る気配は今のところない。

 もしかすれば、彼女はわたしに会いたくないのかも知れない。

 あの星空を見た夜、通じ合えたような気がしたけど、気のせいだったのだろうか。

 まあ、彼女のことだから、わたしの負傷に勝手に責任を感じてるなんて可能性もあるけど。


 わたしはふと空を見上げる。透き通るような蒼穹だ。

 そこに以前のような蓋は感じられない。今のわたしには、素直にどこまでも続いているように感じられた。


 レイラも同じ空の下にいるのだろうか。どこかで元気にしているだろうか。

 とりあえず生きていることは分かっている。

 一緒にはいられなくても、彼女がちゃんと笑えているのなら、それで良いかな。

 そんな風に思えた。





 キエフ郊外。畑以外は何もない、牧歌的な風景の中を歩いていく。

 ここら一帯は戦闘があった場所らしく、それはもう酷い状態だったらしい。まともに作物が実らず難儀していたようだ。

 それでも色々な人が頑張って、何年も掛かって、やっと育つようになってきたのだとか。


 どうやらこの場所に彼女はいるらしい。

 諦めようかと思ったこともある。ほんの少しだけ。

 でも、わたしと彼女の間には約束があった。

 だから、諦めることはやめた。

 それに場所が絞れるなら、探しようもある。一年半掛かったが。


 広大な畑で作業する人はたくさんいたが、彼女の姿は一目で分かった。

 泥に塗れた作業着を着ている。髪は以前の軍隊式刈り上げとは違い、肩辺りで切り揃えられていた。右眼には眼帯をしているようだ。

 わたしは少し離れたところから、彼女に向かって声を掛ける。


「すいませーん、道を聞きたいんですけどー」


 気持ち、声を変えて言ってみた。日除けの帽子も目深に被っている。

 ちょっとした悪戯心だ。わざわざ探させたのだから、これくらい良いだろう。


「はーい、少し待ってくださいー」


 そんな返事が来た。距離があるのも相まってか、こちらの正体に気づいた様子はない。

 植えられた作物を避けるようにして近づいてくる、彼女の活き活きとした表情を見て、思う。

 何だ、幸せそうじゃないか。良かった。前みたいに苦しそうじゃなくて。


「どちら、まで……っ!?」


 傍まで来たところで帽子を取ると、彼女は驚愕の表情で凍りついた。


「来ちゃった。約束だったから。迷惑だったかな?」

「っ……そんなわけ、ないっ……」


 彼女は飛び込んで来た。抱き留めて、抱き締める。

 濃密な土の匂いがした。生命の香りだ。それはとても温かくて、心地良い。


 やがて、わたし達は抱擁を解くと、見つめ合った。互いの眸に、相手の眸が映り込む。

 そこには、頭上の透き通るような青空も、あの日見た何より美しい星空も、溶け込んでいるようだった。

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同じ空の下で、君とまた 吉野玄冬 @TALISKER7

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