39◆そしてすべてが燃え尽きた

 倒壊する工場から、クワイエットたちはほうほうの体で脱げ出した。

 火事はいつの間にか社屋全体に及んでいる。風が強いわけでもないのにこれほど早く本社に火が移るなんて、ふつうなら考えにくいことだろうが、きっとこれはストローの呪術のせいだろう。

 すべてを焼き尽くし、もうここに何の因果も残さないようにという彼女の遺志だ。


 老朽化した建造物がそう長く持っていられるはずもなく、何度目かの爆発とともに二階が床ごと崩落した。

 棲みついていた虫や獣がざわついている。前庭に転がされたままの執事も燃えている。


 なにもかもが、炎に蹂躙されていく。


「……パペット?」


 テディの声にはっとしてそちらを見ると、指貫人形ラブリー・パペットが走り出していた。


 傍らには靴下人形も追従している。クワイエットは正直そいつを連れ帰ることには反対だが、脱出のさい手伝ってくれたので口出しを控えていた。

 靴下が砕けた脚を支えてくれなければ、同じく負傷したテディと共倒れになるところだったのだ。


 ともかくそんな彼女らが向かう先は爆発の真っ只中、炎上する工場の方角だったので、クワイエットもさすがに制止の声をかける。


「ちょっと待ちなさい、あんたたちどこ行く気!?」

「ストローたすける!」

「ヤィー!」

「ッ……何言ってるの、そんなの……」


 ――もう、無理なのよ。


 思いながらもそれ以上言葉が続かない。言いたくなかった。

 わかっているのに。わかっている、わかっていたのだ、こうなることくらい予想はついていた。

 だから……もしかしたら止められないかというわずかな可能性に賭けて、ここまで一緒に来たんじゃないか。


 ストローがずっと己の存在意義にんでいたことを知っていた。

 マーガレットを救うには彼女を人として死なせてやるほかないこともわかっていた。そして被造物たるストローには、正攻法で造物主を殺すことなんて不可能だということも。


 だからきっとフォークスを葬る際に、自分ともどもマーガレットを巻き込むだろうと思った。

 自分だったらきっとそうするから。


 そして、実際そうなった。ピエロたちに手間取り負傷していたクワイエットには、そこに介入する時間も余裕も残されてはいなかった。

 悔しくないと言えば嘘になる。当たり前だ。こんな終わりかたで納得してやるつもりなど毛頭ない。


 でも……もう、わかりきっている。今さら何を思って憤ったって、何もならないことくらい。


 それなのにパペットは振り向いて笑った。

 口から覗いた牙が、炎を照り返してきらきらと光る。


「だってストローといっしょに帰んないと、おじーちゃんが寂しいもん」


 そう言って彼女は走っていった。燃え盛る煉獄の中へ。

 自分も身体の大部分が木製で、火中に戻ったら無事では済まないのに。


 それとも。


 クワイエットは己の脚を見た。片足は無事だが、もう片方は脛が半分も残っていない。

 追いかけるどころか、自力で立ち上がることさえできないのだから、パペットの無謀を止めることは不可能だ。

 傍らのテディも脇腹を赤く染め、草の上に横たわったまま呆然と炎を見つめている。


「……何よ」


 ぽつりと呟くと、テディがこちらを見た。


「どいつもこいつも……。それで……そんなことで、償いになるとでも思ってるのかしら……」

「かもしれないね……だってさっき」


 テディはまた、燃える工場のほうを見る。パペットたちが消えていった瓦礫の山を。


「……泣きそうな顔してたから」



 ・・・・・+



 建材すべてが炭と化すまで炎は燃え続けた。

 激しく熱風を噴き散らし、森ごと焼かんばかりの勢いで膨れ上がった炎は、どうやらペープサートの街からでも見えたらしい。それで山火事ではないかという通報でもあったのだろう。

 しばらくして消防隊がやってきて、テディとクワイエットは彼らの手で保護された。


 パペットたちとストローは、帰ってこなかった。


 丸一日かけてようやくグラン・ギニョールは燃え尽きた。

 焼け跡からは複数の人骨が見つかったという。生きながら、あるいは殺されて人形となった者がマーガレットの他にもいたようだ。

 いずれも身元がわからないため、街の墓地の一角に碑を建ててまとめて弔われることになった。


 そうした報告をテディが聞いたのは事件から四日後、病院のベッドの上でのことだ。

 保護されてすぐ気を失っていた。重傷だったのは事実だし、それまでは緊張でなんとか持ちこたえていたが、安堵で糸が切れてしまったらしい。


 眼を醒ましたら窓際にクワイエットが立っていた。脚はもう直されている。


 彼女はどこか遠くを眺めていたようだったけれど、一体なにを見ていたのだろう。

 森の彼方にある燃え尽きた瓦礫の山か。それとも、もう次に向かう場所を探していたのだろうか。


 尋ねたものかどうか考えあぐねて黙ったままのテディのほうへ、クワイエットはゆっくり歩いてきた。


「やっと起きたわね」

「……おれ、助かったんだ」

「何言ってんのよ」


 手を借りて上体を起こす。ふてくされたような彼女の声に、いつもの覇気はない。


「とりあえずこれからが面倒ね。あんたが起きたって聞いたら、きっと警察の連中が押し掛けてくるだろうから」

「……ストローさんとパペットは」

「わからない。……残骸か何かでも見つかればリチャードに連絡がくるそうだけど、期待はしないほうがいいわよ。あの子はただ燃えたんじゃないもの……」


 沈んだ声音に同調するように、テディも俯く。

 わかっている。あのとき何が起こっていたのかは知っている。


 あれは事故ではないし、そして単なる攻撃でもなかった。

 ストロー自身が火元だった。最初に彼女が燃え始めて、そこから広がった炎がすべてを呑み込んだのを見た。

 自滅覚悟で行われた最期の呪いが、その術者自身を滅ぼしていないはずがないことくらい、そちらの知識のないテディにだってわかる。


 初めて会った日からずっとストローは寂しそうに主の迎えを待っていた。

 そして今ならわかる。きっと彼女にとっての再会とは、自分の終わりを意味していたのだろう。

 役目を果たして処分されることだけがストローの望みだったのだ。だからあの場を生き延びたいだなんて思っていなかっただろうし、もしこの先も人生が続く可能性があったとしても、彼女はそれを拒んだだろう、と。


 わかるから――だからいっそう、やるせない。


 ぐず、と鼻を鳴らした。布団の上の握りこぶしに生ぬるいものが落ちる。

 いくつもいくつも、とめどなく。

 それに気付いたクワイエットがポケットからハンカチを出して、優しくテディの頬を拭った。その労わるような手付きとは裏腹に、同時に咎めるような声を上げはしたけれど、


「もう、男がめそめそ泣くんじゃないわよ」

「……おれだけじゃないよ」

「え?」

「クワイエットさんの代わりに……、ッきみのぶんまで泣けるのは、あの場にいたおれだから……」


 テディのその言葉に彼女は手を止めて、口を噤んだ。

 そのあと反論はなかった。怒られもしなかった。


 ただ、彼女は黙ったまま、泣きじゃくるテディを抱き締めただけだった。




 ・・・・・*




 人が立ち止まっている間にも風と時間は流れていく。

 ペープサートの空も、いつも排気ガスと煙に覆われているわけではない。


 テディの入院は一ヶ月あまり続いた。

 その前半はひっきりなしに警察が訪ねてきたので少しも暇にならなかった。人形たちとともにグラン・ギニョールに乗り込んだことに関してはしっかりと怒られたし、寝ながらとはいえあれこれ取り調べを受けることになり、安らかにすごせたとはとても言いがたい。

 唯一の救いはずっとクワイエットがつきっきりでいてくれたことだ。彼女にあれこれ世話を焼かれるのはなかなか贅沢な経験だった。


 後半も友人やら学校関連の知人がちらほら見舞いにきてくれ、ときどきはリチャードも顔を覗かせてくれたので、退屈することはなかった。

 とくに学友たちはクワイエットを見て驚き、なぜかの有名なアーネスト・アイアンブリッジの相方がここにいて、しかもテディの専属看護人と化しているのかを知りたがった。当然の疑問だ。


 そんな日々もあっという間にすぎて、ある日の朝にテディは退院した。


 ひとまず向かうのはリチャードの家だ。そこで改めて彼に挨拶をしてから、荷物をまとめてこの街を出る。

 そのあとの行先は未だに決まっていなかったから、妥当なのは実家に帰ることだろう。そこから再出発しても遅くはない。というか、今さら焦っても仕方がない。


 つまりこちらの別れももうすぐなのだ、と傍らのクワイエットを見て思う。

 彼女はテディを見ていない。まっすぐ前だけを見て歩いている、その姿がひどく似つかわしい。


 そうしてふたりは――ひとりと一体は、ひさしぶりにパンチ通りの家のドアベルを鳴らした。



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