強い女
増田朋美
強い女
強い女
春らしく、道路わきの街路樹も、花をつけるようになっていた。春というのは、そういう季節を意味する言葉でもあるけれど、又別の物を指すこともある。それは何かというと、古くは吉原遊郭とか、そういう事で行われたものであり、現在でも女郎屋と呼ばれる店が、乱立している地域で行われている事でもあった。つまるところ、売春というわけだ。
それはさておき、杉ちゃんとジョチさんは、いつも通り小園さんに手伝って貰いながら、市民会館に
、藤の花フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を機器に行った。アマチュアのオーケストラのコンサートということもあり、客足はさほど多くなかった。杉ちゃんたちが、コンサートに招かれたのは、オーケストラのメンバーのひとりで、フルートを吹いている女性が、製鉄所へ通っていた経歴があった為である。
演奏会は、モーツァルトとベートーベンの交響曲を演奏して終了した。杉ちゃんとジョチさんは、ホールから出て、タクシーを呼ぼうか何て考えていたところ、
「あの、今日は来てくださって、ありがとうございました。また来てくださるとは、思いませんでしたので、とても嬉しいです。」
と、二人をこの演奏会に招待した、高瀬優子さんが杉ちゃんとジョチさんに声をかけた。
「こちらこそ。呼んでくださって、ありがとうございます。昨年よりもずっと上手に演奏されていましたので、驚きましたよ。」
ジョチさんはとりあえず、形式に成り立ってあいさつした。
「まあ、本当はさ、男手がいても良かったなと思うんだけどさ。女性ばかりのオーケストラ何て、女郎屋見たいで、変だったよ。」
と、杉ちゃんが確かにいう通り、オーケストラは女性ばかりで成り立っていた。女声合唱団なら話しは分かるが、どの楽器にも男性奏者はいなかった。
「やっぱさ、女ばかりだと、演奏そのものが粘っこくなって、なんか面白くないんだよ。ひとりか二人、男を雇ったらどうなの?」
「そうなんですけどね。」
と、高瀬さんは言った。
「なぜか、指揮者の先生が女性であるせいか、男性は入ってこないんですよ。」
「はあ、そうなのね。でもさ、やっぱりさ、どの世界でも男女のバランスがあると思うんだよね。もうちょっと、切れ味鋭い演奏を聞かせてもらいたかったよ。次の演奏会ではひとりか二人、男を雇ってくれるとありがたいね。女郎屋じゃないんだから、もうちょっと、そこら辺を考え直してくれ。」
思ったことを何でも口にしてしまう杉ちゃんは、そういうことを直ぐに言ってしまうのであった。ちょっと言いすぎですよ、と、ジョチさんが言っても、そんなことは気にしないのが杉ちゃんであった。
「それでは、そうかもしれないけど、私たちは、女性であればここまでできるというコンセプトで、演奏をやっています。それは気にしなくても良いのではないかと。」
不意に、杉ちゃんの近くから、モーニングに身を包んだ女性が現れた。そういう恰好をしているのだから、間違いなく彼女は指揮者だと分かった。指揮者と言っても、まだ年若い女性で、あまり世のなかのことを知らなそうな女性だった。最近は若手の指揮者も多く出ているが、こんな若い女性の指揮者というのが珍しかった。
「いやあやっぱり、どこの世界も男手と女手があった方がいいよ。それは何処の組織でも同じだよ。」
と、杉ちゃんがデカい声でそういうと、
「すくなくとも、女郎屋よりは、このオーケストラにいた方が、きっと楽になれると思うの。私たちは、女性でなければできない音楽が必ずあると思っているんです。だから、これからも女性だけでやっていくわ。それがこの楽団の売りだと思ってるから。高瀬さんも、変な批判には、乗らないほうがいいわ。きっと女はろくなことができるものではないと思っているでしょうから。」
と、彼女は杉ちゃんの方を向いて、そういったのである。
「申し遅れました。わたくし、藤の花フィルハーモニー管弦楽団の指揮者で団長を勤めております、望月志穂美と申します。よろしくどうぞ。」
と言って、彼女は、杉ちゃんとジョチさんに軽く一礼した。
「望月志穂美さんですか。変わった名前ですね。音大はどちらで?」
とジョチさんが聞くと、
「音大なんかいってませんよ。でも大学のオーケストラで、四年間指揮者を任されていましたので、それだけは自信があるんです。」
と彼女は言った。
「はあ、そうですか。其れも又珍しいですね。そんな方が、オーケストラの指揮をしてしまうとは。最近は、ピアニストでも音大を出ていない、パフォーマー的な人もいますが、それはそれでまた違うものになるんでしょうからね。」
ジョチさんは、珍しそうに言った。
「まあ、そうかもしれないって言いますがね、面白い演奏をするために、もうちょっと考え直してくれたまえ。高瀬さんもまた製鉄所にも遊びに来て。お前さんの事、心配している奴はいっぱいいるよ。」
と、杉ちゃんはにこやかに笑った。そうなのである。彼女、高瀬優子さんが製鉄所にはいった時は、彼女はやたらおどおどしていて、本当にこの人は大丈夫なのかと心配になる位だった。今はもう新しい職場を見つけて、製鉄所には来なくなったが。幸い働けそうな場所が直ぐにみつかったのが、幸運だった。
「ありがとうございます。幸い仕事も順調で、オーケストラにもはいらせて貰って、望月志穂美先生の
指導もちゃんと受けているので、大丈夫です。」
と、高瀬優子さんは答えるのであった。
「ええ。男なんかに負けないで、一生懸命やれば大丈夫よ。あなたが悩んでいることがあれば、なんでも聞きますから。お二人とも、あたしたちは音楽家として、女性ができることをやっていきますから、どうか口を出さないように御願いしますね。」
と、望月志穂美先生が言った。
「へえ、望月先生は何だか、高瀬さんの保護者のようですね。」
と、ジョチさんが言うと、
「ええ、ほかのメンバーさんもそうなんです。望月先生が、親身になって愚痴を聞いてくれるので、いい音楽をつくろうっていう気持ちにさせてくれるんです。」
と、高瀬さんが答えた。
「そうなんだねえ。何か訳ありのようだけど。まあ、来年は是非、男手があるといいな。」
杉ちゃんは、まだそういうことを言っている。志穂美先生が一寸いらだっているような顔を見せたので、ジョチさんは、急いで杉ちゃんに帰るように言った。
「そうだねえ。じゃあ、いこうか。まあ、女性だけの女郎屋みたいなオーケストラで、しっかりやれや。」
杉ちゃんはカラカラと笑って言うので、ジョチさんはすみませんとだけいって、ホールの外へ出た。杉ちゃんは、車の中でも、女ばかりの音楽は、面白くないなとつぶやいていた。
その数日後の事である。何気なく朝刊を広げたジョチさんは、また事件とは物騒な世のなかだなあと、ため息をついた。
そこには、「またしても児童虐待で母親逮捕」という記事が載っていたのである。なんでも、今回は六歳になる少年を、自宅に置いたままオーケストラの練習に行ってしまい、少年が喘息で死亡したという事件だった。もしかしたらと思ったらやっぱりそうだった。その女性が所属していたのは、藤の花フィルハーモニー管弦楽団だった。新聞の記事には、投稿した文書も載っている。投稿したのは、竹村優紀さんであった。それを読んでみると、女性を自立させようとしている団体は多いが、そればかり強調させてしまうと、彼女たちにあるものが失われてしまうのではないかという内容であった。確かに、そういう意見もあって良いはずだ。先日の、望月志穂美という女性も、女性だけにできることを、ということを盛んに強調していたはずだ。確かにそれも大事な事かもしれないが、こういう事件が起きてしまうと、一寸彼女の発言には疑問符をつけたくなるような気がしたのであった。
その日はまた、杉ちゃんとジョチさんは、水穂さんの世話をするため、製鉄所に赴いた。水穂さんは相変わらずご飯を食べようとしないし、せき込んだ吐瀉物で布団を汚してしまうのであった。杉ちゃんもジョチさんも、何も言わないで布団を変えてやったりした。水穂さんがどうもありがとうございますだけいうと、
「そうですね。今朝の新聞に載っていた女性も、見返りを求めないで、世話をつづけてあげられたら良かったんでしょうね。」
と、ジョチさんは言った。
「はあ、今朝の新聞になにが載ってたの?」
杉ちゃんがそういうので、ジョチさんは新聞に載っていたことを話した。
「そうなんだね。放置しっぱなしで殺害か。困った奴がいるもんだなあ。子供は親を選べないというが、何だか不憫でしょうがないよ。もしかしたら、あの変な名前の指揮者が、女は強いんだ、とか変な妄想を吹き込んでいるから、だからその女性も、だまされたんじゃないのか?」
「そうですね。確かに、杉ちゃんのいう通りかもしれません。人間は、自分で発言したなかったとしても、いるだけで変わってしまうというのは、僕もよく知っていますし。しかしなんで、あの望月志穂美さんという女性は、女性の強さばかりを訴え続けるのでしょう。」
ジョチさんは、そういう疑問点を杉ちゃんに話した。
「多分きっと、男にでもひどい目にあって、もういらないとでも思ったんじゃないの?おそらくそれが原因で、恋愛も結婚も出来なかった。そういう女性何じゃないのかな。」
杉ちゃんがいう通りかもしれないが、それにしても、彼女は度が過ぎてますねとジョチさんは言った。
「とにかく、こういう事件が起きてしまった以上、楽団を率いていた彼女だって、責任は逃れられないと思うぞ。」
杉ちゃんがそういうと、
「でも、その女性だって、きっと一生懸命やろうとしたんじゃないですか。それで思い詰めすぎてしまったのかもしれません。それで、望月志穂美さんの所へ行ったのかもしれないし。」
と、布団に寝転がったまま、水穂さんが言った。杉ちゃんは、お前さんは薬が効くまで寝ていろと言ったが、
「水穂さんは、彼女のことをご存じなんでしょうか?」
とジョチさんは聞いてみる。
「ええ。なんとなく覚えています。確か、一度だけ彼女が率いるオーケストラと共演させて貰ったことがありました。その時から彼女は、ひどく人だった気がします。私のほうが偉いんだというようなオーラを放ってましたから。確か、彼女の最終学歴は、ハーバードだったはずです。」
水穂さんはそういうことを話した。
「はあなるほどね。でも、結局、阿羅漢化して、他人を馬鹿にするような人間になったんじゃ、彼女は何も偉くないよ。」
と、杉ちゃんが否定すると、
「でも、彼女は、そういうひとでしたから、誰も反抗する人はいなかったんですよね。みんな彼女についていけばなんでもできるはずだって思ってたみたいで、誰も彼女の事を批判する人もいなかったし。」
と、水穂さんは言った。
「なるほど、阿羅漢への道まっしぐらだ。それじゃあ、誰かがとめてやらなきゃな。」
杉ちゃんはデカい声で言った。
「いや、とめるなんてことはできないでしょう。そういう所に日本人は非常に弱い民族ですからね。どんなにすごい人であっても、彼女の学歴を口にされたら、誰も反抗はできやしませんよ。そんなに頭が良かったら、確かにオーケストラを指揮することだって、出来てしまうでしょうし。そういう強い女性だったら、向うところ敵なしと言っても過言ではないですよ。」
ジョチさんのいう通りだった。そのような経歴の持ち主であれば、確かに反抗できる人もいないだろうし、みんな彼女にしたがってしまうはずだ。
「でも、このままさらに阿羅漢化したら、ああいう事件が増えてしまう可能性だってあるぞ。新聞には、オーケストラに出ることによって、子供が死んだとしっかり書いてあるんだからね。絶対、そういう妄想を仕組んだのは、アイツだよ。望月志穂美だよ。だから、何とかしてとめなくちゃ。お前さんは間違ってる、みんなを間違った方向へ持っていこうとする阿羅漢なんだと言うやつがいないと、だめだと思う。」
と、杉ちゃんがそう主張した。確かに杉ちゃんのいうことも間違いではないのだが、注意をしても、自分が正しいと信じ込んでいる望月志穂美には、通じないとジョチさんは言った。
「いや、そうかもしれないが、彼女は致命的な弱点があると思う。彼女を尊敬したり、服従したりする奴はいっぱいいるが、彼女と対等につきあってくれる人間は誰もいないということだ。」
「そうですね、、、。確かに、阿羅漢と呼ばれる方は、一見するとものすごい英雄のようにみえるので、したがってくれる人は多いとは思いますけど、反面孤独に悩まされているのかもしれない。」
杉ちゃんとジョチさんが相次いで発言すると、
「分かりました。僕がおとりになります。」
と、水穂さんがそういったため、二人ともびっくりする。
「よしてくれ。お前さんはまず体のことを方が先決だよ。」
と、杉ちゃんが言ったが、水穂さんの決心は変わらないようであった。確かに一度だけ共演している水穂さんであれば、彼女、望月志穂美と接点は持ちやすくなるはずだったが、水穂さんの寿命を縮めることにもなる。
「そうしてもらいましょう。僕たちよりも、彼のほうが、同じ音楽家ということもあり、接触しやすいことは確かですから。」
と、ジョチさんの発言で、水穂さんにやってもらうことにした。水穂さんは、彼女の住んでいる所を知っているというので、その方角へ小園さんに車を走らせてもらった。杉ちゃんたちは、ものすごい豪邸に住んでいるのではないかと想像していたようであるが、なんて事のない普通の一軒家であった。
とりあえず、小園さんの車を降りた水穂さんは、彼女、望月志穂美さんの家のインターフォンを押す。
そうすると、いきなり望月志穂美さん本人が現れたので、杉ちゃんもみんなびっくりした。やっぱり一人で暮らしていることに間違いなかった。多分、ひとりでなんでも出来てしまうんだろう。
「あら、右城先生ではありませんか。一体何をしに来たんです?」
右城先生とは言っているが、何か皮肉を込めているような言い方だった。
「ええ、大したことはありません。ただ、どうしてもお尋ねしたいことがありまして。」
と、水穂さんは彼女に言った。ここでは話しにくいのでどうぞ中へと、望月志穂美にあんないされて、水穂さんは部屋の中へはいった。部屋は本当に何もないという言葉がふさわしい部屋で、壁にも時計はかかっていなかったし、飾りの花や、絵画などもない。ただ、椅子と机と、パソコンがあるくらいだった。
「それで、お尋ねしたいことって何ですか?」
と、志穂美先生がいうと、
「では、率直に申し上げます。先生は、先日、六歳の息子さんを放置して死なせた女性のことを知っていますか?」
水穂さんは細い声で言った。
「ええ。ニュースで知りました。でも、私には関係ないことです。」
という志穂美先生に、
「でも、あなたが率いていた、オーケストラの練習に参加している最中に亡くなっているんです。あなた、その女性に、何か吹き込んだのでは?子供なんて放置しておけばいいとか、そういうことを吹聴したのでは?」
と、水穂さんは、そういった。
「何を言っているんですか。その子の事故死に、私が責任があるとお思いですか。確かに、私は、之でもオーケストラを統制する立場ではあるわけですから、その女性があまりにも子供の事ばかり考えていて、音楽のことを何も考えていないことを注意はしましたけど。それは、音楽をしている人なら当たり前ですよね。」
「そうでしょうか。あなたは、そうして強い女性を演じているようですが、それが、あなたの弱点にもなっているんですよ。」
そう主張した志穂美先生に、水穂さんはそう言った。
「あなたは、高学歴で優秀なのかもしれませんが、悪行を指摘する人がないという弱点があるんです。」
そういって水穂さんは疲れてしまったのか、ひどくせき込んでしまった。志穂美先生は、何もしなかった。大丈夫かとか、そう声をかけることもしなかった。とうとう力尽きてしまったらしく、水穂さんは、床の上にどさりと倒れる。
「おい、いつまでも帰ってこないけど、どうしたんだよ。」
いきなり杉ちゃんのデカい声が聞こえてきたので、志穂美先生はびっくりする。同時にジョチさんと小園さんが、一寸失礼しますと言いながら、部屋の中に入ってくる。小園さんが、床に倒れてしまった水穂さんをよいしょと抱え上げた。ジョチさんは、この人は絶対に、更生することはないだろうなという顔つきをして、
「ではごめん遊ばせ。」
と一言だけ言って、部屋を出ていった。
「お前さんは、よほど孤独何だな。お前さんは、自分のことを強いと思っているだろうが、申しわけないがとんでもない間違いだぜ。」
と、杉ちゃんがそういう。
「すくなくとも、お前さんには、あの事件に関与したということは、消せないんだからな。」
杉ちゃんもジョチさんも、彼女には、もうあきれてしまったような顔をして、というか、彼女を軽蔑しきっているような顔をして、彼女の家を出て行ってしまった。
バタンというドアが閉まる音と同時に、志穂美は家の中に戻った。あの人は、とんでもない間違いだと言った。でも私は間違っていない。私は、偉いと言われてきているのだから。先ほど、水穂さんと話した部屋に戻ってみると、水穂さんの吐いた血液で床は少し汚れていた。志穂美はそれを濡れティッシュでふき取って、アルコールで丹念に消毒した。でも、一度汚された床は、なぜか触る気になれなかった。だれか磨きに来てくれそうな人をインターネットで調べて、解決させようとしたが、何も反応はなかった。パソコンの画面は、やり方だけは書いてくれてあるが、自分の気持ちを晴らしてくれることはしなかったのだ。
ああ、そういうことなんだな。
彼女は、一人ぼっちであったことを、今初めて知った。
強い女 増田朋美 @masubuchi4996
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