36◆復活<レザレクション>

 この状況を変えられるのはもうパペットしかいない。彼女が歌って、ゴーレムの攻撃をピエロに向けさせるしかない。

 けれど、辛うじてこちらの声に反応して顔を上げたものの、彼女はその場を動こうとはしなかった。ただ小さく首を振っている。


「う……」

「助けてくれ!」

「うー……」


 ようすがおかしい。しかし、裏切ったわけではないらしい。両手で喉を抑えている。

 声が出なくて困っているようにも見えるし、あるいは、自分で自分の首を絞めているようにも、見える。

 泣きそうな顔をしている彼女を、足許で靴下人形・百三十二号も心配そうに見上げていた。


「どうしたんだい、声が出ないの!?」

「うー」

「あの氷を食べたせいでしょ!」

「ぅうー……」


 テディとクワイエットの質問に、パペットはいずれも首を振る。いや、テディの問いに対しては頷いたように見えなくもなかった。


「ならその牙でピエロをぶっ壊しなさいよ! もうそのほうが早いわよ!」


 ある意味もっともなクワイエットの絶叫にも、パペットはふるふるとかぶりを振った。

 そうこうしている間にもゴーレムが着実に近づいている。

 テディは這ったが、痛みに負けてナメクジにも劣る鈍さだった。これではほとんど回避は絶望的だ。


 あと少しなのに、今ここで、パペットさえ動けたなら。

 そもそもどうして急に動けなくなってしまったのか、それがわかったなら。


 どうせ逃げられないのだから、もう無理に動くのはやめて考えることに集中する。

 テディが負傷して一旦戦線を引いたあとだ。クワイエットとパペットが戦っていたとき、何があったのかを思い出せば、そこに手がかりがあるかもしれない。


 パペットはフローズンを攻撃した。氷を口にしたのはそのとき。

 そのあと反撃とばかりに蹴り飛ばされ――そのときすでに動きが多少鈍っていた。そこから攻撃をまったく避けられていなかったし反撃もしなかった。

 そして、ピエロたちもあまりパペットに構わなくなった……彼らはもう彼女を攻撃する必要がないことを知っていたのだ。つまり、彼女を無力化する方法を知っていた。


 視線の先で、百三十二号がおろおろしている。あの人形は敵の手に落ちていないが、それは弱いから放っておかれているだけだろうか。

 ゴーレムを操作する歌と靴下を支配するそれとで、どうも条件か何かが別らしい。


 ――歌?


「……そうか、もしかすると」


 パペットたちは下位の人形に歌や言葉で指示を出す。つまり、グラン・ギニョールの人形は音声認識で制御されている。

 同じ機能がパペット自身にあってもおかしくはないし、同型の後継モデルと思われるツインフェイスたちと、恐らく社内での格も同じだろう。

 だとしたら彼らが放った特定の言葉によって行動が制限されているのかもしれない。


『お姉さまはとってもとってもとっても悪い子、そんな悪い子にはおしおきですッ!』


 たぶん、引鉄はそのあたりだ。


 言葉によって縛られているのなら、同じように言葉で解放できるかもしれない。それを一体どうするのか、テディにできるのかなんてことは考えても仕方がない。

 他に方法などないし、どのみち何もしなければ死ぬ。だったらだめもとでもやるしかない。


「パペット! ここに来る前、自分がなんて言ってたか覚えてる?」

「う……?」


 もしこれに少しでも効果があるのだとしたら。

 これを言えるのはテディだけだ。あの言葉をクワイエットは聞いていないから。


「おれは覚えてるよ……『かわいいパペット』は自由な人形で、今は人形師リチャード・ホームズの人形なんだろ……!」


 グラン・ギニョールの殺人人形はもう死んだ。クワイエットに壊された。

 だから、もう、彼女はこの常闇に縛られる必要はない。

 無事にここから脱出して、パンチ通りのリチャードの許に帰る義務を負っているのだ。彼女の主人が待っているのだから!


 パペットははっとして顔を上げた。そして――頷いた。

 その手がそろりと首から離れたのを、たしかに見た。


「お……じー……ちゃん……」


 パペットは大きな青い瞳を見開いた。そこに映るのは、傷つき動けないテディとクワイエット、ふたりをもろともに吹き飛ばそうと腕を揺らすゴーレムの姿だ。


 テディは、リチャードの家の居候。六年間一緒に暮らして、もはや半ば家族も同然。

 クワイエットは、存在そのものがリチャードの愛する人形。

 どちらが傷ついてもリチャードが悲しむ。だから自分たちを守らない理由など、パペットにはない。


 だから助けてくれるはずだとテディは踏んでいる。

 信じている、と言い換えてもいい。


「だ、だめぇえぇぇぇえッ! 止まってぇ!」

「邪魔するなよ、オネーサマ……。止まるな岩山巨人ロッキー・トロル! ぶっ潰しちゃえッ!」


 相反する二種類の命令にゴーレムの身体はがくんがくんと揺さぶられる。二体が同格で、どちらの命令も優先されないからだ。

 だがこれなら、実質止まっているのと同じ。


 テディは火掻き棒を杖がわりに、震える足で立ち上がる。これではなんとか生き残れたとしても、ここから帰るのに苦労するだろうな、と思いながら。

 何しろクワイエットも脚が破損してしまったから、パペットには彼女の運搬を頼まねばならない。

 いや、……もう人形に担がれて帰るのなんてごめんだ。


 そのまま、よろよろとピエロのほうへ。


「だめだめだめだーめ! フローの仇だぞ、全員挽き肉ミンチにしてミートボールにしてやるんだぁ!」


 ほとんど目の前まで来てもピエロはテディに気づかない。パペットとゴーレムの制御権を奪い合うことに集中していて、こちらのことなど見ていない。

 警戒の役目を預ける相手がもういないのに、今さら動作を変えられないのだ。人形だから。

 半身を失った不完全な存在を、テディは少し哀れに思った。


 でもそれは、主をなくした人形ならみんな同じかもしれない。

 クワイエットがどれほど美しくて優秀でも、彼女に釣り合う人形遣いがいなければ以前のような舞台は創れないだろう。ストローだっていつも寂しそうだった。


 ――それに人形を壊すなんて、リチャードさんに怒られるかもしれないな。今さらだけど。


「でも……いくら道具に罪はなくても、間違ったことにしか使えない道具なら、それはやっぱり存在しちゃいけないんだと思う」


 火掻き棒の先端でピエロの胸を貫く。ちょうど氷の処女フローズン・メイデンのエニグマレルがあったのと左右対称の位置を。


 びくりと大きく痙攣したあと、白い顔がぐるりと回ってテディを睨んだ。べったり赤く塗られた歪な笑い口がぎしりと動いて何ごとかを話すけれど、もう声が出ていない。

 でも、わかる。聞こえなくても、その表情と眼の動きで。


 ――なんで見てなかったの? ……ああ、もう、いないんだっけ。

 そう言ったのだろう。顔の反対側を見つめながら、やっぱり泣きそうな顔をして。


 享楽道化メリー・メリー・クラウンは、そのまま静かに停止した。




 ・・・・*




 マーガレットの突然の反逆にはストローもしばし困惑した。

 もうとっくに自我などないのだと、その心は身体とともに死んでいて、エニグマレルに操られているものだとばかり思っていたのに。

 ――もっといえば今はストローと同じ人形なのに、どうして主の意志に反して動けるのだ?


 冷たく強張った人工皮膚の下で、彼女は今どんな表情を浮かべているのだろう。

 何を感じているのだろう。……六十年以上も、殺すべき相手と一緒にいて、何を思っていたのだろう。


 だが何がどうであろうとこれは好機、逃す手はない。


「<汝が怨敵を殺め――>ッ!」


 呪言を唱え切らないうちにフォークスはマーガレットを跳ねのけた。彼女をわざわざストローに向けて投げてくれたので、マーガレットを受け止めるために詠唱を中断する。

 軽い身体は簡単に主人の下敷きになったが、代わりに彼女の破損は最小限に済んだだろう。


 ぎしぎしと乾いた音を立てながらマーガレットは身を起こす。やはりもう、その身体に血は通っていない。

 身体の下にいるストローには一瞥もくれなかった。

 彼女はずっとフォークスを見ている。瞬きの必要もない硝子玉の瞳で、冷たく強張った無表情のまま、一言も発することなく。


「なぜ、なぜ、なぜだい、我が妻よ、愛妻人形、私のレディ、愛しい人形、マ、マーガレット……」

「……」

「そうだよ? ぼくはきみの夫じゃないか……永遠の愛を誓った……朽ちることのないこの身体で、永久の愛を」

「……」

「なんでそんなことを言うんだ」


 相変わらずフォークスはひとりで会話を続けている。

 とうとう彼の妄想の中でもマーガレットは従順でなくなったらしいと、その焦燥を露わにした顔を見ながら思った。


「……チャーリー……」


 マーガレットがまた呟く。視線はフォークスに向けられているが、たぶん彼に呼びかけたのではない。

 なぜならフォークス自身もその言葉にまったく反応していない。

 彼にはマーガレットの声が聞こえていないのだ。身体は同じ空間にいながらにして、両者の心は別々の世界に生きている。


 やはり彼女が呼ぶのは自分のことらしい。

 まったく意味がわからないし、人間のような名前で呼ばれることは妙な感じだ、と思いながらストローは立ち上がった。

 脚の稼働部品が少し歪んでしまったらしい。なんだか上手くまっすぐ立てず、身体が右側に少し傾いてしまう。


 だが、歩けないわけじゃない。走ることだってできなくはない。

 ストローはふたたび走ってフォークスに詰め寄った。



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