35◆ファースト・コンビネーション

 ゴーレムの攻撃はとにかく重く、遅い。当たったら即死に違いないが、ある程度余裕をもって避けられるのは幸いだった。

 なにしろ、今は動くたびに腹が痛んで仕方がないので。


 クワイエットの指示どおり左手に飛び退くと、さっきまでいた位置に鉛色の腕が叩きつけられる。ほとんど落ちると表現したほうが正しいような風情だ。

 砕けた床板と埃が舞って視界が悪くなった、その一瞬を逃さない次の一撃はピエロの爪。

 あれをもう一度食らうのは絶対に嫌だし、クワイエットが傷つけられるのはもっと嫌だと、テディは反射的に避けようとした。


「……大丈夫よ。動かないで」


 宥めるようなクワイエットの声にはっとする。

 次の瞬間、ピエロは見えない壁に阻まれたように途中でその手を詰まらせた。――指に絡みついた数本の強化繊維によって。


「む~? 邪ッ魔だなぁ……こんなのちぎっちゃえ♪」

「クラウン、前からきますよ」

「わぁお!」


 力いっぱい火掻き棒を突き出す。エニグマレルがどこに入っているかわからないから、とりあえず腕の付け根を狙った。

 ピエロの武器は爪だから、腕を使えなくなれば大幅に攻撃力を下げられるはず。


 直前にフローズンが警告したので上手く突き刺すことはできなかった。それでも継ぎ目があるだろうあたりから、ばきりと何か砕けるような音がした。

 諦めない。どうせ彼らはすぐには離脱できない状態に追い込まれているから、もう一度穿つ。

 手許に全力を籠めるたびに、ピエロにやられた脇腹の傷に目の眩むような痛みが走ったけれど、それで怯んでしまわないよう歯を食いしばった。


「まったく……」


 ピエロの手がまだ解放されないのにしびれをきらしたフローズンが、彼女の武器である脚を上げる。


 それを見逃すクワイエットではない。

 むしろ待っていた。そうすることを彼女は予測していたのだ。


 彼らはひとつの身体にふたつの人格が収まっているから同時に攻撃はできない。だから交互に動いて話すように構成されていて、互いに相手が行動している間は様子見をしている。

 防御が甘いのも、相方に見張りを任せて自分は攻撃だけに集中するからだ。けれど見張りはあくまで見ているだけで動かないから、こちらの攻撃をあまり避けられない。

 それが彼らの弱点で、片側の動きを封じたら、もう片方が動くことはわかっている。


 だから、フローズンが蹴ろうとして足を上げるのを待っていた。

 糸はもう張ってある。そう――ピエロが指に絡んだ繊維を引っ張ったとき、それに吊られた横糸が連鎖して、彼らの膝の前に垂れるように。


 糸繰りは立体的で、罠を張るのには時間がかかる。それが複雑であればあるほど。

 だからその手間が無駄にならないよう、何手も先を読む能力が必要だ。


「あ――!?」


 人形の動体視力は決して人間にも劣らない。けれど罠が下りたのはほんの数秒にも満たない直前で、しかもテディの攻撃に気をとられたために、フローズンは糸を見逃したままそれを蹴り上げた。

 つまり自ら引鉄に脚を突っ込んだ少女人形は、己の脚力をそのまま揚力に転換されてぐるりとひっくり返ることになった。二心同体のピエロとともに。


「テディ、今よ!」

「了解!」


 正直言ってテディにはそこまでのことはわからないけれど、目の前でクワイエットの言うとおりにことが進んでいるのだけは理解できるから、あくまで素直に指示に従う。

 つまりこうだ。


 ――あたしがピエロを止めたら攻撃して。そのあと合図したらあたしを投げなさい。


 詳細に語る時間などなかったから、一連の動作に関する説明はたったそれだけだった。

 もちろん聞いただけでは何のことだかわからない。


 けれどテディは人形遣いだから、傀儡糸の構造は常人より詳しい。


 クワイエットもそれを承知で最低限のことしか言わなかった。というか、これは経験と知識に基づくものだから口頭で説明しても仕方がない。

 ともかく投げなさいの一言だけで、彼女をどちらの方角に投げたらいいかも糸の流れで察しがつくのだ。

 構成を邪魔しないほうへ。支点と力点の関係性を壊さない向きへ、できるだけ高く……そうすれば美しく宙を舞ったクワイエットが、スカートを翻しながら踊るようにその腕をひねるのが見える。


 強化繊維が人形の継ぎ目に食い込み、固定している金具を引きずり出す。金属同士の擦れる嫌な音が響いて、それから遅れて、人形の悲鳴がこだました。


 もともとパペットに食い破られて破損していたフローズンの腹部がさらに崩壊する。

 すっかり氷が落ち切って、中に保存されていたものがべちゃりと地面に落ちた。それは数個の、恐らくはすべて人間のものであろう、切断された手足や内臓だった。

 露呈した骨組フレームの内側に基幹部品が見える。テディは、今度は何の指示も受けていなかったけれど、迷わずそこに突っ込んだ。


 びくんと人形が痙攣して、それで狙いを外さなかったことを知る。

 砕かれた蓋越しに、砕けたその下から覗いた真四角の小さな箱こそが、彼らの心臓。その人格と動力のすべてを秘めた叡智の結晶、エニグマレル。


「ッ……ぁぁああ!」


 テディは雄叫びめいた声とともに、箱を貫いたまま火掻き棒を引き抜いた。

 ぶちぶちと音を立てて電熱線が千切れる。そして動力源を失った人形は、誰かのバラバラ死体の上にそのまま崩れ落ちた。


 勝った。

 自分の意思で、戦って、生き延びた。


「や……やった……」


 張りつめていた緊張の糸がぷっつりと解けたのがわかる。半ば忘れかけていた痛みが一気に押し寄せてきて、テディもその場にへたり込んだ。

 もう一生立てないのではないかと思うほど疲れている。

 けれど、胸のざわめきは疲れのせいではない。やっとするべきことを達せられたのだという、たしかな充実感に満ちていた。


 もう情けない弱虫のテディではない。守られ助けられるひ弱な少年ではない。

 クワイエットの隣に並ぶことを夢見ても許される、人形遣いの男になった。


 いっそ彼女に受け入れられなくても、このあと別れることになったっていい。やるだけのことをやったと思えるから後悔はない。


 後悔は――……。


「……ぁあ……ひどいよ、ぼくの……フロー……」


 ひっくり返ったままぎくりと身体が強張る。

 聞こえないはずの声がした。


 どうして。

 エニグマレルを壊したのに。


 なぜ――このピエロの人形は、まだ動いている?


 半壊した身体を抱き締めながら、享楽道化はのろのろと立ち上がる。もともとその顔には涙を模したメイクがあったけれど、今はそれがほんとうに泣いているように見えるほど苦しげに表情を歪めていた。

 口だけは笑った形状で固定されているから、なおのこと歪な泣き顔だ。


「うッ……ううッ……フロー……ぼくの……かわいいフロー……」


 その言葉に、さきほど彼らが歌っていた胸糞の悪い物語を思い出す。もちろん創作なのだろうが、たぶんあれが、彼らのエニグマレルに刻まれた設定バックストーリーなのだ。

 一点ものの高級品などで、たまにそういう仕様の人形がある。


 エニグマレル。テディは手許の火掻き棒にまだ刺さったままのフローズンの心臓それを見ながら、そういうことか、と項垂れた。

 ふたつの顔と心は、ふたつのエニグマレルで構成されていたのだ。

 だから片方だけ潰してもまだ動ける。壊れたのはフローズンだけで、ピエロはまだ停止してしんでいない。


 そして彼が分解された手足をひとつずつ拾うのを、テディもクワイエットも呆然と眺めているしかできなかった。

 いや、動きたくてももう無理だ。クワイエットは脚が壊され、テディはすでに怪我の上に無理を通しすぎていた。

 もちろん工具がないから組み立てられはしないだろう。先ほどまでのような戦いは不可能だろうが、しかし、彼の武器は爪だけではなかった。


 狂ったサーカス、お客はいない。愛しのあの子は骨の上。

 暗闇仕立てのカーテンかけた、空っぽテントで道化が躍る。

 そうら地獄がやってきた。鬼と悪魔が手を組んで、西から東へ大名行列。

 嵐のパレード大暴れ、テントは潰れてぺっちゃんこ。


 調子はずれの歌に導かれて、瞳を黄金に輝かせたゴーレムが動く。

 逃げられない。たとえゴーレムが遅くても、今はテディもクワイエットも彼に劣るほどの速さでしか動けないのだから、間に合わない。


 どうする、どうしたらいい、何か方法はないか――テディはその場であたりを見回して、そうしてやっと見つけた。

 端っこに佇んでいる、しばらく戦闘に参加していない人形を。


「……パペット!」



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