5◇未だ夢想に浸れども

 社長の命令により、アーサーはその日すぐに会社を離れ、パンチ通りのホームズ邸を訪ねた。


 生真面目なアーサーは、普段は前もって次の訪問予定日を告げている。なんの連絡もなしに急に訪ねてもいいものかと少し戸惑っていたものの、出迎えたリチャードが満面の笑みだったので、つられて頬が緩むのを感じた。

 懐かれているのは純粋に嬉しい。とくに彼は、マーガレットと結婚した暁には家族になるのだから。


 そういえばマーガレットは、この子には婚約の話を伝えただろうか。


 あのあとふたりで話し合い、シャーロット人形の完成まではお互い公表しないことに決めた。

 べつに隠す必要はどこにもないが、ふたりの意見がそこで一致したのである。つまり、まずは業者と顧客の関係を終わらせて、けじめをつけてから次に進みたい。

 今のアーサーはまだあくまで彼女の依頼人なのだ。


 だから田舎の両親にも詳細は伝えていない。いちばん最近出した手紙には、懇意にしている女性がいるとだけ書いた。


 もしリチャードが知っていたら絶対に何か言ってくるはずなので、とくに言及がないのはつまり黙っているらしいと察する。

 ……きっとあとで拗ねられるぞ、と思って、少し笑いそうになった。

 その状況をもう見たことがあるようにはっきりと想像できる。それほどふたりを知っている、と思えることがひどく幸せで。


「伯母さんなら工房にいるよ。お茶は持って行かないほうがいいかな?」

「いや、そこはサボらないでもらえると嬉しいね」

「あはは」


 屈託なく笑いながら台所へ向かうリチャードを見送り、アーサーも迷わずマーガレットの作業部屋へ向かう。もう何度も来ているから案内など不要だ。

 扉をノックすると、はい、と愛しい人の声がした。

 僕だけど入ってもいいかな、と声をかけると、返事の代わりに中でがたんと何かをひっくり返したような音がする。そんなに慌てることはないのに、と思ってまた微笑む。


 やがてかつかつと靴を鳴らして、慌てたようすのマーガレットが顔を出した。


「……どうしたの急に! 今日はお仕事の日じゃないの?」

「そうなんだが、なんというのか、これが今日の任務というか……あなたにはあまり、ありがたくない話かもしれないが」

「まあ何かしら? あ、とりあえず入ってちょうだい。じつはちょうどさっき、シャーロットの眼が届いたから仮組みで嵌めてみたところなの」


 マーガレットが示した先に、椅子が置かれている。

 居間などにあるのとは形が違っている。まだ自律させていない人形が倒れないように、首と腰を固定できるようになっている、いわば人形専用の作業台のようなものだ。

 そこに、薄い金髪の少女が腰かけていた。


 まだ未完成なので瞼はない。だから眼を開いたような状態で、切りそろえられた前髪の下からその茜色の眼球がはっきり覗いていた。

 そしてその周りの、鼻梁の具合や頬の丸み、あごの形。そのすべてが。


「あ……、チャーリー……」


 アーサーは思わずそう呟いていた。十四年前に失った妹が、生き返ってそこにいるようだった。


「ああ、あなた、シャーロットをそう呼んでたのよね」

「うん……。すごいな……ほんとうにあの子がここにいるみたいだ……、これが、最終的には動いて話すようにもなるんだね」

「ええそうよ。そうしたらあなたのことは何て呼ばせるの? お兄ちゃん? それともアーサーか、アート?」

「アーサー、かな。だいたいそうだった。……触ってもいいかい」

「そんなに緊張しなくていいわよ、壊れものじゃないんだから」


 そうは言っても、手が震える。

 まだ心臓こころが与えられる前の人形だ。頭を撫でてやったところで反応はないけれど、それでも指に、たしかに形あるものに触れたという実感が宿った。


 早く声が聞きたい。動くところが見たい。

 そうして――そうしたらアーサーはやっと、ずっと言いたかった言葉が言えるのだ。


 許してくれなくていい。むしろ怒ってほしい。どうして妹を置いて家を出て行ってしまったのかと、なぜもっと早く帰ってこなかったのかと、誰よりシャーロットの声で詰られたかった。

 自分で自分を責め続けるのはもう辛い。己に対する怒りを、失望を、誰かに肩代わりしてほしい。

 ……きっとマーガレットもそれがわかったから依頼を承諾してくれたのだ。それができるのは人形しかいないから。


「あと、どれくらいで完成するんだい? もうほとんど出来上がってるように見えるけど」

「外見はね。これからもうちょっとかかるのよ、エニグマレルの設計があるから」

「そうか……」

「……早く四人・・で暮らしたいわね。がんばるわ」


 アーサーは頷き、マーガレットの肩を抱いた。彼女もまたアーサーにもたれるように頭を預ける。

 寄り添うふたりを、瞼のないシャーロットが穏やかな表情で見つめている。


 しばらくそうしていたかったが、ふいに響いたノックの音が甘い時間の終わりを告げた。

 リチャードがティーセットを運んできたのだ。少年は叔母と依頼人が心なしか少し近い距離に立って並んでいるのを見て、何も言わなかったがいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 しかも大して長居せずにさっさと出て行ったあたり、彼なりに気を遣ったつもりかもしれない。


 とにかく水を差された恰好になったふたりは、少し落ち着かない気持ちでお茶を飲んだ。


「……あ。ところでアーサー、今日は何かご用だったんじゃないの?」


 一息ついたところでマーガレットが思い出したように言う。むしろアーサーも忘れかけていたし、正直に言えばほんの少しだけ、まだ思い出したくなかった。

 けれど話を振られてしまったら言わないわけにもいくまいと、持ってきていた鞄から一枚の書類を取り出す。


 どうやら社長は前からその腹積もりだったようで、直筆のサインまで入った型通りの依頼書を用意されていた。アーサーはこれをマーガレットに渡し、質問があれば受け付ける、それだけの仲介役だ。


「ふうん、そういうことね」

「こういうものには興味がないだろうとは思ったんだが、渡さないわけにもいかないから……もちろん断りたければそうしてくれていい。僕のことは気にせずに」

「そういうわけにもいかないじゃない。いいわよ、見学くらい。工場自体には興味あるし。新しい事業部がどうの、のくだりは確かにちょっとその、ご遠慮したいけど」


 マーガレットは肩をすくめながら言った。

 そうであろうことは、アーサーもなんとなくわかっていた。写し人形を作っている彼女はほんとうに活き活きしていて、どの工程でもいつも心から楽しそうに熱中しているから。

 会社に入ってそこで管理職になってしまったら、今のような仕事はできない。


 もちろん工業製品にも意義はある。リチャードが言っていたように安価で手に取りやすく、大勢を満足させられる、そうしたものも必要だろう。

 ただマーガレットには、ひとりの顧客に深く向き合って無二の一体を作りあげることが性に合っている。それだけのことだ。


「社長は悪い人ではないんだが、少し強引でしつこいところがあるから、気をつけて」

「ええ、わかった」




 ・・・・・*




 もしかするとアーサーは、断ってほしいと思っていたのかもしれない。


 マーガレットとて不安がなかったわけではないし、その先にある新部署で働くという話にはほとんど惹かれなかったが、興味はあった。いつも物珍しい話を聞かされていて、面白い社風であることは知っていたからだ。

 人形師として、工場における人形の製造工程のほどを見てみたい。

 それにアーサーがどんな場所で働いているのか。彼の周囲にどんな人たちがいて、アーサーがどう思われているのかも。


 できるだけ気負わないように、深呼吸して胸を落ち着かせる。それでも緊張からは逃れきれない。


 承諾の返事をしてから数日後。

 アーサーに連れられて馬車に乗り込むと、行先はなんと街の外だった。


 なんでも会社を立ち上げた際、市内で充分な広さの土地を買うだけの資金がなかったそうで、社屋はピグマリオナイト鉱山のふもとにある森の中にあるという。

 交通の便はあまりよくなさそうだが、肝心の社屋は流行の建築様式を取り入れた真新しい建物で、これはこれで面白い景観だ。

 きわめつけに人形会社らしく、受付に立っているのは人形ときた。


 何もかもが予想とまったく違う。マーガレットは正直言ってちょっと興奮しながら、ついあちこちをきょろきょろ見回してしまった。

 声こそ出さなかったものの子どものような浮かれぶりに、隣のアーサーが何か微笑ましいものを見る眼をしているけれど、このときはそれすら楽しかった。



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