32◆ふたつの顔、ひとつの狂気
ゴーレムが壁にいくつか大きな穴を開けてくれたおかげで視界はかなりよくなった。
なので、そこに現れた敵性人形の姿もよく見えた。……そいつがテディの脇腹を裂いたところも。
もちろんクワイエットがそれを看過するはずもなく、すぐさま敵に向けて鉤糸を投擲したけれど、どうやら簡単にやられてくれる相手ではないらしい。
そいつの外見を無理やりひと言で表現するならピエロである。
ただそのピエロらしい部分は、そいつの外見の半分だけでしかなかった。
正面から見て右半分は化粧をしていない。キャラメルブラウンのおさげ髪に金の鎖がついた
マントも二枚の布を継ぎ合わせているようで、少女の側だけは
端的に言うなら二種類の人形を縦に半分にしてくっつけたような見てくれをしているが、実際に中も分かれているのか、そいつは二種類の声音で別人のように喋った。
半笑いでお調子者のピエロの声と、淡々として冷静沈着な少女の声と。
「
「そうは言っても糸使いがぼくを構いたがるのさ。いひっ」
マントの形状やだいたいの背格好からすると、ラブリー・パペットの同型なのかもしれない。しいて言えば少女の顔や髪型はよく似ている。
当の本人はぽかんとして「あれだーれ?」とか言っているのが聞こえるが。
ともかく早くこいつらを始末しないことには、落ち着いてテディの手当てもできやしない。
クワイエットは糸を繰ってなんとか
鉤がそう簡単に外れるはずはないのだが、癪なことに手先は相当器用らしい。これは同じ手を繰り返しても無理そうだとあたりを見回す。
ここは工場で、糸の支点にできそうな機械の類には事欠かないが、配置はあまり具合がよくなさそうだ。
糸繰りの戦術は立体的だ。三次元で場を捉え、糸の長さと物の配置を考慮して、敵を追い詰めるのに効率のいい地点を割り出さなくてはならない。
そして上手く誘導しながら罠を張る――最初に狂ったパペットにしたように。
ただ、パペットと同型なら強化繊維を切断できるほど強力な武器を有しているおそれがある。また顎か、それとも別の部位かはまだわからない。
とりあえず奴がテディを襲ったときはたしか、
「いひっ、もっとお洒落にしてあげるよッ♪ 地味なスカートにスリットを入れるんだぁ!」
「――ッ!」
手。その指の先。
あくまで人に似せて作られておきながら、爪だけは明らかに肉食獣のそれ。
鋭い風切り音を伴って繰り出されたそれを、クワイエットはすんでのところで避けた。いや、身体には届かなかったものの、ピエロの宣言どおりスカートに縦の裂け目ができた。
本来それだけでも充分に腹を立てたいところだったが、真横にあった作業机が無残なことになったのを見て、直撃でなかっただけよかったと思ってしまった。
一瞬で使いものにならないところまで破壊されたそれの表面に、おぞましいほど深々と四本の亀裂が走っている。これはもう爪痕とは呼ばない。
クワイエットの中で電熱系統の温度ががくんと下がる。人間でいうところの、血の気が引いた、というのはたぶんこういう感覚なんだろうと思う。
だってそうだろう、さっきこれを、この攻撃をテディは生身で受けたのだ。
今すぐ振り返って彼の怪我のようすを見たい、そう思わなかったと言えば嘘になる。
けれどクワイエットはそうしなかった。役割に縛られた人形なのに、このときばかりは自分に嘘を吐くことができた。
なぜならそう、――テディはまだ、クワイエットの
「……っにしてくれてんのよ借りものの服にッ!」
勝たなければいけない。こいつを退けなければきっとストローを妨害する。
こいつを潰して彼女をフォークスのもとに送って、それからテディを医者に連れて行かなければいけない。順序を間違えたら何もかもが台無しだ。
そのために、無理やりテディを思考から追い出すために、わざとそんな言葉を叫んだ。ほんとうはドレスのことなどどうでもいいのに。
「キューしゃがんでー!」
まったく次から次へと何かが起こるのでちっとも思考を整理する暇がない。
パペットの叫び声に反射的に屈んだところ、今度は風切り音と呼ぶには低すぎる空気の唸りとともに、何か黒っぽくて大きなものが頭上をすごい勢いでかすめていった。
最後に衝突音でもって停止したそれは、壁にめり込んだゴーレムの腕だった。ピエロを狙って繰り出されたようだが、残念ながら敵を仕留めるには至らず、その上に嘲るような調子でぴょんぴょんと跳ねている影がある。
が、……攻撃はそれだけではなかった。
どうやってしがみついていたのか、黒々としたゴーレムの脇の下からひょいと顔を出した者がいる。マントの色は桃色で、今はすっかり頭巾がずり落ちていた。
死角から躍り出た、彼らからすれば元同胞と言える人形の襲撃に、ピエロは気づいていなかった。厳密には少女のほうだけ気付いていたようだが、どうやら身体を動かすのに片方の意識だけでは充分でないらしい。
「お姉さま――」
「え、何? ……あ゛」
反応の遅れたツインフェイスはパペットの牙を少女の側からもろに受け、群青色のマントだかローブが音を立てて破れる。
小さく金属音が続いたのは内部機構まで届いたからだろう。歯車の一つ二つは外れたに違いない。
やった、と思ったのも束の間、少女がパペットを腕ではたき落とした。破壊できたのは胴体部分で手足は無事だったらしい。
マントの裂けたところから、その下が見える。妙なほどそこは白い。
つるりと光を反射して、まるでガラスの……いや、ぼんやり曇った表面に漂う冷気からすると、それは氷だ。少女の胴体部分にはみっしりと氷の粒が詰まっているのだ。
穴の開いたところからそれがぼろぼろと零れ落ち、その中に埋まっているまた別の何かがちらりと覗く。
「ひゃー、つべたい~! あとなんか苦い! ぺっぺっ」
「まあひどいですお姉さま、ようやくお会いできたのに」
「ん? かわいいパペットはへんてこピエロなんて知らないよ。テディをいじめたから今のはおしおき!」
「ひどいです」
人形というより人型の氷室と言ったほうがいいようなそれが、色を失ったような表情で同じ言葉を繰り返す。――ひどいです、ひどいですお姉さま、ひどいです。
「わたしはピエロじゃありません、ひどいです、クラウンと一緒にしないでください、ひどいです、ずっとお会いしたかったのに、ひどいです、知らないだなんて、ひどいですお姉さまったら、わたしの名前もご存じないなんて!」
「……あーあ、やっちゃった♪
「何より何より、社長を裏切ってよその子になった! お姉さまはとってもとってもとっても悪い子、そんな悪い子にはおしおきですッ!」
その言葉とともに飛んできたのは拳ではなく脚だった。ツインフェイスは両腕を軸にして、逆立ちの要領でパペットの頭部にかかとを叩き込む。
避けられないほど速くはなかったように思ったが、なぜかパペットは一瞬反応が遅れてその一蹴をもろに受けた。ばぎりと嫌な音がしたのは顔の骨組みが割れたのだろうか。
小さな身体が弾き飛ばされた方角は運の悪いことにクワイエットのいるほうで――いや、さすがにこれは偶然ということもあるまい。
クワイエットは躊躇いつつも、敢えてその場を動かずに彼女を受け止めた。
大して重い人形でないことは知っている。咄嗟に破壊された作業台の残骸に手をついて、なんとか衝撃を殺しきることができた。
「い……たい……」
「あとでいいからお礼くらい言いなさいよ。ほら立って! また次がくるわよ!」
「うん……」
クワイエットの言葉どおり、さらにパペットを攻撃するべくツインフェイスが跳んでくる。ピエロはにやにや笑っているが、フローズンは凍てついたような無表情だ。
彼女の半壊した脇腹から、またぼろぼろと氷が落ちる。そしてその氷室に保存された何かが少しずつ露わになっている。
うっすらピンクがかった、薄い黄色の、何か、嫌なものが。――それを見たくない。
寸前、ツインフェイスがひときわ高く飛び上がる。
左右非対称の歪な影が、パペットとクワイエットの間にべとりと落ちた。
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