「悲しい貴公子」~中原中也を訪ねて~

詩川貴彦

悲しい貴公子       ~中原中也を訪ねて~



    絶望の彼方に

     夕日の綺麗な古里があった

       ダダさんのいる

         古里があった



 答えを求めて、僕は何度も湯田の街を訪れた。

 生誕碑、屋敷後、高田公園、そして中原中也記念館。

 中也の詩を何度も読み返した。例の山高帽の写真に語りかけた。しかし、どうしてもその正体が分からなかった。中也はいつも黙ったままで何も答えてくれなかった。

 中也の詩には、透き通った哀しさが存在していると思う。澄み切った水底の、翡翠の岩陰のように、読み人の心をそっと哀しくさせる。人は誰でも、心に哀しみを持っている。人は哀しみに共感し呼応する生き物である。だから人は、人として生きていける。人として優しくなれる。中也の言葉は、心にすっと入ってくる。そして、それぞれの人の心にある哀しさを震わせる。天才叙情詩人中原中也の魅力がここにある。

 僕はこの「哀しみ」の正体がどうしても知りたかった。しかし何度中也に触れてみても、その答えを見つけ出すことができなかった。


 その日、僕は仕事で、どうしても中也を訪ねなければならなかった。

 僕は、大切なものを失ったばかりですっかり絶望していた。何もかもが輝きを失い、虚ろでやるせない心だった。やがて湯田に着きいつもの中也に機械的に触れた。

 そのとき僕は、ふと気がついた。

 中也の哀しみが「喪失の哀しみ」であることに。

 どうしようもない喪失感を携え、虚無感と脱力感が同居した心で、そうして中也に触れたとき、中也は初めて答えてくれた。もし僕の心が正常だったなら、絶対に受け止められなかった中也の哀しみ、中也がずっと発していた心の慟哭に気づくはずがなかったと思うのだ。

 中也は少なくとも、三つの喪失を味わっている。

 第一は故郷山口である。山口中学(現山口高校)で文学に傾倒し始めた中也は、優等生から落第生へと転落の一途をたどる。結局、退学を余儀なくされ、故郷を遠く離れた京都の地で、再び学生として歩むことになる。中也は才童である。幼少の頃より、学業のみならず、新聞投稿や絵画、俳句、習字などあらゆる方面で、いわば優等生としての道を歩んできた。県下でもトップの山口中学においても、上位に位置していた。名門中原医院の長男でもあった。しかし、中也は文学に目覚め、その才能の全てを文学に掛けるようになった。その結果がこれである。

 中也をはじめとする長州の人間にとって故郷は特別の存在である。長州人には誰よりも強く固い絆がある。故郷を思い執着する気持ちは、他県人の想像を絶するものがある。

 だから、中也も、大好きな故郷山口を喪失したとき、その苦しさは、想像しがたいものであったに違いないと察するのだ。

 第二は、長谷川泰子である。中也が愛し、同棲までしていた長谷川泰子は、中也と上京後、親友にして最大のライバルだった小林秀雄のもとに走り去ってしまう。いわば、親友に最愛の恋人を奪われたのである。これは苦しい。絶望感や嫉妬感に、中也はどれほどさいなまれたことであろうか。泰子が小林と同棲を始めてすぐ、中也が泰子との愛の巣を捨てて、転居している事実からもわかるように、この事実は中也の無垢で繊細な心を確実に崩壊させるのに十分だったに違いない。

 最愛の人が、他の男の前で全裸になり、痴態をさらすことは、男にとって最大の屈辱であり、憎しみではないだろうか。女は平気で過去を捨て去ることができる。女は現実を生きていく。男はそうはいかない。男は、過去の思い出やこだわりを決して捨てきれない。過去を思い出して感傷に浸れるのは、男だけの特権だと思う。男とは、そんな繊細で哀しい、女々し生き物なのだ。苦しく切ない恋の果てに、奇怪な三角関係。中也の喪失は、ますます深刻であったに違いない。

 第三に愛児である。中也は結婚後に、やっと長男文也を授かる。妻がいて、我が子がいて、詩が認められ始めたころ。中也の人生にようやく明かりが射し始めたころ、たった一歳の文也は、突然逝ってしまう。長男文也の誕生を誰よりも喜び、寵愛し、大切にしていたのは、他ならぬ中也である。神はこの小さな幸せすら、中也から取り上げてしまうのだ。

 中也は狂った。絶望と慟哭で精神を錯乱させた。詩人の魂は、常人よりも繊細で無垢で脆いものなのだ。常人の何倍もの感性を持っているものなのだ。だから言葉を発することができるのだ。喜怒哀楽が常人の何倍もに増幅されて、心にのしかかってくるのだ。中也の場合、おそらく何百倍もの衝撃が体中を駆け抜けたに違いない。

 それからわずか一年後に、中也が逝く。汚れちまった哀しみを背負ったまま、天才は神に召されていく。文也の後を追うようにしてである。享年わずかに三十才である。


 中也の魂はどこに行ってしまったのだろう。

 中也の魂は、きっと故郷山口に在るに違いない。故郷に在って、故郷を誇り、故郷に生まれたことを喜んでいるに違いないと思うことにした。

 

 これが私の古里だ

 さやかに風も吹いている

 あゝ、おまへは何をして来たのだと

 吹き来る風が私にいふ

 

 中也の無垢な魂は、翡翠色のさわやかで哀しい風を、今なお、我々の心に感じさせてくれている。

 中也の哀しみは、喪失の哀しみであったはずだ。僕はその日、そう確信して帰途についた。よく晴れた夕刻だった。少しだけ春の匂いがした。



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