あとがきにかえて 〜名称、テオドラについて

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


 あとがきにかえて、この物語のスタンスを少しばかり説明を。

 まず、この物語ではテオドラたちが住む国を一貫して「帝国」という名称で読んでいるが、これは歴史的には東ローマ帝国、ないしはビザンツ帝国と呼ぶのが一般的である。

 だが、当時この帝国に住んでいた人々の自称は「ローマ帝国」であった。これは古代地中海世界を制覇したローマ帝国から、国家を連綿と受け継いできたという自負が彼らにはあり、歴史事実としても間違ってはいない。

 だが、かつてのローマ帝国とは都も支配地域も、言語さえ違っていくこの国を同じ「ローマ帝国」とするには無理があるし、区別もつきにくい。ゆえに便宜上「東」ローマ、あるいは西洋人の呼称であるビザンツ帝国と呼ばれるのだが、その名称をこの国の人々に呼ばせるのは、歴史的経緯を無視していると思い、あえて「帝国」だけにしている。

 同じような呼称が東方の帝国「メディア帝国」で、これも世界史の教科書なら「ササン朝ペルシア」と書くところである。

 だが、ペルシア=ファールス地方を語源とするこの呼び名は古代からあるが、この時代の歴史家プロコピオスは一貫して「メディア人」「メディア帝国」と書いており、その表記に従った。


「帝都」もまた同じで、正式名称は「コンスタンティノープル」であるが、こんな長い名称で普段から呼び合わないだろうことは、なんでもすぐに縮めた略称をつける日本人なら想像がつくと思う。

 コンスタンティノープルになる前の「ビザンティウム」「ビザンティン」の古名も普通に使われていたらしく、西洋人が「ローマを都にしていたのがローマ帝国なら、ビザンティンを都にしている国はビザンツ帝国でよい」と考えたのには論理に一貫性がある。(もっとも、西洋人もローマではなくドイツに拠点を置いた国家を『神聖ローマ帝国』と自称してたのだから、ローマ帝国への憧れと対抗心があったと言える)

ノヴァローマ」の名称もあったが、一部の知識人の呼称に留まっており、多くの人々は「都」「この都市」などと呼んでいたようだ。日本でも「都」といえば京、ないしは京都を指すように、地中海世界最大の大都市であり続けたこの都市に固有名称は必要ではなく、「この都市」と言えば通じたのだろう。

 今の正式名称である「イスタンブール」は、「都市へ」=ティノポリンが訛りに訛ってトルコ人に定着した名称らしく、その意味では1番民間呼称に近いのかもしれない。

 それらを考え、この物語では「帝都」と呼称統一していることをご理解いただければ幸いである。


 さて、この物語の主人公テオドラは、裏主人公といえるペトルス=ユスティニアヌス大帝と共に毀誉褒貶の激しい女性である。

 娼婦上がりで、女性でありながら国政に口を出し、金に意地汚い。これを許すユスティニアヌスも同罪で、この2人によって帝国の正義は失われ、貴族も含めた多くの者が2人に媚び、顔色を伺っている姿は情けないとしか言いようがない、とはこの2人について多くの情報を与えてくれる歴史家にして書記官プロコピオスの弁である。

 だが、一方で庶民の、そして女性の味方となって様々な政策を出したことは、物語の最後で書いた通りである。

 東大教授で日本の古代ローマ研究の第一人者であられる本村凌二先生のコラムだったと記憶しているが、テオドラのことを「皇后という役を精一杯演じている姿に、色気を感じる」と評していたのは、さすがの表現力だと思う。

 テオドラは多分死ぬまで、自分の立ち位置は1庶民、1娼婦であり、貴族で皇后である自分は本物ではなく演じているだけと思っていたのではないか。

 実はこれはかなり珍しいことだ。成り上がった者の多くは、低い身分だった時代を無かったことにしたり、改ざんしたりするからだ。

 例えば日本一の成り上がり、木下藤吉郎=豊臣秀吉は、太閤と呼ばれる頃には「自分は母が流れてきた公家と交わり生まれた」と、貴種譚をでっちあげ藤原の姓をもらっているし(実の父親との折り合いが悪かった事もあるだろうが)、明の建国者朱元璋に至っては、こじき坊主であった子供時代を憎み、「禿」「僧」という言葉を発した家臣を、自分への当てつけとして殺したと伝えられる。

 ここまででなくとも、新しい仲間として貴族たちに認められるためにも、自分の出身階層をことさら差別する事はよく見られる事象だ。

 だが、そんな空気を全く読まず庶民のための政策を出し続けるテオドラを、仲間にならない女として、プロコピオス他の保守貴族が嫌うのは当然だったのかもしれない。


 では、そんなテオドラの行った諸政策は、彼女が亡くなると共に消え去ったのか?

 否である。

 男女は平等という思想は、人口の半分を占める女性から強く支持され、少しづつではあってもその格差は埋められてきた。本人はそんな意識はなかっただろうが、テオドラはジェンダー解消の先駆者となったのだ。

 事実、ビザンツ帝国では既に8世紀末に女帝エイレーネーが生まれているし、佐藤二葉さんの美しいビジュアルと深い知識の漫画でも評判となった『アンナ=コムネナ』など、西洋初の女流歴史家が生まれた素地も、ビザンツ帝国では女性にも一定の権威が認められてきたからであろうと思う。それにはやはり、テオドラの存在は欠かせない。

 今現在、国連で各国のジェンダー格差が発表され、(日本も含め)格差の大きい国に是正勧告が行われているのも、テオドラの施策には先進性があるということの証拠になるのではないか。

 ビザンツ帝国民もそう思っていたようで、のちの皇女や貴族の娘の名前にやたらとテオドラ(とエイレーネー)がつけられるのも、彼女の名前が尊敬に値すると見られていたからだろうと思う。


 ♢♢♢


 未来永劫続くかと思われていた地中海の千年帝国にも、終わりがあった。

 1453年、オスマン帝国の大軍に取り囲まれていたコンスタンティノープルは、最後の皇帝コンスタンティノス11世の元、絶望的な防衛戦を行なっていた。

 2ヶ月の戦いののち、最後の時が来たと思ったのだろう、皇帝が宮廷で最後の演説を行なった次の日、派手な緋色の帝衣を着て戦場に向かい、門から侵入してきたオスマン兵の集団に親衛兵と共に切り込んでいったと伝えられる。


「最高の死装束は、帝衣である」というテオドラの言葉に従った死際と感じるのは、私だけだろうか。




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最高の死装束は   〜踊り子は、いかにして皇后に成り上がったのか〜 墨華智緒 @saku-taro

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