第2話

 安倍は下北沢にあるステージで、『すゑひろがりず』の狂言様式をもじった「あなしつこし」を真似した。『すゑひろがりず』は最初は3人組だった。

 数日後、安倍はレオタード姿になり「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません!」と井森のデビュー時のキャッチフレーズを真似した。井森は『第9回ホリプロスカウトキャラバン』でグランプリを勝ち取った。

 つい最近、月島沼男つきしまぬまおって弟子が出来た。安倍、坂本、月島の3人で『レッツゴー三匹』に扮した。安倍はリーダー正児の真似をした。

 坂本「じゅんでーす」 

 月島「長作です」

 センターに立った安倍が「三波春夫でございます。お客様でございます」と言うと、両側から頬をパッチーン!メガネがずれた。


 『レッツゴー三匹』は、ルーキー新一率いる「ルーキー爆笑劇団」の座員だった正児・じゅん・一修が、同劇団の活動停止に伴い旗揚げした。トリオ名の由来は名古屋の焼き鳥店「三匹」。それだけではインパクトがないとして英語の「Let's Go」を付けた。正児によると聞き取りやすさとサインの書きやすさを狙い、「レッツゴー」ではなくあえて促音を抜いた表記の「レツゴー」としたという。


 1年のちに一修が脱退。偶然同じ日に所属グループを失った長作を誘い、トリオを維持すると共に長作の師匠であるタイヘイトリオのタイヘイ洋児の門下に移る。1968年9月に新花月で初舞台。


 1969年に松竹芸能に移籍。なお、公式にはこの年を結成年としている。千日劇場や、同劇場閉鎖後は道頓堀角座をホームグラウンドに活動した。本業の漫才では、1970年代に放送局主催の賞を多数受賞するかたわら、歌謡曲のレコードを発売した。山城新伍に気に入られ、1980年代にテレビ朝日系で放送された山城司会の『笑アップ歌謡大作戦』にレギュラー出演し、全国的な知名度を上げた。


 1990年代以降はトリオとしての活動が休止状態になっていく。2009年8月、長らく親交のあった2代目桂春蝶の実子・桂春菜改め3代目桂春蝶の襲名披露公演(大阪松竹座)に口上と漫才で参加したのが、公の場に3人揃った最後の機会となった。


 2014年5月、じゅんが死去したことにより事実上の解散となった。ただし、松竹芸能は「トリオは正式に解散していません」とコメントしている。その後、2018年2月に長作が、芸能活動を休止していた正児が2020年9月にそれぞれ死去したことで、一修も含めて全員が没した事で自然消滅となった。

 

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ものまね芸人一馬の事件簿 鷹山トシキ @1982

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