第38話「約束」

”約束しちまったからな。生きるって”


菅野直の日記に書かれた走り書きより




数刻前。


 ガミノ艦隊の砲撃は一旦終息し、海岸では上陸が始まっていると言う情報がもたらされる。


 航空隊の出撃まで秒読みとなった。


 菅野直は、引き出されて飛行場に並べられてゆく戦闘機を見守った。全て森の中に隠していたものだ。

 4トンもの重量を持つ戦闘機たちだが、車輪があるので数人がかりで主翼を押せば意外に動くのだ。


 南部中尉はこれを農耕用の牛に運ばせるやり方を思いついた。

 面白半分で「ジンギスカン作戦」と名付けようとしたら、「それだけは止めてください」と涙目で懇願された。どうせまた前世がどうとかいう奴だろうが。


 上空の敵機はせっせと誰もいない浜辺に爆弾を落としている。偵察機は飛行場に放置された〔96艦戦きゅーろくかんせん〕の残骸を確認してすぐにいなくなってしまった。こちらの読み通りである。

 離陸時に発見されなければ攻撃は理想的な奇襲となるだろう。


「大尉、本当に良いんですか? 俺が指示を出して」


 これが何度目かと言う念押しをしてきたのは、南部中尉である。


「俺は先頭を切って突っ込むタイプだ。戦場を俯瞰して指示を出すような指揮には向かん。そう言うのは貴様向きだろう。久しぶりに”デストロイヤー”に徹することにさせてもらう」

「重責で胃に穴が空きそうですよ」

「それだけ軽口が叩けるなら問題ない。今回の件でグレッグの奴はお前を見直し始めているが、まだ侮っている部分がある。鼻を明かしてやってこい」


 南部はいつものように曖昧に笑って、苦し紛れに話題を変えた。


「リィルとはちゃんと挨拶はされましたか?」


 リィル・ガミノは昨晩島民たちに見送られ、夜陰に紛れてテーブル島へ向かった。順調にいけば今頃氷の飛行場を造営中の筈だ。

 菅野の事だから、きっちり挨拶はしただろうと思っているのだろう。確かに作戦準備で多忙な中でも時間を割いたが、すっかり手の内を読まれている。


「……約束しろとせがまれた」

「それはそれは。おめでとうございます」


 案の定にやにや顔でからかってくる南部の肩を、拳骨で軽く叩いてやる。


「貴様は俺を何だと思ってやがる。生きて帰ったら、好きな事を止めるのを止めろと言われた」

「あいつらしいまっすぐな物言いですね。あと、それは俺からもお願いしたいところです」

「貴様らどれだけ俺の事が好きなんだ。前世とやらの俺はどこの御本尊様だったんだ?」


 南部はあごに手を当て、考え込む。


「そうですねぇ。俺が――多分リィルもですが――憧れたのは”デストロイヤー”ではなく”菅野直”だからですよ」


 予想していなかった返答に、らしくない事に鼻白んでしまった。

 それを見てにやりと笑う南部の顔は、どう見ても悪戯が成功した時の悪ガキだった。自分が悪戯をやらかした時、面倒を見てくれた姉はこんな気持ちだったのだろうか?


「で、リィルにはなんと?」

「捨てられずにいた日記を半分、預けてきた。生きて帰ったら続きを書くと約束してな」

「ふむふむ。でも何で半分なんです?」


 真顔で尋ねてくる南部に呆れかえる。

 こいつは気を回すのが上手い癖に、自分の事になると急にアンテナが機能不全を起こしてしまう。

 忌々しいがはっきりと伝える必要があるらしい。


「ほら」


 菅野は質問に答えず、懐から取り出した手帳を南部に向けて放った。


「貴様も持っていろ。俺だけ生き残っても後味が悪いからな。もし貴様が墜ちたら、俺の日記に穴が空くことになる。きっちり生き延びろよ」

「大尉……」

「涙ぐむなみっともない! 貴様といると調子が狂う!」


 へへへっと歯を見せる南部に、菅野もつられて吹き出してしまう。

 こいつが喉に引っかかった小骨だと感じたのは、要するに捨てたと思い込んでいた自分の顔を引っ張り出そうとする存在だったからだ。

 小骨を呑み込むことは、自分を全部受け入れると言う事だ。

 だから、あんなに苦痛を感じ、反発を感じたのだろう。


 だが、葛藤とはさよならだ。


 リィルが背中を押してくれた。

 ”文学青年”と”デストロイヤー”、どちらも自分だ。

 どちらも捨てられないなら、どちらも追いかける。


「……南部」

「はい?」

「色々世話になった。あっさり死んでを落胆させるなよ?」


 うっかり素が出てしまったが、南部は感激したように目を見開き、次々言葉を浴びせてきた。


「大尉が一人称で”僕”を使う場合って、心を許した相手だけだと伝記に書いてありました! 感激です!」

「その伝記とやらは忘れろ。そこに書いてあるのは俺であって俺でない」


 面倒臭くなった菅野は手をひらひらさせてそう言い残し、準備が整った愛機に向かう。


向こうの・・・・僕には、お前らがいないんだからな)


 言葉には出さなかったが、確かにその言霊は残された。


「行けるか?」


 機体付の下士官に問うと、「問題ありません!」と元気よく返事が返ってきた。


「ただ、大尉の〔紫電改しでんかい〕に取りつけた20mm機銃は習熟中の新型ですから、無理な体勢での射撃は控えてください。……南部中尉からも念を押されてます」


 菅野の〔紫電改〕は、様々な仕様で生産された試作機の中でも、格闘戦重視で調整されたタイプだ。視界の良いバブルキャノピーと、加速性能重視の4プロペラを装備していて、これを気に入った菅野は専用機として用いていた。


 だが最新技術は最新故に繊細でもある。


「分かった。一応聞いておく。一応な」


 困り顔の下士官をやり過ごし、菅野は一人一人のパイロットに声をかけて回る。


 グレッグはいつも通り背中は任せて下さいと胸を叩き、早瀬は生真面目に敬礼する。ミズキと言うメイドは「最低限の仕事はします」と事務的な対応だったが、態度の裏にリィルへの真摯さを読み取って何も言わなかった。


 リーム中尉は大言壮語を並べて来て閉口したが、彼女の腕が確かな事はあの着陸を見た菅野は承知している。


 〔ゼロ戦〕の傍らで、サミュエルとワルゲス中佐が話をしていた。どうやら、最後だけはパイロットたちを見送るつもりになったらしい。


「とにかく、頼みますぞ!」


 ワルゲスは一方的に会話を打ち切って去ってゆく。


「何の話をされていたのですか?」

「なぁに、『あなたも子供がいるなら、ちゃんと顔向けできる生き方をなさい』と忠告しただけです」

「それは、中佐も形無しですな!」


 サミュエルは爆笑する菅野をじっと見つめ、静かに言った。


「どうやら迷いは消えたようですな」


 サミュエルにまで言われては、もう降参するしかない。

 自分はどれだけブレていたのだろう。


「これでも大尉よりも長くパイロットをやっていますから。分かるのですよ。飛行機の扱いを見ると。大尉は内面の苛立ちを飛行機にぶつける傾向がありました。飛ぶところを見ればもっとはっきり分かりますが」


 まいったなと頭を掻いて、苦笑交じりに答えた。


「これからは大事に扱ってやりますよ。無理はさせますが」


 サミュエルは満足そうに頷く。

 経験差と言うものはなかなか埋まらないものだ。空戦も、人生も。

 

「グレッグが世話になりました」

「いえ、良い部下をお持ちですな」


 にやりと笑うサミュエルに、相方を自慢してやりたい衝動に駆られるが、そんな場合でもないだろう。第一自分の柄ではない。


「恥かきついでにお尋ねします。例え失う事を知っていたとしても、少佐は家族を作られましたが?」


 無礼な質問だと自覚していたが、サミュエル少佐は頷いて見せた。穏やかな笑みと共に。

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