31◆立石の巨人

 それは、まずあまりにも巨大だった。横幅はそれほどでもなかったが、高さだけは他の何よりも群を抜いていた。

 鈍色の身体は一体何で造られているのだろうか。

 少なくとも表面は金属ではなさそうだけれども、ぼんやりとした光沢がある。そこにでこぼこと小さな気泡のような痕も見えて、まるで重い泥がたっぷり詰まった底なし沼のような質感でもあった。


 果たしてこれを人形と言ってよいものか。

 ただ――そう呼ぶに不足がない程度には、そいつは人の形を模した存在でもあった。


 丸い頭部。凡庸、としか表現しようのない虚ろな顔。

 その少し下から左右に伸びた一対の腕は丸太のように太く長く、関節を無視して床へ垂れ下がった姿が、それ自体に相当な重量があることを予感させる。

 反して脚はあまりにも短く、歩くための形をしていなかった。関節がないのだ。底面が少し浮いているところからすると、下に車輪でも付いているのかもしれない。


 テディとクワイエットは、最初その異様な人形に圧倒されて全体を見ることができなかった。

 もとからこいつの存在を知っていたらしい指貫人形ラブリー・パペットだけが、この巨躯が放つ存在感に呑まれることなく、冷静にその片腕の下敷きになったものを見とめる。


「……ストロー!」


 パペットは叫ぶなり飛び出した。そこでようやく凍り付いた時間が動き出し、クワイエットとテディも事態の重さを理解する。

 巨人の腕に押し潰された、緑色の服を着た人形なかまの存在に。


 初めこの特大人形――巌の巨人メンヒル・ゴーレムとでも呼ぼうか――はパペットに攻撃の意思を見せた。すなわち緩慢な仕草で頭部を回して彼女を視認し、ストローを潰しているのとは反対の腕をずるずると引きずり始めた。

 けれどそれを数インチも浮かせないうちに、パペットが彼(彼女かもしれないが)の顔を睨んで「こらっ!」と言うと、ぴたりと動きを止める。


 こいつがパペットの制御下にあることは僥倖としか言いようがない。いくら動きがのろかろうと、恐らく相応の重量と頑丈さを備えているであろうこの巨体の相手は厄介だ。


 テディは出発前に彼女が口走っていた『大きいのがストローの邪魔をする』という言葉を思い出して、このことだったのかと納得した。

 ともかく一足先に飛び出していたクワイエットに続き、二……いや靴下人形を入れると三体か、彼女たちと協力して、ストローを巨人の腕の下から救出した。


 ひどいありさまで、藁人形の腹部は大きく凹んでいた。服は破れ、そこから麻藁が何本も飛び出している。

 これが人間なら間違いなく即死している大怪我だが、彼女の茜色の眼はしっかりと開いていた。幸運にもエニグマレルは無事だったようだ。


「……助かった、ありがとう。でもどうしてパペットがいるの? あとその靴下……」

「かわいいパペットはおじーちゃんのお人形だからー。あとこの子はひゃくさんじゅーにごう!」

「イー。……ピギィィ! ヤィ! ヤィ!」


 呑気に仲間になった靴下人形・百三十二号の紹介をするパペットだったが、その靴下が急に慌て始める。


 ――かちん、と歯車が噛み合う音がした。

 かたん、かたん。軽やかなリズムを刻んで、機械が動く。工場内のあちらこちらからそれが響く。

 そしてそれから、うっすらとした影がテディたちの頭上にかかった。


「……危ないッ!」


 叫んだのは誰だったか、クワイエットがテディを、パペットたちがストローを引っ掴んでそれぞれ違う方向に飛び退いた。

 その中心、さっきまで全員が集まっていた地点にそれが落ちる。テディには嫌というほど見覚えのあるそれは、頑丈な長い鎖に、分厚い革の帯がついたものだった。


 恐らくそれは製造中の人形を吊るして運ぶための装置で、人形工場なら一般的な設備と言える。

 ただ、頭に「恐らく」と付けたくなる程度には異常なものでもあった。大きさである。かつてテディを吊るしていたのもそうだが、ふつうの工場にあるものに比べると数倍どころか十数倍はあろうというほどに大きい。

 それこそ今落ちてきたものに至っては、――このゴーレムの部品を吊っていたに違いない、そんなサイズだ。


 テディはあたりを見回した。ここも光源が異様に少なくて見えづらく、敵らしい姿はすぐには見つけられない。

 けれどこの機械を動かした者がいるのは明らかで、そいつをどうにかしなければ次の攻撃が来るだろう。


「ストロー、フォークスはどこよ?」

「彼は私の獲物なのだけど」

「横取りなんかしないわよ、状況を確認するだけ!」

「……マーガレットを連れて奥のほうに行ったきり動きがない。追いかけようとしたら、この大きな人形が出てきたから……」


 そのゴーレムが脅威でないのなら、フォークスを倒せば終いだ。

 だからストローを最短距離で彼のところに送る。その邪魔をする有象無象がいるのなら、それはこちらで引き受ければいい。


 クワイエットがそう考えていることはテディにもわかった。ならば自分はその手伝いをする。


「ちょっと暗すぎるよね。明かりを探してくる」

「ああテディ、それならその手に持ってるやつで手あたり次第に窓を割ってきて。そのほうが早いから。

 パペットもそのデカブツに仕事させなさい」

「あいさー! えっとー、♪牛さん牧場まきばで鳴いたとさ、空が見たいと言ったとさ……」


 パペットの歌に合わせてゴーレムの虚ろな瞳が光ったような気がした。

 ごろ……ごろごろ……、と重そうな車輪の音がして、巨人はゆっくり動き出す。


 テディはゴーレムとは反対側の壁へ向かい、目についた窓に向かって思い切り火掻き棒を振り上げた。

 もちろん、これまで優等生で通ってきたテディには、窓を叩き割った経験などない。クワイエットを襲っていた人形を叩いたときですら緊張したのだが、無機物を破壊するのもまた別だ。

 他人の家屋を壊すなんて社会常識でいったら犯罪行為になるわけだが、今はそれを――常識を、この手で叩き割る。


 たぶんその瞬間、ええい、みたいな声を上げたのだろう。ほとんど自覚はなかったが、一瞬遅れて喉に埃っぽい空気が張り付いた。

 むせそうになりつつも指示通り、窓を塞いでいた板きれが砕けてそこから薄明りが差す。


 これでは足りないともう一発。割れ目が広がる。明かりが増える。

 刺し込んだ光の中で埃が舞っている。

 背中側の向こうの壁は、ゴーレムがもっと派手に壁ごと打ち砕いているようだった。頼もしい限りだが、そのまま勢いで建物ごと破壊しないでほしい、とりあえず今は。


 テディの腕力ではそうもいかないけれど、まずひとつ目の窓はあと一発叩き込めば充分だろう。

 もう怖れや不安はない。だってこの行為は、光に続いているのだから。


 ……けれど、テディの手にした火掻き棒は、板を打つことなく床に落ちた。ごとんと鈍い音を立てて。


「あッ……ぐ――」


 一瞬何が起きたかわからなかった。テディが認識できたのは、その衝撃から数秒ほど間を置いて、脇腹に激痛が走ったということだけだ。

 身体から、力が抜けていく。

 ぽたぽたと赤いものが床板の上に滴った。その上に崩れ落ちたテディを見て、クワイエットが悲鳴というより怒号に近い声を上げる。


 うずくまるテディの視界の端に、輝黄色ジョンブリアンのマントの裾が揺れる。


「いひッ♪」


 その短くも耳障りな笑い声は、テディにいつかの悪夢を思い出させた。

 目の前に転がっていた火掻き棒を、見知らぬ誰かの手が拾う。それをテディは呻きながら見ているしかできなかった。


 テディの真正面で、影が棒を持ち上げるのが見える。


「人間って頭を割ったら、何が出てくるんだろーね? 歯車じゃないってことはたしかだ。マシュマロだったらいいなぁ♪ 大好物なんだぁ、いひッ……食べたことないけど♪」


 ぶん、とそいつは口頭で効果音をつけながら手にした凶器をテディの後頭部へと振り下ろした。

 テディは来るであろう無残な死を覚悟して眼を瞑る。――しかし悲劇は起こらずに、代わりに誰かの苛立ったような声が聞こえた。


 恐る恐る眼を開けると、火掻き棒はまた地面の一部になっている。その傍に、けばけばしい縞模様のズボンに包まれた脚と、そこに絡みついた銀の糸がある。

 傀儡糸はピンと張りつめて、そいつをそこから逃がすまいとしていた。


「……あんたたち、よっぽどあたしの人間に構うのが好きみたいね?」


 そんな言葉が聞こえたのは、もしかするとテディが痛みの中で得た幻聴だったろうか。



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