(前衛部分カット版)自由言語女子高生、美恵子

湯殿わたなべ

自由言語女子高生、美恵子(前衛部分カット版)


 あたしの同級生に、自由言語女子高生の美恵子(みえこ)、という子がいる。なんで普通の都立高校、それも郊外のこんな、畑がある東京の学校で二年目を通う私と同じクラスに美恵子はいるのか。彼女は放課後になるとJR立川駅の北口にあるロータリーに座り込み、自分で書いている詩とも日記ともつかない散文を売っている。クラスの他の子の話によると、美恵子ちゃんは言葉でイメージを自由に駆け抜けたい、これはダダイズムでも五十年代のビートニク文学でもない、ユング心理学における集合的無意識への逆説的なアプローチを言葉でやっているんだ、ということらしい。正直、私にはなんの話なのかがわからない。私も彼女のクラスメイトだけど、多分、彼女は私のことを知らない。何回か美恵子ちゃんの詩を買ったことがあるけれど、それらは自由言語どころか不自由な言葉に見える。


美恵子の日記①


「隠したテストの点数。妖術の秘密。攻略本の折り目のページ。焦げ茶の虎猫。フラフープの回転率。工場の稼働性。深夜のディズニーランド。葉脈に野菜ジュースを流し込むと骨盤健康法。インパルスの極限の怒り。先生に取り上げられたナイフ。公転と自転を逆転させ、中間の踊り」



 私は同級生の絵(え)理(り)と美恵子の詩について話した。

「ねえ、絵理は美恵子ってコ、知ってる?」

 絵理は少し驚いたように、だけどやはり、その話題か、といった感じで答えた。

「うん、あの子、なんか中学生の時から変な詩、書いてるんだって。もしかして、咲(さ)希(き)、買った?」

「うん、このまえ立川歩いてたら、うちの制服の子がいて、美恵子ちゃんだった。彼女と同じ制服だった私には突っ込みもせず、売ってくれたよ」

「なんなんだろうね」

「ね」

 私には詩とか言葉はわからない。だけど他のイケてるクラスメイトみたいに可愛い服を着て可愛い写真を撮ることにも無関心だし、おたくグループまで行って同人誌に手を出すほど探求心もない。だけど美恵子ちゃんみたく自分の道を貫くタイプでもない私は、なんとなく自分の進路もあやふやなまま、美恵子ちゃんの詩を買って、何かを得たいのかもしれない。


 今日の美恵子の日記②



「大概、メロン。もう嫌に。最後はスズキかイワナかわかんない。あたしの愛にジャムを塗り、そこに蝶が止まって恋のフレンチ・ドッグ成らない。ウインクさえパチパチ落とし込めれば私のマニキュアに赤と紺が映えるのに。ねぇ、家って」


 私はだんだんと美恵子ちゃんが気になりだし、授業中に彼女の方向を見つめてみた。英語の授業中なのに、美恵子ちゃんはノートになにやら日本語で書いている。やっぱり、自分で書いている詩なんだ。休み時間に、勇気を出して話しかけた。

「ねえ、美恵子ちゃん、あたし、咲希。おはよ」

「あ!私の詩、この前、買ってくれたわね。なかなか、どうして、やるじゃない」

「最初、勇気なかったけど、なんか、逆に美恵子ちゃんが勇気あるな、って思って」

「あたしだって、一人で変な詩を売るの、怖いよ。時々、変な男にからまれるときだってある。あたし、常にゴキブリスプレーを持ってるから、それを吹きかけてやるの。ぶしゅぶしゅ。そうすると男はむせて、離れていくわ。失礼しちゃう」

「す、すごいわね。あれって人にかけて良いの?」

「あたしの女性性を狙ってからかう男を、なんで人と同じにしなくていけなくて?今度はこの銃口を口にくわえさせてね、直接肺胞に、ぶち撒けでやるの」

 初めてちゃんと会話をしたけれど、やっぱりちょっと変わっている子だな、と思った。だけど邪険な感じはしない。

「美恵子ちゃんは、勉強しなくていいの?」

「うん、しないとね。詩を売ってると、あたしのことを変な言葉が紡げる地下アイドルに仕立て上げようとする、邪悪な大人たちが近寄ってくる。私に見せ金をして射幸心を煽るけど、私は煽られないわ。ちゃんとお勉強して進学した方がマシね。女をなめてるわよ」

 そういって彼女はスクールバッグの中を開けて、私にゴキブリスプレーを見せてきた。香水を携帯する女子高生はいるのに、保身のゴキブリスプレーを携帯してる子は少ない(いない?)。

「咲希ちゃん!あたしの詩、どうだった?」

 彼女はカバンの中のスプレーに片手を持っていき、聞いてきた。ここで下手なことを言うと、私がゴキブリになる。ここで頑張らないと、咲希、お友達になれない。

「全然、何言ってるのか、私にはわからなかった。ユング心理学?ってやつと関係があるの?」

「うん、そう。言葉を変えることで、私たちが持つ集合的無意識を変えようとしてるの。だから、美術教師の鈴木が言ってるダダイズムの自動筆記でもないし英語教師が言ってる五十年代のビートニクでもないのね。あたし、言葉で無意識と世界を変えたい」

美恵子ちゃんはとっくにスプレーから手を放し、目を輝かせて私に説明してくれた。

「へぇー、全然わからないけど、なんだか面白そう、また聞かせてね。あと美恵子ちゃんの詩、また買いにいくね」


今日の美恵子の日記③



「ケンネル。不動産で好事家のフリして北のタバコをファッションモーションに押し上げ鼻毛の一等賞。穀物の擬人法。多摩川ではトテム、ギレン、イナタの三兄弟が銃器で自分たちの父親を守り空中に放射される外弧線にパニック症状のペーパーバック法を、テスト期間のシジマ返し」



 美恵子ちゃんは、基本的に放課後に駅前で詩を売っていて、学校の部活や委員会は全て放棄している。特に文芸部であるとか、図書委員会ということもない。

 美恵子が駅前で詩を売っていると、おばさんが美恵子に話しかけてきた。

「あら?なんですの、これらの詩は」

「興味ある人が、買えばいいって思って」

「それより、私たちの宗教に入りません?今、勧誘しているですの」

「私、興味ないです。神様、いないですから」

「私が、神かもしれないじゃないですか」

美恵子はスクールバッグのスプレーに手を伸ばしかけていた。するとそのおばさんも、シャネルのバッグから携帯用のゴキブリスプレーを取り出し、美恵子に見せた。

「おばちゃんも、こういうの、持ってるですの」

「早く去ってください。警察呼びますよ」

「あなたこそ。道路使用許可証、無いでしょ?法を守らないと言葉の自由だってなくってよ?」

その言葉が言い終わらないうちに、美恵子はゴキブリスプレーを宗教勧誘おばさんに噴霧した。おばさんも小型スプレーで応戦し、二人のスプレーの交差点には虹がかかり、真実の天使が羽を無くしていた。

「あら、素敵な虹ね。あなた、もし本当の自分を見つけたかったら、私たちの所に来なさい」

「私は、与えられた答えなんて嫌です。自分で言葉を組み合わせて、自分で答えを見つけます。早く神様の道場、行ってください」

 そのおばさんは小型スプレーの先っぽをペロりとなめて、その場を去った。美恵子みたいに、大衆性の多い場所で自分を貫くということは、とても大変なことのようだ。あたしもいつか、美恵子ちゃんのスプレーで、もがくのかな。


今日の美恵子の日記④


「カエルの解剖で網膜とレンズ水晶体を一通り話し終えたキス魔が個室居酒屋のスペースで銀座論を語り焼き肉の裏に何もないと信じ込み片面だけ焼いてそれを牛に食わし、寿司職人の最初の日記に女の子のスカートの折り目の数が丁寧に描かれる」


「ねえ、美恵子」

「なあに、咲希ちゃん」

 私と美恵子は、すっかり昼休みに弁当を食べ合う仲になった。

「この前、私の友達が、美恵子が宗教勧誘にあって、ババアとスプレー合戦したって聞いたけど、だいじょぶだった?」

 美恵子は少し考えた。

「うん、だけどね、ババアの噴霧と私の噴霧が交わった瞬間、青色の虹が出てきたのよ。それって、運命だと思って。もうすぐ、きっと王子様がやってくる」

 私の目の裏に、蟹のイメージが浮かびあがった。

「そ、そうなんだ。虹って、水以外でもできるんだね」

「ねえ、咲希は虹の境目ってどこにあると思う?私も自分の詩を虹みたいに、現実と虚構の境目がわかんなくしたいんだけど、いつもそれが難しい。有限と無限の間の世界を、たかが女子高生の私が描くのって、無理なのかな」

美恵子はお弁当の、パンダの形をしたウインナーを食べながら言った。

「うーん、確かに、虹、どこから虹で、どこまで虹か、わかんないね。そのババアに聞けば教えてくれるんじゃない?」

 その言葉に美恵子がバン!と机を叩き、大きな音が出た。クラスが一瞬シーンとなり、私の目の裏の蟹のイメージも消えた。

「あたし、宗教は嫌!そんなことするくらいなら、キャバクラで痛い子になって指名取って、社長さんに養ってもらう!」

 美恵子は泣いて教室を出てしまった。しかし水筒に水道水を補充するとすぐに私の前に戻ってきて、その水道水をゴクゴク飲み始めた。

「咲希ちゃん、あたしと一緒に、カフェ、やろ」

「あたしたち女子高生に、カフェ、できるかな。税金とか、わかんない」

「だいじょうぶよ。ちょっと適当なサンドイッチ出して、保健所であたしが色目使えば、すぐにお金ガッポガポ。そこで私はコーヒーにその日の詩をオマケでつけて飲ませるの。もちろん私の詩がわからない客には、帰り際にぶしゅぶしゅゴキスプ、かけてやるわよ。ねえ、放課後、不動産で物件見よ?」

「ほ、保証人は?」

「美術の鈴木先生がやるわよ、あいつ狂ってるから」

 あたしと美恵子は放課後、不動産に行った。もちろん行く前にインターネットで物件を調べられる。駅前にスナックの居抜き物件があり、家賃はたったの四万円だったのだが、築年数が五十年。

「ねえ、美恵子。初期費用は?あたし、お小遣い少ないし、バイトもしてない」

「あたしが詩を売って稼いだ数十万があるわよ。安心して、女は売ってないから」

「毎月学校の後だけで四万も、稼げるかなぁ」

「余裕余裕、私たちは夜の十時までしか働けないけど、あとは美術の鈴木にギャラリーかバーでもやらせて、お金を折半すればいいの」

「美恵子、天才!あたし、美恵子と結婚する!」

「女同士は、まだ結婚できないわ。そのうち、法も変わるかもね。できればあたしの詩で法さえ変えたいんだけど」

 美術教師の鈴木が、自分の拳を口の中に出し入れしながらやってきた。どうやらこれは歴史小説の新選組、近藤勇を表しているらしい。

「んがぁ。てめぇら、店やんのか?」

「はい、先生。お金儲けと詩の普及です」

「んががぁ。サイン、するぞぉ。どこだ?」

 鈴木は保証人の欄と保護者欄に名前を書いてさっさと帰ってった。

 その物件は普通支払うはずの初期費用の敷金半年分も一ヶ月で済み、礼金も不要だったため、十数万で借りられた。もちろん費用は全部、美恵子が払った。

「やったぁ、これで私と咲希ちゃん、オーナーね。店をとても有名にして、ガンガン詩を売っちゃお!」

「美恵子、駅前の活動は良いの?」

「それも続けるし、カフェも、やるの。咲希ちゃんは、ギターでも始めて歌いなさいよ。私が作詞すればすぐに人気になるわよ。きゃは!詩と音楽の女子高生が経営するお店ってステキ!」


美恵子の日記⑤


「サバイバル・ポテトさん厳しめ極寒パラダイス。ナイスなあたり目。裏街道ゴースト。小古(おご)呂(ろ)島から伝わる舶来のガンモ充足、キリギリスの甲殻細胞に満ちる炭酸エネルギー。噛みしめる。狐の行動民俗学に壊疽したコップダンスが執着、恵美の裸足にそっと寄り添うロウソクの約束」


私達の放課後カフェ、スタート。最初はクラスの子たちや学校関係者、親たちまでが来てそれなりの盛況をみせた。もちろん女子高生なので紙コップにペットボトルのお茶やジュースを入れただけで終わり、それらを百円や二百円で売るだけだった。洗い場のシンクが二つ以上無いと営業できないらしいが、美恵子が保健所に行って色目を使い、その辺はクリアできたらしい。校長先生もやってきた。

「がっはっは、咲希さん、美恵子さん、すごいじゃないかね。都立だから本当はこういうの禁止なんだが、教育の自主性を守るために委員会連中の頭をぶん殴ってやったよ。私も昔は空手をやっていてね。牛の一頭ぐらいなら丸まる食ったもんだ。倒した、じゃなくてね。がっはっは」

 美恵子はとてもめんどくさそうにお茶を出し、半分聞き流していた。

「まあ、うまくやりなさい。教育委員会が何か言ったら、私の得意の空手に火がついて、おじさん、燃えちゃうからね。ただし自己責任ってわけにいかないから、顧問には美術の鈴木先生を置く。これはあくまで校内活動だ。地域と密着した自主性を発揮すれば、私にお金が入って、新しい空手グッズが買える。おっと、空手だから何も買うものは無かったね、がっはっは」

 校長は一杯だけお茶を飲むと学校に戻っていった。

「ねえ、咲希、なんなのあの校長。キモい」

「しょうがないよ、あたしたち未成年で公立なのに店をやれるだけ感謝しよ」

「ねえねえ、結構、保護者も私の詩、買ってったよ」

 屋号は二人の意向で、喫茶リアル、という名前になった。

「あとさ、咲希ちゃんのギター弾き語りタイムがきっと熱いよ。あの校長、それも見ないで帰ってった。なによ、空手なんて。あたしにはコレがある」

 そういって美恵子はカウンターにむき出しで置いてあるゴキブリスプレーを取り出した。お客さんで来ていた近所の老婆がそれを見て恐れだし、

「わしにかけんで欲しいババ…」

 と、命乞いをしてきた。

「かけませんわよ、ババ。えへへ!」

 美恵子が真似をしてふざけている。それを見た老婆のご主人が怒りだした。

「貴様!何がババだ!わしの妻の口真似をするんじゃない!」

 喫茶リアル、という名前は、私たちはまだ女子高生だけど、これから先も真実を追求していこう、という意図で名付けた。

 午後五時になると、私の弾き語りタイム、というのがあるらしい。私は美恵子に詩を作ってもらおうとしたが、それだと聞く人がわからないので、普通のラブソングを書いた。美恵子もそこにはこだわらなかった。

 私のギターから、夢の耐性層が奏でられ、音符が次々と階段から降りて自殺、幻の夢の水牛は次々と斧で殺戮する牧場経営者の元へ葬列の長蛇を成した…。つまりこれは、初めてで失敗はしたけど、それなりにうまくいった、ということだ。

 おひねりチップをたんと貰い、それを美恵子と分け合った。

「すごい!咲希ちゃん、弾き語りの才能あるよ!私の詩じゃなかったけどそんなの気にならないくらい感動的で、直観に訴えてきた!ねえ、今からこんなカフェほっておいてさ、街に出てあたしの詩と咲希ちゃんの歌で有名になって、街に一泡、吹かせましょ!この前蟹のビジュアルが目の裏に浮かんでたから、その蟹の泡と一緒にぶくぶくと街で、一旗揚げ道中記、しましょ!」

 カフェにはまだ、たくさんのお客さんがいる。

「んん、美恵子は行ってきてもいいけど…、この人たち、どうすんの?勝手にここにいられて何かあったら…」

「鈴木がなんとかするでしょ、あいつ狂ってるから。私、もう詩を売る準備ができたわよ」

とりあえず、顧問の鈴木を召喚して続きを頼んだ。女子高生のいないカフェなんて何も目新しくないが、鈴木の独特の現代美術を愛する根強い濃い固定ファンが少し残り、加えて六時からの弾き語りタイムを楽しみにしていたおじさんたちもやってきた。鈴木は私の弾き語りの代わりに、近藤勇の拳の口出し入れを披露した。

「ん…ぐぁああ…、んががぁ…」

 鈴木のファンは大満足だったが、女子高生目当てでやってきてあまつさえアドバイスをして悦に入ろうと思ってたおじさん達にとって鈴木の拳の出し入れはなんの価値もないどころか不快だったので、そのまま料金も払わずに帰ってしまった。

「ん…、がぁ…、金、払、えぇ…、がはっ」

 鈴木は自分の拳がつかえて追いかけられなかったが、鈴木の絵のファンはそのしぐさにも納得して、多めにチップを払っていった。私の弾き語りと美恵子の詩にはお金を払わないくせに、ホント嫌になっちゃう。

 午後六時、私たちはいつも美恵子が詩を売っている場所に立っていた。私が覚えたてのギターを弾くと、すぐにおじさん達が寄ってきた。

「んん?いつも詩を売ってる子に友達ができたのかぁ。おじさん、チップをあげよう」

 その言葉が言い終わらないうちに美恵子はゴキスプを取り出し、そのおじさんの顔と、手に持っていた千円札に吹きかけた。

「ぐはっ!なにすんだ!」

 のど元に、銀が絡みつくような違和感がおじさんに残った。

「あたしたち、女は売ってないわ。その証拠に、私の詩はどこにも男に媚びなんて売ってない。女と話したいならここじゃなくてキャバクラか女子高生カフェにいきなさい。あ、喫茶リアルにきても、接待なんてしないわ。あたし、お金は嫌いじゃないけど、女を売る気はない。追撃のスプレーが欲しくなかったら、さっさとここから出てって!」

私はその最中も、ギターで歌を歌い続けた。おじさんと美恵子が言い合っているが、おじさんが一瞬離れた後に駅前の交番から警察がやってきて、私たちは補導された。詩の販売や演奏より、ゴキスプがまずかったのかもしれない。交番で美恵子と私と警察官。

「君たち、家の電話番号は?」

 私たちは黙ってる。こんな一兵卒に私たちの個人情報を教えたくない。仕方なしに鈴木の携帯番号を教えた。鈴木は店を途中で閉めて、私たちを引き取りにきてくれた。

「んがぁ…、んぐんぐ、うぁ…」

 鈴木は交番に来るときも、近藤勇の真似をしながら引き取りに来てくれた。

「鈴木先生!」

 私も美恵子もまだ十七歳。まだまだ世間も大人も怖い。たとえ鈴木みたくイカれた教師でも、私たちにとっては心強い。

「ちょっと、あなたが保護者ですか?なんで拳を口に入れてることを誇示しているんですか?」

 鈴木はやめない。

「んぐぁ。うちの生徒を返しなさい。私も公務員だ。君の士官学校時代の教官と、知己がある。悪いことはいわねぇ、嬢ちゃんたちを返しな」

 この時の鈴木のかっこよさは、のちに私たちの学校で語り継がれる。最高にかっこよかった。いつも口に拳を出し入れしてるだけの鈴木が、国家権力に対してひるむことなく、映画のワンシーンのように私たちを助けに来てくれた。

「んがが!早くしねぇと今度はこの拳を手前の口に突っ込むぞ!」

 警官がその言葉に反応し、腰に帯びていた警棒を伸ばし、鈴木の頭めがけて振り下ろした。鈴木は口の中から拳を取り出し、その拳骨で警棒を防いだ。

 鈴木は中手骨を骨折したが、きっと生徒の前で良い恰好をしたかったのだろう。帰り道に泣いて謝る私たちをなだめながら、

「明日もカフェ、続けろ。地域と密着した活動をするとバカ校長が喜ぶ。筆が持てないほどの骨折じゃねえ。さ、家に帰れ。カフェは俺が締め作業しておく」

 私と美恵子はそれぞれ家に帰った。明日も学校とカフェの両立だけど、今の私には勉強やお金儲けよりも、美恵子に勧められて成り行きで始まったギターの弾き語りが楽しい。もっと上手く歌えなくちゃ。


美恵子の日記⑥


「イラン少女が薪割りの小遣い稼ぎで秘部をメスシリンダー投入。骸骨状のスポンジ脳が温泉卵制作者の街に送るための空中コンベアを一層打尽にして、卵の代わりにキャベツが空中を行きかう。ラビット育成家の深層心理によると私たちの細胞は日夜胎児の悪夢にさいなまされ空腹で石を食べるほど。その石たちは卵ボーロより柔らかく、お母さんの優しさほどに保湿されていない」


 私たちはカフェを始めたけど、紙コップにお茶を出すだけの簡単な作業で洗い物などもないので、普通に学校生活と両立ができた。

 高二にもなると、クラスの様々な人間との交流が出てくる。クラスの男子に、鴨田(かもだ)、という奴がいて、そいつも詩を書いているらしいので、何かのきっかけで美恵子に舌戦を挑んできた。

「お前が、駅前で詩を売ってる、自由言語女子高生か」

「あんた、誰。ああ、文芸部の鴨田ね」

「なんだか、めちゃくちゃな詩と女で少し名を上げてるらしいが、君が男だったらどうかな」

 美恵子を挑発している気もなく、嫌味で言っているのであろう。

「ふーん、じゃあ、鴨田君の詩も見せてみてよ」

「俺のは凄いんだぜ。もう、文法とか単語自体をバラバラにしている。お前みたく、イメージの切り取りどころの騒ぎじゃないんだ」

美恵子は鴨田に渡された詩を見てみた。


「こじゅ  んくり

     しき


   そも         ごとい   な     はび

  いる    し、し、し、      に、な、か  そも

ほとど    ゃいゆ    にて  ぼ   もろ   ぐ 」


「うーん、なんていうか、二十一世紀にもなって、まだ、これかって感じね」

鴨田は顔を赤らめた。

「な、なにが良くない」

「高校生まではこれでいいけど、これ、小学生でもできるんじゃない?ましてや、機械が発達すれば、これ人間じゃなくてもできる」

 鴨田は泣いて帰ってしまった。まだ学校の授業が残っている。

「ねえ、美恵子、なんで鴨田のあれ、ダメなの?」

「あ、咲希ちゃん。だって、あれ、ただ単語をバラして並べ替えてるだけだもん。確かに試みとしては私もやるときはあるけど、あれって小学生でもできるんじゃない?あれだけで何かを為したかのように振る舞われるのは、あたし嫌。あいつが彼氏じゃなくてホント良かった」

 私は黙って聞いていた。

「だけど、一見、なんか凄そうに見えるじゃない」

「ううん。一見だし、一瞬はごまかせても、価値は無い。だけど、一般的には私の詩より彼の作の方が凄いってなるのかもね。否定はしちゃったけど、私だってまだまだ感覚を切り取りきれてないし、まだまだ直感が甘いところがいっぱいあるわ。だから訓練したり、カフェをしたりして、少しでも感性を磨きたいって思う」

「鴨田、美恵子のこと好きなんじゃない?」

「え?あたしより、咲希ちゃんの方が可愛いわよ。あなたがお嫁さんになりなさい」

 私たちは燃え盛る恋の話で盛り上がった。


美恵子の日記⑦


「最後のカラスミを守る。星座はまだ太古より意味を変えていない。白馬の返り血を約束の時計に流し込み、時間を教会にし、道のおばさんと幸福な結婚。ダガーにランダムに塗られたホワイトジャムの効能にリウマチが入ってない。大阪地区では物議を醸し、反逆のギターが爆裂のギターソロ」


 美恵子は学校が終わると、数時間だけカフェで働き、夕方になると駅前に行って詩を売るルーティンができていた。駅前で美恵子が詩を売っていると、ラッパーが絡んできた。

「おい、お前が自由言語女子高生?を自称してる女子高生か。お前の詩、どこが自由なんだ。俺たちの方が韻も踏めててかっこいいぜ?」

 ラッパーは美恵子の詩を読みながら言った。

「あなた達、少し韻を踏めただけで楽しそうね。楽しそうな人達がなんとなく集まって、何かをやってるような気分に集団でなってるだけじゃない。実際に内容が無いのはどっちかしら」

 美恵子は臆せず、持論を展開した。

「てめっ、女。ふざけんな。俺たち、ワルだぜ」

「ふん。何がワルよ。悪のフリしてるだけじゃない。本当の海外のラッパーさんは、ハングリー精神から来るのし上がりよ。あんた達みたくすぐに韻が踏めるインテリがワルのフリして、そういうの、かっこ悪い。インテリとしても外法者(げほうもの)としても中途半端ね」

「俺たちに喧嘩売ってるのか」

「喧嘩してるフリじゃない。ちょっと困ると親に感謝するクセに。日本語の母音は五つしか無いのよ。それがあなた達、ちょっと受験勉強や医学部薬学部で覚えた英単語や専門用語の語呂が日本語と近いってだけでカタルシス得てるじゃない、平安時代の俳句貴族と同じで、金持ちのお遊びレベルね。必死にならなくても、親が金持ちだし、卒業してもエリート資格でたんまり儲けられる。どこにも命なんてかかってない。せめてヒッピーになりなさい」

 ラッパーは完全に怒り出してしまった。

「女だと思って安心してるな」

「なによ。これだけで怒るなんて、ますますラッパーとは言えない。だってラップは黒人同士が悪口を言い合って先に怒った方が負けってゲームから発祥してるってネットに書いてあったわ。韻をなぞって悦に入ってるだけの偽ラップなんて、ゴキスプでぶしゅぶしゅよ」

 美恵子がカバンに手を伸ばした瞬間、ラッパーの蹴りが美恵子の手の甲に当たり、ゴキブリスプレーがカラリと地に落ちた。

「い、痛い」

「俺ら、格闘技もやってんだぜ?ボコボコにしてやるよ、チェキラ」

 その時、美恵子をストーカーしていたクラスの鴨田が奇声を上げながら助けに現れた。

「  つな!  ひぎし!   も!  にた! かねばさ!  しずぢ! たな  ぺ    ょっと   ねばだ!」

「鴨田くん!」

鴨田はラッパーの腰元に後ろからタックルし、テイクダウンした。

「美恵子さん、逃げて!」

「で、でも」

「さっきは僕が間違ってた。確かに僕は単語をバラしただけで悦に入って何かを成したような気になってたよ。このラッパー以下だ。そんな自分への戒めとして、こいつとカタを付ける。美恵子さんのことが好きだからじゃないから、安心して」

 鴨田が馬乗りのマウントポジションの状態で話している。

「てめっ!どけよ!俺ら格闘技やってるからこんな素人の馬乗りぐらい、すぐに返すぜ。ケガしないうちに消えな」

「そぞ! ひにぎし!  ぬけなぺあ、そもんぞろす! な!」

 鴨田はおそらく喧嘩経験も無いであろう素人の拳を振り下ろした。その何発はラッパーの顔に当たったが、すぐにそれらはさばかれてしまい、いつの間にか体位が入れ替わり、今度は鴨田が下になってしまった。駅前の通行人たちはそれをカメラで撮影している。

「になば…  し…   そうと…  がなさ…  いき…」

「てめっ、音節をバラしただけでラクしやがって。俺らがどんだけ英語辞書や国語辞典調べて韻の苦労してると思ってんだ!ぶん殴ってやる!」

 ラッパーの熱い拳が何発も振り下ろされ、鴨田の顔が赤く腫れてきた。

「ほそ… みえもんこ… おっとぺりー… になばさんだ…」

 美恵子は落ちていたゴキスプを拾い、ラッパーに吹きかけた。

「うおっ!喉がいてぇ!チェキラ!」

ラッパーはもんどり打って鴨田の上から崩れ落ち、もがきだした。それを通行人が、カメラで撮っている。

「鴨田くん、逃げて!」

「しなはっぱ… げそ、  もながなんす、もそすす、ひねっし…」

 鴨田とラッパーが二人、地面でのびていると、ラッパーの仲間たちがマリファナを吸いながらやってきた。

「うおぉい、なにやられてんだよ、チェケラ」

 おそらく、ラップはそこまでできない、本当の愚連隊のようだ。通行人たちは、マリファナをカメラで撮影している。

 美恵子は鴨田の片手を肩にかけて、近くの喫茶店まで遁走した。

「鴨田くん、助けてくれてありがとう」

「違うんだ、自分の幼稚性、および、ロマンスの欠如の表現として、僕はラッパーに喧嘩を売っただけだ。美恵子さんは関係ない」

「音節をバラすのと、音節で韻を踏む、という異なる表現に対する対戦を、肉体でおこなったってことね。本当に男ってバカ。あたしはあたしの詩を書くだけよ」

「だけど結局はゴキブリスプレーに全てを助けられてしまったね。言葉で何か現実を変えられるのなんて、わずかだよ」

「あたしだってそんなの、わかってる。だからゴキスプを持ち歩く。結局は、言葉なんかじゃ、自分の体も守れないのね、こんなに詩を書いていても」

 美恵子がポロポロと、泣き出した。その泣いた涙が喫茶店で注文したココアにこぼれ、ココアに浮かんだ波紋が魔女の笑顔のように見えた。それを鴨田が飲もうとしたので、その手を美恵子が払った。

「なによ、こんな時まで、つけこもうっていうの」

 また美恵子がポロポロ泣き出した。その涙が注文したココアに、やはりこぼれ、波紋が魔女の笑顔だった。鴨田はキスしようと顔を近づけた。

「やめて!」

美恵子はゴキスプを鴨田の顔にかけ、鴨田はむせた。ココアの波紋でできた、魔女の笑顔は、鴨田を見て更に顔をゆがませた。

「ぐへっ、ぐへっ…、ゴキスプ、効くなぁ」

すると喫茶店の店主が出てきて、二人を追い出しに来た。

「ちょっと君たち、高校生なのに制服からマリファナの匂いがするね。本当は警察だけど、なんで私がマリファナの匂いだとわかったかを言及、および追及されたら、まるで私が家で隠れてマリファナを吸ってると思われかねない。そうじゃないんだよ。だけどマリファナの匂いを落とすためにも、さっ、おうちに帰りなさい。ゴキスプもそんなにプシュプシュされると、他のお客さんが倒れてしまう」

 美恵子と鴨田は店を出て別れた。美恵子は言葉で世界を変えたいのに現実は変わらず、保身のために言葉以外のものに頼る現実が悲しかった。鴨田は喉にゴキスプが絡みつき、家で休まねばならなかった。どうして人間は世界が変わる訳でもないのに、目的とは無関係の詩や韻や、音節分解をするのだろう。それはまた、各々の人生テーマに委ねられる。


美恵子の日記⑧


「ニンニクカフェでピラミッドニンニクという三角錐状のそれが人気で、それを食べると五秒で子供が生まれる。名前は全員佐藤にしなければいけません。校舎では廃逆がブームとなって壊疽(えそ)粥(がゆ)をどれだけ冷たく食べるかでその残存性及び校内ヒエラルキーが決まります。車掌さんの出す北海道ニセコへの招待券は三回まで断っていいという伝説があります。私はそれを信じる」


「ねぇ咲希ちゃん」

 私と美恵子がお昼休み、話している。

「なぁに、美恵子。ラッパーとやりあったんだって」

「そんなことはどうでも良いの。ねぇ、咲希はあたしの詩、好き?」

「好きだよ」

「そんな好き嫌いはどうでも良いの。私は他人の評価じゃなくて、この言葉の作業によって、人類の集合的無意識が変わってるかが知りたいし、それを変えることで現実に影響を及ぼしているかが、知りたいの」

「うーん、私、難しいことわかんない」

「倫理の先生がちょっと言ってたユングよ。集合的無意識、とは言うけれど、つまり、私たち人類が持つ、共通の無意識よ。そこを意識的に言葉を変えることで、無意識に還元して、変えられないかなって」

「美恵子はそれをして、どうしたいの?」

「どうしたい、ってほど何かしたい訳じゃないけど、世界や現実を変えたい。だけれど、いくら私が詩を書いても、女としてしか思われないし、男には喧嘩で勝てない。ゴキスプにも頼る。それが悲しくて、私、鴨田の前で泣いた。その泣き顔があまりに美しいから、キスまでせまられた」

 当の鴨田本人は、昼休みは寝てるふりをして机につっぷしたまま、外界と交流を絶っている。

「え、鴨田、キスしてきたの。怖い。犯罪」

 私は嫌悪感から、つっぷしてる鴨田に希釈して薄めたゴキスプを吹きかけた。鴨田が少しむせて咳き込んだのを確認し、美恵子の元に戻った。

「咲希ちゃん、あたしの詩じゃ、世界、変わらないかな」

 再び美恵子が泣き出してしまった。他のクラスメイト達は各々が自分たちのことをやっているので私達には気づかない。

「ねえ、美恵子。詩も頑張ってるけど、あたしたちはカフェだってやってるじゃない。何か行動を起こして、現実を変えてる。現実で現実を変えるんじゃ、ダメかな?」

「それじゃ、このゴキスプと同じじゃない!現実で現実が変わるなんて当たり前。ねぇ、咲希、なんで私たちって生まれてきたの?」

 美恵子が錯乱してきたので、私たちは開かない屋上のドア前の階段スペースに移った。

「美恵子の答えが出ないこと、苦しいね」

「あたしは答えなんて要らない!知りたいだけ」

「じゃあさ、この前の宗教勧誘おばさんにさ、ついて行ってみる?放課後、あたしも行くからさ」

美恵子は少し考えこんだ。自由言語女子高生を称していても、まだ私たちは十七歳。揺れる感性の年頃で、鳥にも英雄にもなれる。だけど答えは人生から与えられない。嘘の答えでも欲しくなる弱さだって、まだ持ち合わせている。宗教が答えをくれるなら、よしんば、答えがもらえなくても、ヒントにはなるかもしれない。私たちは、宗教おばさんの道場に行くことにした。


美恵子の日記⑨


「命のコンニャクを礼拝堂に捧ぐ。仁義のスープを盃に、微粒子性昆虫と廃逆式ヘドロを交配させビッグ神田に収斂させること。全国混ぜるな危険協会で会員一致の粗暴な文学を決めかけるも、自殺者の両親から撫で上げた丸い鉄球を夢に出すぞと脅されているので、熱海の温泉で正座してそれを待ってます」


放課後、私たちは近所の宗教道場を訪れた。そこには以前、美恵子と対戦した勧誘おばさんも居た。喫茶リアルは休業日にした。

「あら、あなた達、きっとくると思ったわ。答えをたくさんあげるわよ」

 勧誘おばさんは宗教特有の作り笑顔を顔にたたえて言った。

「何がたくさんの答えよ!真実って一つじゃないの?」

 美恵子が錯乱した。

「ふふ、若いわね。答えがあるとか無いとか、一つとか複数とか。おばさんにもそういう時期、あったわね」

 おばさんは小型のゴキスプを自分の顔に噴霧した。

「ゲホゲホ!あぁ、効くぅ、あたし生きてる。さ、案内しますわよ」

 今のゴキスプが何の意味かわからず、私たちは宗教施設の案内を受けた。忍耐の間、と書かれた看板の部屋を開けると、なんと、美術教師の鈴木が上半身裸で麻縄で緊縛され、近藤勇の真似もできなくされていた。

「んぐぁ…、んがっ、ふんぐぁ…」

 もがく鈴木を、宗教服を着た男性職員が後ろからムチでバシバシ叩いている。

「んがっ!んがが!」

 なんで鈴木先生がここにいるのか?そして何よりも、鈴木先生が宗教に心を依存していたという事実に、私も美恵子もショックを受けてしまった。

「あら?この方、あなた達の先生なのね。宗教もお学びになって、とても熱心ね」

 私たちは先生に声をかけず、忍耐の間を離れた。そして、真実の間、と書かれた部屋に通され、そこに一番偉い人が居た。彼は手かざしで信者を治していた。

「君たちですか、答えが欲しい女子高生たちは」

 尊師は話しかけた。

「よろしい、答えを授けましょう、実は私達人間は…」

 尊師の言葉が言い終わらない内に、美恵子は私の手を取って部屋の外に駆け出した。

「咲希!やっぱりあたし、自分で答え、見つける!こんなところ、出ましょ!」

 私の脊柱(せきちゅう)に、熱々の蟹の卵が無数に付着し、それらが孵化(ふか)した。忍耐の間にいる鈴木を助けようと思ったが、先生にも先生なりの答えの見つけ方がある。私たちは玄関から飛び出し、そのまま近くの公園へ駆け抜けて行った。


美恵子の日記⑩


「同級生のために百円で買ったお菓子を九十円で売るタカシ君が数学問題に昇華する前に愛の深度を測る国語の問題に付したい。ゲインを上げれば日本の角度が三度傾く。砂浜での腕立て伏せ大会に女性でも男性でも差別なく参加させてくれる裏には、君の足のウラを来世まで眺めたい鳥瞰(ちょうかん)主義者の希望があり、その二十七回大会では反則のガーナ測量士まで乱入と相成る」



 喫茶リアルでは、新しいコンセプトの食べ物を出そう、と、私と美恵子で話し合っていた。

「ねえ、咲希、何か面白い食べ物、ないかな」

美恵子は詩では自由にイメージを駆け抜けるのに、こういった時のアイディアはまるで出てこない。

「うーん、そうね。この前、美恵子の詩に、ナマズが出てきたじゃない?ナマズ粥、なんてあったら面白そうじゃない?」

「咲希って、天才!まるであたしの詩が具現化してしまったようね、早速ナマズを仕入れましょ!」

 私と咲希は、自転車で川に向かって、ナマズを捕まえに行った。

「でも、美恵子、ナマズって衛生的にどうなの?」

「わからないわ。喫茶店営業に必要な、食品衛生管理者?ってのも鈴木が持ってるし…。鈴木、川に呼ぶ?」

 鈴木は今年は美術部の顧問ではないので、放課後でも川に来てくれた。実質、私たちの顧問?というかおもり役?みたいで申し訳が無い。

「んがっ、お前ら、カフェも開けないで、なにやってんだ」

「違うんです先生。これは、あたしと咲希の、新メニュー開発で…」

「何を客に食わせる」

「実は咲希の提案で、ナマズ粥をやることになったんです。だけどナマズって買うと高いし、だったら川で取っちゃおうって」

 私たちの住んでいる東京では多摩川が一番大きい川なので、多摩川の上流に来ていた。

「ふむ、ナマズ粥、か。女子高生が出す、ナマズ粥、いけそうだな」

「あと先生、この間、私と咲希で宗教施設に行ったら、先生が忍耐の間、という部屋で縛られてムチで打たれてましたよね。あれは何なんですか。先生も宗教が無いと生きられないんですか」

 鈴木先生は袖をめくって縄の痕を見せながら言った。

「ははっ、逆だよ。あいつらに俺が必要なんだ。だから俺は信者のフリをして奴らにムチを打たせてやった。そういうことも、大人になったら必要になる。そのうち、わかる。そしてそんなことがわかってしまうような大人にはなるな。今は、内なる自主性にまかせ、ナマズのみに専念しなさい」

 美恵子は、大人はすぐにそのうちわかる、とか言って逃げるんだから、という顔をしたが、言葉には出さなかった。

「鈴木先生、美恵子と相談したんですけど、衛生的にナマズはだいじょうぶですか?」

「うーん。俺も一日の食品衛生講習だけで免許もらったから、わからんな。あれも金儲けだわな」

「批判はいいんです、先生。今はナマズの是非を」

「フグならフグ免許が要るけどナマズ免許は無いな、やってみぃ」

 鈴木はアドバイスをすると帰っていった。

 私と美恵子は、両手に何も持たないまま、川を見て立ちすくんだ。ナマズを捕まえるには、素手ではできない。せめて網が要る。

「咲希ちゃん、あたし、釣りしたことない」

 私だって無い。

「困ったわね、どうしましょ」

 すると近くのテトラポッドに、この前争ったラップグループたちがラップを披露し合いながら魚を焼いて食べていた。

「あ、咲希ちゃん。あいつらに道具、借りましょ」

「えっ、でも美恵子、この前あいつにスプレーかけたでしょ?そう簡単に貸してくれるわけないよ」

「だいじょうぶ、あいつらマリファナやってるから、すぐに忘れるわよ」

 美恵子は制止を振り切って、ラップグループに近づいた。

「えっと、ラッパーさん、この前はごめんなさいね」

 ゴキスプを食らった、喧嘩を売ってきたラッパーが答えた。

「ううん、僕もごめんね、詩の悪口言って。手の甲も蹴っちゃったし、痛かったよね」

「うん、まだヒリヒリする。その償いとして、あなた達の網を貸してくださる?」

 ラッパーグループたちは相談を始めた。なにやらいかがわしい葉っぱを紙で巻いて吸ってい、(大江健三郎の“い止め”)、それらはおそらくマリファナだった。

「わかった。網、貸すね。その代わり、この前の駅前であったこと、許してね」

「ほんと?ありがとう!嬉しい!ナマズが取れたらお返ししますわね」

なんとか美恵子は網を借りることに成功した。私たちが戻って網でナマズを探していると、鴨田が自転車で現れた。

「あれ、鴨田くん、どうしたの」

 私が質問すると、

「ああ、うん。文芸部のネタ集めに、ちょっとね」

 と、答えたが、おそらくは美恵子が目当てだろう。そしてラッパーグループが網を貸したことで美恵子からの株が上がったことを恐れた鴨田は、上半身裸になり、そのまま川に飛び込んだ。

「網、無くても、俺がナマズぐらい取ってやるよ!なんだい、そんな網、捨てちまえ!」

 明らかなジェラシーだが、美恵子は、にぶくて気が付かない。

「咲希ちゃん、なんだろね、鴨田。よっぽどナマズが好きなのかしら」

 するとマリファナを吸っていたラッパーグループの一部が、薬による幻覚症状を呈し、泳いでいる鴨田を、襲ってくる怪獣の幻覚と誤認し、石を投げ始めた。

「怪獣が、襲ってくる!」

 鴨田には当たらなかったが、すぐにその幻覚者は仲間の腹パンチによって気絶させられた。

「美恵子さん、僕がナマズ、捕まえるから、そんな網、捨ててください!」

「いやよ。あたしも手伝えば時間は二倍。愛も二倍。早くナマズ粥の試食するのよ」

 すると電車が走っている鉄橋の下の影に、すーっと黒い影がうごめいた。おそらくは、ナマズかもしれない。

「あ!咲希ちゃん、ナマズよ!あたし、網でつかまえる!」

 美恵子が石の上を器用に歩きながらナマズに進む。鴨田も泳ぎながらナマズに向かう。

鴨田の方が先にナマズの近くに着き、両手でナマズをわしづかみにした。ナマズは鴨田の胸の中でピチピチ踊り、ラッパーグループがそれを見て、

「へぇ、あいつ以外に根性あるんだな」

 と、感心していた。自身のグループに勧誘したい狙いがあるのかもしれない。

 川岸に戻ってきた鴨田は、石の囲いの中に生きたナマズを放り投げた。新鮮なナマズがピチピチと動いている。

「美恵子さん、僕が捕りましたよ」

「ありがとう、鴨田くん。詩以外にもこんな才覚、あったのね」

「はいっ」

 しかし次はこれを調理しないといけない。また道具をラッパーグループに借りなければならない。

「咲希ぃ、あたしちょっと、ナイフと鍋、借りてくる」

 美恵子が行こうとすると、嫉妬した鴨田がそれを制止し、生きているナマズを手の爪でさばき始めた。

「僕が、いるんですよ、僕が。僕がやりますから」

 鴨田は意地だけでナマズを解体し、内臓までほじった。

「わぁーっ、鴨田くん、すごいわね。音節だけじゃなくてナマズの解体までできるなんて」

 死んだナマズの目が宙を見つめている。しかし、今度は粥を作るための火が必要だ。

「咲希ぃ。あいつら、マリファナを吸う時のライターがあるよね。ちょっと借り…」

 再び鴨田がそれを制止し、木の棒を見つけて自分のティッシュに差し込み、両手で火をおこし始めた。愛の力で摩擦は強まり、煙となり、ついに火が起きた。

「鴨田くん、すごい!元々、分解した音節の詩を書くぐらいだから、やっぱり変わってるわね」

 そこまでラッパーグループに美恵子を取られたくない?男子の意地の力ってすごい。私は火が消えないように、燃えそうな物を投入してたき火にした。

 しかし、もう鴨田も終わる。鍋が無い。鴨田が両手の平でくぼみを作り、その手の甲を火に当て自分の手を鍋代わりにしようとした所で、ついに鈴木先生が止めに入った。

「そこまでだぁ、鴨田ぁ。んがっ、んぐっ」

 鈴木は一部始終を見ていた。

「恋や愛には、ここぞって時がある。だけどそれは今じゃねぇよ」

 鈴木が鴨田の両手を抑えているが、それを振り切って鴨田が両手を火に入れようとした。

「今なんです!僕には、今しかないんです!」

 鴨田の手が火で熱くなってる。ラッパーグループたちは指笛でそれをはやし立てる。

「やめねぇか。愛の火が起こっただけで十分だ」

「だけどこの火は美恵子さんの心の火じゃない!僕だけしか、まだ点(つ)いてない!ナマズ粥を作らせてください!」

「やめとけ。お前の手のひらでナマズがあったまった所で、ここにいる誰もが、米も粥も持ってねぇ。なんでそこに気づかねぇ。先を見て行動しねぇと二度とペンが持てなくなるぞ」

「大人はすぐに先とか後って言うけど、僕は騙されません!そうですか、米、持ってないんですね。ナマズ粥はここまでですね」

「そうだよ。いくらお前さんが愛を貫いても、米は生えねぇ。心の稲は実ってもな」

 鴨田はついにあきらめて自転車で帰ってしまった。

「咲希ぃ、鴨田って変わってるね」

「そ、そうだね」

「咲希にそんなに良い所、見せたかったのかな?このナマズ、喫茶店に持って帰ってお粥にしましょ。ラッパー君達に鍋まで借りちゃうと、あいつらの食欲でもって全部たいらげられちゃうから。彼らには後日レトルトカレーでも送っておきましょ。さっ、戻ろっ」

 私と美恵子は自分たちの店に戻り、鈴木も後から来るという。

 結論から言うとナマズ粥はクセが強く、一回目は中止になった。誰もやっていないという事は、誰かが試してダメだったという経緯だろう。鴨田が美恵子のことを好きかわからないし、あるいは男子にとって他の男子より良く見られたい、みたいな意地があるのかもしれない。動物の世界でもオスが舞を踊り、今回の鴨田のはそれの人間バージョンだった、と思えばいいかのか。それとも、もしかして、あたしのことを好きなのかも…。ううん、そんなわけ。だってあたしは美恵子みたいに言葉もつむげないから。今日のカフェの弾き語りでは、ナマズ音頭をやらなくっちゃ。

 十八時の弾き語りタイムに、私はナマズ粥に合わせて歌うはずだったナマズ音頭を披露した。

「〽ナマズっ、ナマズっ、あなたのヒゲは賢さの延長~」


美恵子の日記⑪


「メンマ構造研究家が渋谷のメンマに可塑性を発見。間違えてニュートンにそれを掲載するまでがお囃子。右手で殴りたいのにボクシンググローブは全部左のしかない。仕方なく歯科技工士の入れ歯を右手にはめて自分を殴り出血率で献血を決意。尻から生えた羽には奇跡を決め込み、ヨーロッパの騾馬(らば)を死ぬまで殴りたいと願う少女の幼いスプーンに髑髏(どくろ)の死神コンダクターが愛の数だけ腎臓を奪い不気味な宣言に躍り出る…」



 熱い熱いナマズ狩りが終わった私たち高二の夏、次なる秋では、クラスは文化祭に向けた出し物準備が始まっていた。クラスの出し物が何であるかに興味もなく、自分たちのカフェや詩や弾き語りに精を出していた私たちは、自分の出し物が披露できる作品の展示や、後夜祭で行われる生徒だけのライブに向けて調整していた。

「ねぇ、咲希は後夜祭のライブ、弾き語りの枠で出るんでしょ」

「うん、軽音楽部でも無いのに、カフェのパワーで出られるみたい。喫茶リアルで腕を磨いてるからかな。美恵子は?」

「うん。今年は私も文芸部に詩を出そうかなって。私は文芸部じゃないけど、鴨田がいるから、あいつに頼めばやってくれるかなって」

「去年は出してなかったのに、今年だけどうして?」

「去年の作品、まだまだ恥ずかしいのもあったし、生意気かもしれないけど、高校生にはわからないかな、っていうのがあった。路上販売は高一の秋からやってたけど、やっぱり社会人の方がわかるかな。とも思ったけど、やっぱり微妙ね。十六歳の女子高生が道で詩を売ってる、っていうレッテルばかり注目されて、九割は嫌な気持ち。今もだけどね。だけどたまにちゃんと買ってくれる人がいるからそのためにやってる感じかな。あと、せっかく高校に通ってるから、あたしの存在もカフェ以外に示したくって」

「た、確かに路上だと宗教の勧誘もあるし、ラッパーにも喧嘩を売られるし、私は平気だったけど、おじさんがキャバクラの代替として来たりもするもんね」

「私は平気だったって?おじさんのこと、平気なの?」

「あ、ごめん。そういう意味じゃなくて、私は絡まれなくて平気だったって意味。美恵子に真っ先に絡んできたじゃん、あのおやじ」

「あの時は補導されたけど、鈴木が助けに来てくれたね。早く大人になって自分で解決できるようになりたいな」

 昼休みのクラス内でこのように話していると、鴨田がやってきた。

「美恵子さん、あなたは文芸部じゃないけど、詩、出していいよ」

「ほんと?そんなことできんの?」

「平気、平気、僕が何とかするから。出したい作品の原本をくれれば印刷室で印刷して、値段をつけていいかはわからないけど、出すことはできるよ」

「文芸部の冊子に掲載、じゃなくて、あたし単品で出せる?」

「出せるよ。ナマズを指でさばくより簡単だね」

 鴨田はその後もお昼休みにしばしばナマズ粥を食べてアピールしていたが、クラスの誰もがそのことに気づかなかった。その独特の匂いから、あだ名がナマズ、と呼ばれるようになった。

「やった。じゃあ私はこれでオッケーね。あとは咲希の歌だけかぁ」

「ちょっと緊張する。カフェでやる時は大人が来るから多少のゆるさはあるけど、同年代となると、厳しいのかなぁ」

 後夜祭では、体育館で全校生徒の前で演奏しなければならない。私たちの狭いスナック喫茶とは広さも違う。それなりの対策が必要そうだ。

 あっという間に文化祭当日となり、私と美恵子はなんだか役があるような無いようなシフトで、クラスの受付に数十分座っただけで、あとは自由だった。美恵子の詩は、そこそこ、さばけた。

 後夜祭本番。後夜祭は他校生は入れないのに、例のラッパーグループが来ていた。

「ちょっと、美恵子、あいつら」

「ああ、マリファナ君たちね。やっほー」

 ラッパーたちが体育館の中をいつもの格好で近づいてきた。うちは私服の都立なので、目立たないといえば目立たない。中には美恵子に喧嘩を売った例のラッパーが居た。

「美恵子さん、こんちは、チェケラ」

「ああ、夏の時は、網、ありがとうラッパーさん」

「俺らタメだから、ケンゴで良いよ。俺、ラッパーのケンゴ」

 ケンゴが握手を美恵子に求めて伸ばした手の先を、鴨田が横切った。

「おい、君たち。他校生はここに居たら、いけないよ」

「ダチがライブするんだ、硬いこと言うなよ、ナマズさん」

 鴨田は数ヶ月前にケンゴに負けている。その後鴨田は一人で喧嘩武術を習いに行ってるらしく、数ヶ月の鍛錬だがそれなりの自信をたたえていた。

「おい、早く出ていかないと、喧嘩殺法をおみまいしてラップができない体になるぜ?それとも素手でお前らをナマズのように解剖してやろうか?」

 他のラッパーグループが鴨田を囲い始めたのをケンゴが止めた。

「わかったぜ、ナマズさん。こうしよう。今度俺たち、都心のライブハウスでライブをやる。そこで決着をつけるのはどうだい?もちろん、咲希さんや美恵子さんにも、出てもらう。四人でライブして、誰が一番かを競い合う。これで、どうだい?」

 なぜか鴨田とケンゴの試合に私と美恵子まで混ざっていたが、美恵子は二人のことそっちのけで話に乗ってきた。

「いいわよ、自由言語女子高生として、ポエトリーリーディング、するわよ。咲希は弾き語り、鴨田君は音節分解詩、で勝負しましょ。男女対抗戦?三対三?」

 美恵子はルールをよくわかっていなかったが、これは四つ巴の戦いということだろう。

「と、とにかく、今度のライブは四組で対戦だ。順番を決める打ち合わせとかは、またの今度。連絡先だけ教えてよ」

 まるでケンゴはこれが目的だったかのようにスムーズに美恵子と私と連絡先を交換した。これに鴨田がキレるかと思ったが、本人も美恵子と連絡先を交換することができたので、却ってケンゴに感謝さえしているようだった。

「よし。じゃあ俺らはダチのだけ聴いたらここは引き上げる。咲希ちゃん?だっけ。君のは今日は見られないけど、今度の俺らとの対バン、楽しみにしてるぜ、チェキラ」

 そう言ってラップグループたちは去っていった。私はこのことで混乱し、すっかり自分の出番どころではなくなったが、なんとかナマズの抒情的な歌をそつなく歌い、スポットライトの光と、左右に垂れ下がってるバスケットゴールしか覚えてない。後夜祭が終わってしまった。


美恵子の日記⑫


「怪訝(けげん)なオットセイスープをダブルで頂く。快進撃は、チンバの兵隊さんのドリフトする心に委ねられる。おばさんにも恋の時代があった。私のミルフィーユは五層目が甘いから探してね。竹で作ったハシゴを天国まで立てかけるときに、きっと甘い豚が弓矢で私の尻を狙うけど、それを極甚(ごくじん)まで無視して登り切れるかな。あなたのこめかみのピストルが、黒海に届きますように」


 文化祭も終わった十月、私は今月末に都心であるというケンゴさん主催の対バンの打ち合わせのため、街の喫茶店でケンゴさんと会うことになった。美恵子がいると、自動的に鴨田がくっついて来てややこしくなりそうだったので、この日は一人で行って来た。

「咲希ちゃん、こんちわ。チェケラ」

「ケンゴさん、こんにちは。私、喫茶店や学校での演奏経験はあるけど、ライブハウスは初めて。だいじょぶかしら」

「だいじょうぶだよ。キャパは二百人くらいだけどね」

 キャパ、という聞き慣れない単語。

「ああ、お客さんが大体二百人くらい、入るってことさ」

「そ、そうなんですね。美恵子が最初にあなたに絡まれたとき、あなたを大学生と思ったんですって」

「確かに。ラッパーは高学歴、多いからね。俺の兄貴も某高学歴の大学のラップサークルだし、薬学部にもラッパーは多いね」

「どうして日本のラップは、高学歴が多いのかしら」

「日本語で韻を踏むのって、そもそも難しいんだ。母音が五つしかないからね」

「えっと、ごめんなさい、韻を踏むって、そもそも、何かしら」

「母音を合わせることを言うんだ。例えば、国語、で韻を踏みたいとすると、国語の母音は、おうお、になる。そうすると同じ母音のものを詩に使えば韻を踏むことになる。ホクロ、とかホスト、とか、三文字ぐらいならいくらでもいける。これが長くなればなるほど難しくなる。最低、七文字からは合わせたいね」

「簡単なのに、なんで日本人には難しいのかしら」

「そこなんだけどね。簡単すぎるからこそ、結局はダジャレに近いものになったり、合ってることにそこまでの意味を感じなくなる。日本語の母音は五つだけど英語は約十七、いかに少ない母音の日本語が組み合うことで、意味があるかのようにするのが大変なんだよ」

「なんかラップって、悪い人たちっていうイメージしかなかったけれど、大変なんですね」

「そう、だから国語力が必要な高学歴しかきれいに韻が踏めない。海外では辞書を引いて、しゃべる訓練をして、ストリートから成りあがる人も多いけどね。そして日本語ラップでは少ない母音を補うために、外来語で韻を踏んだりすることで、より、偶然の一致感を聴くやつらに与えなくちゃいけない。これにやはり頭脳が必要で、だから英単語が多い医学部や薬学部じゃないと開発されない部分なんだ」

 私は美恵子による、イメージを切り取る詩しか知らないので、詩にも色々あるんだな、と思った。鴨田の詩も美恵子はバッサリ切ったけれど、もしかしたら大きな意味があるのかもしれない。

「さて、ライブだけど、チケットノルマがあるからね。二千円のチケットを十枚、渡すから。これを知り合いや喫茶リアルのお客さんに売ってくれ。鴨田?とかいうナマズは友達がいなさそうだけど、部活の仲間にぐらいなら売れるだろ。一応、君たちの学校にいる、三人分を渡しておくよ」

 私は美恵子と鴨田の分とを合わせて三十枚のチケットをもらい、帰路に着いた。なんとなくバカにしてたラップが、こんなに作るのが大変だって知らなかった。美恵子の詩も簡単に作れそうだけど、あたしが同じことをしても幼稚な言葉の羅列になるだけ。鴨田みたいに音節をバラす勇気もない。あたし、どうやってみんなと、勝負しよう。


美恵子の日記⑬


「精霊バッタが夢の危険区域をバタバタと跳ねる。手押しローラーで地ならしされた校庭でピエロ養成学校の学生たちが器用なバク転を十回以上連続で披露し、その軌跡には青、金、群青色の鱗(りん)粉(ぷん)がキラキラと輝き、孔子とキリストがビリヤードで運命を決める…」


「スズメバチの巣に愛をひとつずつ流し込みそれは琥珀色の青春時代に回収される。ニボシでカルシウムを取れば安土桃山時代の一揆が実は聖徳太子の未来妄想であったと証明を受け、時空警察からの逮捕状には盗んだ万年筆の涙がホルモン袋に詰められていて、その様子を壁が眺めていた」


バトルの日が近づいている。美恵子が言葉で現実を変えたいなら、私は現実で現実を変える。実直な目的に根付いた、生活の歌だ。それしかない。逆に自由なことは美恵子に任して、あたしはそれを支える現実になれば良い。美恵子がどこまでも言葉の世界に入っていけるように、私が現実となって彼女を守る。そのための実直性や、生活性のために、私は家政を極める。洗濯、お掃除、アルバイト。美恵子の言葉を守れるのは、私しかいない。美恵子の言葉が美恵子を守って世界や現実を変えるかはわからないけれど、私が彼女の詩によって変わればいい。私は洗濯の歌を歌う、お風呂掃除の歌を歌う、トイレだって掃除します。鴨田は、よくわからない。だけれど、対戦という大衆にさらされることで、鴨田の本質がある程度、客観されるかもしれない。問題は、私とケンゴには音楽があるけど鴨田と美恵子は読むだけだ。だいじょうぶだろうか。美恵子を助けるために、現実のあたしが何かをしなくちゃいけない。私の代わりにどこまでも自由になってくれる美恵子を眺める不自由さが私の自由だ。美恵子、あたし、頑張る。


美恵子の日記⑭


「足労の語源は満足を労わる、から来ているとコンビニ癒し本情報。熱い鉄を素手で飲む美貌のクレオパトラがピラミッド拳法で砂漠の解放者まで昇進。右足を首にかけるところまで行くけど鉄が熱い。ニキビを三十個つぶしたことがある稲本君はサバイバルナイフのギザギザの意味がわからず泣いて宇宙に咆哮したらライオンがそれを認めてくれた。その後のマンションで十回主婦と不倫」


美恵子の日記⑮


「邂逅ライセンスに胴元が必要。三十七回転式用具を買ってあてがわないと老婆が号泣。吹雪を全部食べたら山が太る。ロケットダンスをデイサービスにて披露、送迎中に貨車でそれを学び、地下八十階へ向かうエスカレーターの清掃員になるため厳格な訓練課程において日本酒の種類が命のカギ」


 ついに、ラッパーと戦う当日。私と美恵子は初めて都心のライブハウスに赴き、控室でケンゴと会った。ラッパーたちが、マリファナをくゆらせている。

「やあ、来たね。今日はよろしく」

「うん。ケンゴ君はマリファナ、やってないよね?」

 美恵子がつっこんだ。

「高校生だから、やらないよ。成人しても、たぶんダメだけどね」

「うちの学校の、鈴木って教師も来るのよ、匂いは気を付けてね」

「えっ、でも美恵子、鈴木だったらマリファナぐらいやってんじゃない?」

 鴨田が遅れてやってきた。

「皆さん、早いね。おい、くそラッパー。順番はどうする」

その言葉が言い終わらないうちに、ケンゴは鴨田に殴りかかったが、その拳を鴨田のか細い手が止めた。

「駅前の馬乗りから、俺だって鍛えてるんだ。言葉で戦おうぜ」

ケンゴはくじ引きを持ってきて、目の前に出した。

 おそらく仕掛けは無かったと思うけど、トリがケンゴ、三番目が鴨田、二番目は美恵子で一番目は私だった。

「はは、男女で分かれたな。実は勝負の明確な基準はない。そんなもん、俺たちが感じればいい。審判がいるわけでもないしな。時間は一人三十分。もうすぐ、店がオープンするぜ」

 私たちは楽屋にいても臭いので、バーカウンターに移った。するとそこには鈴木の姿があった。

「んぐっ、んむぐぐ、んがぁ…。お前たち、がんばれよぅ」

 鈴木はやはり近藤勇の真似で拳を口から出し入れしていた。

 お客さんは結構たくさんいる。ラッパーグループの友達はそうだし、私のクラスの子たちも男女共に何人か観に来てくれた。鴨田の文芸部員たちも少しはいたし、例の宗教勧誘おばさんが宗教服に身を包み、数名の信者と訪れていた。

「チケット、ありがとうね。あなた達の答えを見に来たわ。あわよくば、ここのキッズたちを勧誘しちゃおうかしら」

 おばさんは赤ワインを飲みながら話していた。私は後夜祭で全校生徒の前で演奏した時とはまた違った緊張に包まれた。しかも一番最初の出番。

「咲希、緊張してる?」

「うん、やっぱ喫茶店や学校とも違うね。美恵子は?」

「あたしは道でいつも知らない人相手だから、平気よ。だけどちょっと暗いのね」

 ついに最初の出番前になったので私は楽屋へ下がった。ケンゴがオープニングのマイクパフォーマンス。

「ヘイ!皆様、本日はケンゴ企画、ラップとポエムのデスマッチへようこそ!チェケラ!今日は皆様に、ラップとポエム、どちらが強いかの証人になっていただきます。トップバッターは生活を真摯に歌い上げる少女の弾き語り、そして二番手は駅前で自身の自由言語を売りさばく噂の自由言語女子高生!三番手は音節バラしまくり奇抜ポエム少年!そして最後はわたくしケンゴ、ライムでリリカルな時間をお届けします!そんじゃ一番手の生活女子高生、咲希ちゃん!よろしくぅ」

 私は数曲、生活に即した曲を披露した。洗濯機に服を入れなさい、トイレ掃除をしなさい、布団をきちんとたたみなさい。けれども、観客の反応は薄かった。

「ねぇ、鈴木センセ。なんで咲希の歌、みんなに響かないの?」

「んがっ、美恵子。確かに生活を歌い上げる、現実で現実を変えるというコンセプトは、間違ってねぇ。だけどそれを女子高生が歌い上げるには、あまりに若すぎる、実感が無さすぎる。まだ夢の国の話のがマシだわな。ちょっと考えすぎて。テーマだけ先走っちまってら。ナマズの歌にすりゃ良かったんだ」

 私の出番は、義理堅い拍手だけを曲の度にもらっただけで終わってしまった。奇をてらわず、正攻法で勝負したつもりが、型にはまりすぎてしまった。

「咲希、おつかれ!あたしは良かったと思うけど」

「ありがとう、美恵子。ううん、でも、いいの。あたしにはまだ、実直に生きることへの表明は早すぎた。親に学費も出してもらってるし、まだまだね。言葉で現実を変えられないなら、あたしが現実で現実を変えるって思ってたけど、現実でも現実が変えられない時もあるのね、嫌になっちゃう」

 泣き顔で涙を流す私の唇に、美恵子がキスをした。それを見ていた鴨田が美恵子にキスをしようとしたが、ゴキスプを噴霧された。

「げほっ!なにすんだよ!」

「鴨田、邪魔しないで!」

 美恵子のイチゴのリップの香りが唇に残った。鴨田の口にはゴキブリの匂いが残った。

「咲希、次はあたしよ。任せて、自由言語女子高生、見せつけてあげる」

 ケンゴのマイクが入る。

「つづいて、自由言語女子高生、美恵子!よろしくちゃん!」

 美恵子は舞台に立ち、なんの音楽も無いまま、無音で詩を朗読し始めた。

「攻撃性パンダの雌雄論…、インカ帝国の隠しつづら…、激烈なハニートーストの、圧迫される布団収納機…」

美恵子はいつもの自分の詩を、声に抑揚はつけながらも朗読した。しかし観客の反応は薄い。

「統合された義肢装具士の水あめ…労働対価の深夜バス…」

 観客は聞き入ってるというより、シーンとしている。

「ねぇ、鈴木先生、なんで美恵子、ダメなんですか?」

「んがんが、咲希ぃ。残念だが、美恵子の詩は紙上の世界なんだ。文字の視覚があって、初めて生きる。こういうポエトリーリーディングでは、いくら言葉を壊していても、音の面白さや間の取り方、詩とは関係ないジェスチャーが鍵になるな。ラッパーのケンゴとかいう野郎、初めからわかってて、自分の罠にはめやがったな。んががっ!」

 確かに、美恵子の詩をいつも買っている私は、文字や漢字から来てる強烈なイメージに助けられてその世界が塗り替えられていく。しかしその難しい言語を音にしたとき、全てはただのカタカナの羅列に聞こえてしまい、イメージの喚起が文字ほど早くなく、聴衆に理解されない。

「コウゲキセイパンダノシユウロン、インカテイコクノカクシツヅラ…」

 美恵子は詩という紙上の世界に特化することにより、音の世界で飛べなくなってしまっていた。紙の上や言葉だけで自由を求めた美恵子が、それによって却って不自由になるという、なんとも皮肉な結果になってしまった。

 やはり美恵子も、義理だけの拍手をもらい、出番が終わってしまった。

「えへへ、咲希ぃ。あたしもダメだった。紙の上なら負けないのにね。ケンゴってやつ、わかってて最初からあたし達、ハメたのね。本当にあたしって、バカなのかな」

 今度は美恵子が泣きそうになったので、私が美恵子にキスをした。今度は鴨田が私にキスをせまったので、やはりゴキスプ。

「げほっ!なにすんだよ!」

「美恵子が泣いているのに。あんた何!次はあんたの出番でしょ!」

「心配しないで、実は俺こそ、音に強いと思うんだ。二人の仇(かたき)は俺がとる」

 ケンゴのマイク。

「さぁ続いてはナマズ大好き、音節分解少年!よろしくぅ!」

 実質、今回の戦いは鴨田とケンゴの一騎打ちで、私たちはオマケみたいなものだった。鴨田の気迫は凄いけど、韻を複雑に踏み、音楽までついてくるラップにどうやって勝つのだろう。

「しべそ!   ひびきりっひ、   がーねらてばす!」

 鴨田は得意の音節分解を見せた。その意味の分からなさに、若い客はゲラゲラと笑っている。

「かなーに?ほれんぼっそねそ、   かねかねんね、  にねも

   とそーそす、   ほまれぎっち、  ゅゃっこ!」

 確かに音で聞くそれは、紙面で見た時の、ただ日本語をバラしただけ、というものとは違った印象があった。観客は次に鴨田が何を言うかにすっかり夢中になった。あいつに、こんな才覚があったなんて。

「しーでぃーダンス!シーディーダンス!げもた、ぬせげっぱね、はぐれろちもとんど!がぱねやせー!」

 敵対するラップグループまでもが拍手をし始め、ケンゴが少し顔をゆがめた。

 本来ならば順番に披露するはずだったが、ケンゴがついに鴨田のステージに上がって、予期せぬ直接対決となってしまった。

 ラップの音楽が流れ。ケンゴが韻を踏んで攻撃する。普通のラップ対決ならば、相手もラップでそれを返すのだが、鴨田はバラした音節をただ話せばいいだけだった。

「ししじみび!かくけこ!おんばさだ、ひぎにっひり!」

 鴨田も鴨田なりに。自身の引くに引けなくなった、音節をばらす、という芸を極めていたのだろう。意味もないし韻も踏んでいないその言葉たちは、なぜか勢いだけでラップといい勝負になっていった。

 DJが音楽を止めた後も、まだアカペラで二人はやりあっていたが、ついにはラッパーグループがケンゴを止め始めた。

「ケンゴ!もう時間だってば!主催のお前が冷静になれ!」

「ちきしょ!こんなわけわかんねぇ、言葉だけの奴に負けるかよ!お前も何止めてんだよ!」

 ケンゴは仲間の顔を殴り、それにキレた仲間たちが逆にケンゴを殴り返し、ステージの上は乱闘となって騒然した。

「あーあ、結局こうなるのね。ねぇ、咲希、あたしたち勝負なんてどうでもいいからさ、外に出てパフェ、食べに行きましょ」

 私と美恵子はライブハウスを飛び出した。皆に理解されなかったから私たちがダメということでもない。今回のことは、野球の試合場にテニスラケットで来てしまった、ぐらいに思えばいい。やはりライブハウスにはライブハウスなりの洗練がきっとあるのだろう。美恵子の居場所は、紙の上であり、文字の上だ。そして美恵子の勝負というのは、自分の詩で集合的無意識が変わること。そしてそのことでじわじわと世界を変えていくこと。こんな小競り合いで消耗している暇はない。鴨田のやつもそれなりに自分の居場所や、承認欲求の投下先がわかって良かったんじゃないだろうか。鴨田とケンゴの詩が紙に乗ったところで美恵子には絶対に勝てない。勝ち負けってなんだろう。そして何より、私は美恵子の現実は守れなかったかもしれないけれど、美恵子の側(そば)にはいられる。

 私たちがパフェを食べていると、顔の左半分を腫らした鴨田がやってきた。

「あ!美恵子さん!どうでした、僕のポエムバトル。小学生レベルでも、やればここまでやれるんですよ!」

「ふん、ちやほやされて良かったじゃない。私は女なのにちやほやされなかったわ。もっとも女は売らず、言葉を売ったけどね。だけど売り切れなかった。音にすると、あたしの言葉は、不良品になるみたいね。やっぱあたし、道で紙で詩を売るのが一番良いみたいね」

 美恵子は鴨田の怪我をしている顔にぷしゅっ!とゴキスプを吹きかけた。鴨田がもんどりうっている。

「痛い!何するんですか!」

「言葉で世界をすぐに変えられない、私のわがままよ!文芸部なのに、そんな行間も読んでくれないの?ゴキスプ追加!」

 ぷしゅ!ぷしゅ!と鴨田の怪我にゴキスプが加えられ、それは傷口にしみて更に痛みを強めた。

「あーあ、勝負だからもっと面白いと思ったけど、結局男の意地の張り合いだったわね。多摩川のナマズの時の鴨田のほうがさ、まだ面白かった」

私と美恵子は倒れている血まみれの鴨田を置いて、自宅に帰るための駅へと向かっていった。明日からも日常は続いていき、美恵子の自由言語も続いていく。


美恵子の日記⑯


「コントの規定を一にして二にする。不眠症ではデイパックの槌が有効と論文にあるも、推敲者が既にブラックコーヒーマニアとなりカフェを豆から朽ち果てる牢獄のダイス系・ゾンビ。時代の裏に起毛を隠し、先生に休憩計画を提出すると、アインシュタインと富士五湖でパラグライダーした思い出が苦くよみがえる…」


 高三になり、徐々に進路を決め始める時期。私は家政科がある大学に進んで現実を学んで美恵子を守る。現実を変えるなら、政治や経済だろ?と親や担任には言われたが、彼らはわかってない。お金で解決したところで、トイレ掃除は私の仕事。美恵子と結婚はできないけど、そばで彼女の詩を自由でいさせたい。

 鴨田は外語系の大学を目指し、そこで多言語の多音韻を学びたいという。相変わらず、美恵子に変なアプローチはしてくるけど、あいつなりの恋愛なのだろう。詩を作る者どうしで二人はお似合いかもしれないけど、二人が自由だと、生活は成り立たない。美恵子の言葉はゴキスプじゃなくて、私が守れば良い。

 美恵子は進路なんて少しも考えず、今日も詩を書いて道で売っている。結局カフェは私たちの出勤が少なくて高二のうちに閉店しちゃったけど、いい経験ができたな、と鈴木も校長も褒めてくれた。ナマズ粥は結局実現しなかったけれど、いつか私が家政学校を卒業したら、それぐらいは作れているようになりたい。

「ねぇ、咲希、あたしの言葉で世界って変わるのかな?」

「うーん、わからない」

「少なくとも、この詩を読んでいる人の無意識には影響してると思うの。そうするとだんだん、私のイメージがみんなに侵食して…、そうできたらいいな、って思う」

「私、家政学校に進学するから、そしたらもっといっぱい、現実、しようね」

「うん!私も卒業したら自由言語女子高生じゃなくなるけど、そういうブランドに頼らずにやらないとね。いつかゴキスプを使わなくても言葉だけで世界を変えたい」

 私は美恵子のカバンからゴキスプを取り出して、窓の外に放り投げた。

「ちょっと咲希、なにすんの!」

「あたしがいるから!家政だって学ぶし、なんなら格闘技だってやってやるわよ!だから美恵子、詩を書いて!」

「書いてるじゃない!」


美恵子の日記


「魚の解剖室に海の最大の大きな流れ派閥が人類の細胞に染み入り湖に映るキラキラした水面が太陽の夢を飲む。こぼれおちた氷の汗に美少女が目を閉じて内側を照らすときに、真実を知らない月が両親の幼少時代を訪ね、そこでやっと自分の名前を忘れることができました」




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(前衛部分カット版)自由言語女子高生、美恵子 湯殿わたなべ @yudono

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