40◆宿業

 返事を待たないで勝手にドアを開ける。というより、脚の悪いリチャードをわざわざ玄関まで歩かせるほうが失礼というものだろう。

 テディもそれがわかっているから何も言わず、クワイエットは彼と一緒に中に入った。


 パンチ通りの家は前に来たときと少しも変わっていないようで、それが懐かしいような、けれど少し寂しいような気もする。

 けれど、そうだ。もともとここの家主はずっと独り暮らしでいた時間のほうが長かったのだ。

 この六年間、とくにここ数カ月が妙に賑やかだっただけで。


「……えっと、ただいま!」


 テディは少し悩んだふうだったがとりあえずそう言った。いちおうはまだこの家の住民のひとりでいるつもりだったらしい。それもまあ、間違ってはいない。

 その声に反応してか、どこかからリチャードの返事があった。

 クワイエットは思わずテディと顔を見合わせる。お互い同じことに気付いたらしい。


 家主のいる場所が妙に遠い。てっきり居間だと思ったのに、声はそれよりずっと奥からした。

 ふたりは荷物を居間に残して、そちらへ向かう――恐らく作業部屋だ。またどこかから依頼でも入ったのだろうか。


 そして扉の向こうには、思わぬ光景が広がっていた。


「え……」


 腰かけたリチャードの前、作業台の上。

 真っ先に目を引くいちばん大きなものは人形の素体だ。顔がなく、身体も軸部分だけの。

 その周囲には硝子球や手足、工具箱、古いスケッチブックなど、人形の部品もそうでないものも所狭しと並んでいる。載せきれなかったのか、リチャードの周囲の床も箱だらけだ。


 どう見ても修理をしているふうではない。

 なにしろ老人形師が手にしているのは、彫刻刀と顔の木型なのだから。


「リチャードさん、これって……直してるんじゃなくて、新しい人形だよね?」

「そうだよ。しかし久しぶりで、いや、それより歳だな……なかなか昔のようには作業が進まない」

「まあ、どこからの依頼で? だいたいあなたはもう引退したはずでしょうに」

「いいや……自分で、作りたくて作っているんだ」


 言いながらリチャードはスケッチブックを見せた。かなり年季が入った代物で、紙などすっかり黄ばんでしまっている。

 そこに描かれているのは少女の横顔で、ふたりはそれを見てあっと声を上げた。


「ストロー? いえ……少し違うわね」

「けどそっくりだ。ストローさんよりは少し子どもっぽい感じだけど……」

「当たらずとも遠からず、かな……それは彼女のモデルになった子の似顔絵だよ。

 といっても描かれた時点でとっくに亡くなっていたんだが、つまり……伯母は死んだ人に似せた人形を専門にしていたんだ。当時はそれが流行っていたからね」


 そして、そのままリチャードは静かに語り始めた。

 彼が少年だったころ。マーガレットが最後に受けた、ある依頼の話だ。



 ・・・・・+



 まだ見習いですらなかったリチャードは詳細を知らない。わかるのは依頼者が若い男性で、十年以上前に病死した彼の妹の写し人形デッド・リンガーを必要としていたこと。

 そして彼とマーガレットが仕事の枠を超え、個人的にも親しくなっていったことだけだ。


 時代背景もあって、それまで依頼の大半は戦地に消えた兵士たちを模したものだった。

 だから少女型の人形はそれだけで珍しかった。当時のリチャードとあまり変わらない歳の外見で、かわいいな、と思ったことをよく覚えている。

 彼女の名前はシャーロット。伯母の工房の奥にちょこんと座る姿を扉越しに眺めながら、早く彼女が動いて話すところが見たかった。


 マーガレットと依頼人のローンソン氏は、少年の眼から見ても相思相愛だった。彼らがそのうち結婚するつもりであることも、聞かなくてもわかっていた。

 ローンソン氏はとてもいい人だったし、伯母がほんとうに幸せそうで、ふたりが一緒にいるとリチャードも嬉しかった。


 けれど、いつからかマーガレットのようすがおかしくなった。


 まず妙な男がちょくちょくやってきて、彼女を連れ回すようになった。どこの誰だか知らないが、いつもの面談をしていなかったし、どうも客には見えない。

 それが急にぱったり来なくなり、なのにマーガレットは落ち着くどころか不安定になったのだ。

 家にいる間は工房に籠っているか、自室でひそかに泣いている。何かに苦しんでいるのはたしかなのに、まだ子どもだったからか、リチャードには何も話してくれなかった。


 何度かローンソン氏が彼女をなだめているのを聞いた。

 彼がいれば大丈夫だと、思いたかった。


 いつしかローンソン氏も来なくなり、マーガレットは毎日のようにどこかに出かけるようになった。妙なものを作っていることに気づいたのもそのころだ。

 日に日に痩せてやつれていく伯母は、まるで命を削り出しているようだった。


 そして、とうとうマーガレットは失踪した。お金や人形作りの道具はすべて残されていたけれど、工房にシャーロットの姿はなかった。



 ……それから六十年。

 再会したシャーロットは呪いの藁人形になっており、一度も微笑みを見せてくれることがないまま、炎に消えてしまった。


「マーガレットの帰りを待っていたのは私も同じだ。あのあと親戚の家を転々としながら、いつか伯母が迎えに来ると信じていた……彼女が帰ってこられるように、人手に渡っていたこの家を買い直したりしてね。

 そんなだから伯母の持ち物も人形関係はほとんど処分してなかった。きみたちが出て行ったあと、遺品を眺めていたらこのスケッチブックを見つけて……」


 そこで、リチャードの声がかすかに震えた。


「妙な……話、だろうね……人形に似せた人形だなんていうのは……」

「……しかも中身は別人の、ね」

「ああ」


 ふううと、長い溜息を吐いて、老人は遠くを見やる。彼方に去った淡い思い出を。

 クワイエットは逆に、彼の隣にそっと置かれている箱を見た。木箱の中にはいくつか黒っぽいものが詰まっている。何かの、燃え残りの残骸らしいものが。


「……警察が、不思議なことを言っていたんだ」


 こちらの視線に気づいたか、その箱を持ち上げて、リチャードは続ける。


「大きな岩のようなものがパペットの周りに、まるで彼女を守るように転がっていたそうだ。その下の空間にあの子は丸くなって、これを……抱きかかえていたと……」


 そう言って彼が取り出したのは、完全に炭と化した、真四角の箱だ。それが焼けて穴だらけの布の切れ端に包まれている。

 辛うじて桃色とわかる程度に黒ずんだそのぼろきれには、同じ大きさの箱がもう一つ入っていた。それも炭化はしていないまでも、すっかり煤けてしまっている。


「これが届いたとき、いてもたってもいられなくなったんだ。……馬鹿な話だとも、私はもう歳で、この子を完成させられるかどうかもわからない。作ったとして決して長くは一緒にいられないだろう。でも……」


 どうしても。

 ストロー・ガール、いや、シャーロットに、そしてラブリー・パペットに、もっと他の人生を歩ませてやりたかった。

 誰かの痛みや憎しみではなく、愛情と優しさで成り立つ存在意義を持たせたかった。誰かに愛されることを覚えてほしかった。


「マーガレットやフォークスのエゴで、あの子たちは歪んだ形で生まれてしまった。人形は一度そう作られてしまうと変えることはできない……あの子たち自身を生まれ変わらせることは、どんな職人でも不可能だ。

 ……正しいことではないかもしれないが、結局のところ……私は、人形師なんだよ」


 だから、作る。

 今度は自ら破滅を選ばなくてもいい人形を。微笑むことができる人形を。自らそう名乗らなくても、みんなからかわいがってもらえる人形を。


 もうそれはシャーロットではないし、ラブリー・パペットとも別物になるだろう。それでもいい。

 ふたりのエニグマレルはもう再構築が不可能なほど壊れてしまった。それは人間でいうところの死に等しく、死んだ者が決して蘇らないように、人形もまた心臓を失えば二度と直されることはない。

 そして、それだからこそ、人は写し人形を欲するのだ。


 かつてマーガレットから言われたことがある。

 伯母が似たような依頼を受けたり断ったりするので、その違いがわからないと尋ねたときに、答えとして。


『いいディック? 人形は身代わりじゃない。新しい家族なの』

『ならどうして死んだ人そっくりにするの?』

『だから、よ。……どんなに似ていても別人で、あの人は帰ってこないんだってわかるように……そうやって時間をかけて、大切な人の死を受け入れるために、そのとき支えになれるようにね』


 その言葉を理解するのにこれほど時間がかかってしまった。

 今になって思うことは、伯母は当時その心境に至るのに、どんな悲しい経験をしたのだろう。恐らくはリチャードの両親――彼女の弟夫婦を失ったときに。

 ローンソン氏の写しを作らなかったのも、きっと同じ理由だろう。


 今リチャードの手許にある彫りかけの顔にしてもそうだ。

 あの子たちの身代わりではなく、この子にはこの子の人生がある。そうであるように、リチャードが努めなければならない。



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