最終章 閉幕、あるいは夜明け
34◆双面一体(ダブル・スキン)の歌
非力そうな外見とは裏腹に、少女人形のかかとは床板を粉々に打ち砕く。
青いマントの
今のはぎりぎりでかわせたものの、状況は悪い――完全に相手の間合いに入ってしまっている。クワイエットが糸繰りで応戦するには近すぎるのだ。
後ずさって離れようにも、すぐ背後の機械の山にぶつかった。
その一瞬の焦りを敵は見逃さない。フローズンはピエロ側の脚を軸に、ふたたび回し蹴りをかけてきた。
しかし狙いはあくまでも
彼女を「お姉さま」などと呼んでいたこと、外見がよく似ていることからしても、二体は同型の人形であるらしい。そのうえでフローズンはとくにパペットに執着があるようだ。
問題は、この自称妹人形に対するパペットのようすが少し前からおかしいことだった。
「……ああもう!」
二対一で数の上では有利なのに、標的になったパペットがちっとも避けようとする気配がないので、クワイエットの手は攻撃ではなく彼女を守ることに割かねばならない。
けれど糸を張る余裕も場所もないのだ。複雑な動作は諦めて、単にパペットを引き寄せるのが精一杯。
自分たちが同じ場所に固まってしまうと余計に攻撃を受けやすくなる、悪手だとわかっていながら他に手段がないことが、クワイエットには腹立たしい。
「何ぼさっと突っ立ってんの! ほら次!」
「う……ぴゃっ」
今度は
こんな調子で防戦を続けてもきりがない。それどころか。
「いひいひいひッ、楽しい愉しい
「悪い子のお姉さまには悲しい歌がお似合いです……」
攻撃の手は止めないまま、彼らは場を自分たちの
♪
昔、ピエロのメリーメリーは、村の娘に恋をした。
赤ん坊からサーカス暮らし、町から町への風来坊。
ひとつ処にゃ留まれぬ、けれど彼女と離れがたい。
村娘には老いた親と、代々守った畑があった。
赤ん坊から農家の暮らし、村の外など見たこともない。
未来の夫は誰かが決めた、ずっと年上の知らぬ人。
昔、ピエロのメリーメリーと、村の娘が恋をした。
暮らす世界が違うふたりを、誰も祝福しなかった。
♪
フローズンが泣きそうな声で語った悲恋の歌に、応えるように動いたものがある。
同型の人形なら、
とすると、さっき廊下で靴下や錫の兵隊を操っていたのも彼らだったのだろうか。
いや今はそんなことはどうでもいい。とにかく状況が殊更に悪化したことだけが、間違いない無情な事実だ。
「パペット、なんとかしなさいよ! ッと!」
できるだけ敵から距離を取る、パペットを攻撃から避けさせる、糸を張れる空間を探す。ただでさえやることが多すぎるのに、このうえ間違いなく重量で勝てないゴーレムの相手などできるわけがない。
しかしやはりパペットは項垂れたまま、うー、と小さく唸るばかりだ。
なんなんだと叫びたくなりつつも、クワイエットはぐっと堪える。
自分が冷静さを失ってはだめだ。速やかに片をつけてテディを医者に連れていくためには、落ち着いて状況を見極めなくては。
いつからおかしくなった? フローズンの腹を砕いたまでは普段どおりだったはず。
氷を苦いと評していたが、あれを口にしたのがいけなかったのか?
「うふ。……糸遣いが邪魔ですねッ!」
「っあ!」
考える暇もないというのか。それともパペットが完全に無力化されたと認識したか、ここへきて急に標的がクワイエットに変わる。
不意打ちで繰り出された高速の回し蹴りに、一瞬反応が遅れたせいでかわしきれず、脚を砕かれた。
破損したのは片足だけだが、それを幸いと呼べるかどうか。
もはや安定して立ってはいられず、傍の作業台に肘をついて姿勢を保つものの、糸繰りには両腕が必要だ。片手ではもっとも単純な動作しかできない。
そのうえ――嫌な影が自分の上に落ちた。
建物の陰にでも入ったかと錯覚するほどのその大きさに、もはや見上げるまでもなく事態を理解したクワイエットは、らしくもなく溜息を吐きたくなる。
ゴーレムの腕だ。まだ大した速度ではないのに、攻撃がくるのを知りながら逃げることもままならないとは我ながら……よく言って滑稽、悪態を吐いていいなら、くそったれ。
どこかに糸を繋いで逃げたくても、都合よく届く範囲に適したものを見つけられない。
「パンケーキみたいにぺしゃんこにしちゃうよ♪見たことないけど! いひいひッ、いひ――」
逃げられるようすのないクワイエットを嘲笑いながら、ピエロも歌う。
♪
ゆかいなピエロのメリーメリー、いじわる村人皆殺し。
メリーメリーは娘も殺して、かわいい顔を半分にした。
メリーメリーは自分も殺して、白い顔を半分にした。
愛しの彼女とメリーメリー、そうしてやっと一緒になれた。
身体ひとつに顔ふたつ、ダブル・スキンの物語。
♪
ゴーレムの手が、落ちる。クワイエットの真上に。
「……させ……るかぁ!」
すぐ後ろに凄まじい衝撃と轟音が来て、クワイエットは間一髪で破滅から逃れられたことを知る。
そして目の前にある顔は、誰あろうテディだった。
大怪我で動けないはずなのに。
「なんで」
「痛……あー、間に合った……」
「もうなんて無茶すんのよ! ……助かったけど」
見ればシャツの袖が片方なくなっていて、どうやら自分でちぎって包帯代わりにしたらしい。腹部の出血はそれでなんとか止めたようだった。
それにしたって、あと一秒でも遅ければ自分も圧殺されていたというのに。
「だってさ……こうでもしなきゃ、きっとここから生きて帰れないだろ? ……いてて」
表情を見ればかなり無理をしているのがわかる。
ひきつって痛々しい笑顔に、大量の脂汗を浮かべて、身体も小刻みに震えている。いつ気絶してもおかしくないはずだ。
「あの人間、どうしてまだ生きてるんですか」
「だって即死じゃつまんない。いひッ、観客がいなくちゃ、ぼくはおどけ甲斐がないよぉ」
「おふざけはあなたの悪い癖です。わざと手を抜いたんですか、クラウン」
クワイエットを抱き起こそうとしているテディを睨んで、フローズンは吐き捨てるように言った。
「人間は要りません」
言い終わらないうちに跳躍する。今度の狙いはテディか。
彼らに追従するように、ゴーレムがふたたび腕を持ち上げ始める。
それらを冷静に眺めながら、なるほどグラン・ギニョール社の人形らしい科白だ、とクワイエットは思った。
彼女らの造物主、つまりここの社長は人間ではない。
ここでは人形が人形の主を務めている。だから人間を必要としていないのだ。
クワイエットは違う。
アーネストの息子を捨ててきたのは、彼がクワイエットを金儲けの道具としか見なかったから。父親の名声にあぐらをかいて自分自身を磨く気がなかったからだ。
後継者が不適切だっただけで、自由が欲しかったわけじゃない。
「何度同じことを言わせるわけ?」
「……がッ」
「あたしの人間に、手を出すな、っつってんのよ!」
辺りにはゴーレムが砕いた床板や機械の破片が山ほどある。それを適当にひとつ引っ掴んで、敵の顔面目がけて力いっぱい投げつけるだけの、あまりにも単純な防御でその場を凌ぐ。
今はそれでいいのだ。こいつらは攻撃力こそ高いが、防御が甘い。
尖った板切れをまともに目と鼻で受けてわずかに怯んだ、その一瞬の時間稼ぎができればいい。
「テディ、立てる?」
「……うん。大丈夫だよ」
「それじゃもうひとつ頼めるかしら」
しょせん人形だ。不自由な生だ。けれど――所有者くらいは自分で選ぶ。
己にはそうするだけの価値と権利が認められると、クワイエットは自負している。
そして、その自意識をクワイエットに与えたのは他ならぬ人間だ。彼らに必要とされて初めてこの存在に意義が生まれる。
ゆえに戦う。脚がやられても、ひとりでは立ち上がれなくても、独りではないから戦える。
表裏一体の主人と矜持を、守るのは自分自身。
「もう一度あたしを担いで」
「うん……!」
糸を伸ばせ。
抱き上げられたぶん高さが増せば、そのぶん遠くに鉤を放れる。ギュッと強化繊維同士が擦れる音に耳を澄ませ、その長さと交差する位置を確かめる。
「……ゴーレムが来る。左に避けて!」
→
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