30◆『汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ』

 道中やはりまた錫の兵隊が襲ってくるが、ラブリー・パペットが一言「だめー」と言うだけで、彼らは姿勢を正して道を空ける。


 どうやら彼女の顎に備わったあの催眠装置の本来の用途はこれだったらしい。疑っていたわけでもないが、テディの話がいよいよ真実味を帯びてきた。

 というか、……これなら最初から彼女を連れてこればよかった、と少し思った。

 とはいえ無理やり連れてきても、恐らくまともにこちらの言うことを聞かなかっただろうが。


 階段を上らず、その脇を通り抜けて裏側へ行く。そちらに入るのは初めてだったクワイエットは少し緊張した。


「……うわっと、と!」

「きゃあっ……もう、気をつけなさいよね」

「ご、ごめん。……なんか床にいろいろ散らばってるみたいだ。パペット、もう少し下のほうを照らしてくれる?」

「はーい」


 テディが何かに躓きかけたものだから、クワイエットはやむなく彼に抱き着く羽目になった。落っことされたらたまったものではない。

 まあ、もやしっ子のわりには安定感は悪くないし、それほど揺れたわけでもないが。


 ともかくパペットがランタンを持った手を足許に向けると、そこには足の踏み場もないくらい板きれのようなもので埋め尽くされていた。

 一瞬なんだかわからないが、部分的に手すりのような形の木片も見える。どうやら崩れた階段の成れの果てであるらしい。


「あやー、ひどいねぇ」


 もとはここの住民だったろうに、パペットは他人事のような調子でそう言って今度は上を照らした。

 そこに階段があるが、ものの見事に向かって右側だけがきれいに崩壊していた。どういうことになればこういう壊れ方をするのかわからないが、どうも自然に腐ったというよりは、何かがぶつかるかして物理的に破壊されたように見える。

 とはいえ、そんな大きなものがあるわけがない。上から何か重いものでも落としたと考えるほうが現実的だろう。


 残骸を避けながら進むと壁に大きな穴が空いていた。そこをくぐり抜けると渡り廊下のようなところに出たので、本来は扉があったのかもしれない。

 ひとまず完全に建物の外だ。

 両側には低い壁があったようだが、ここも反対側だけ無残に砕けていた。残存する壁面の窪みニッチには、もはや枯れ草すらも生えていない、素焼きの小さな植木鉢だけが置かれている。


 通路の先には煉瓦造りの扁平な建物がある。工場というのはこれだろう。


 今からここに入るわけだが、これまで以上に警戒が必要なはずだ。グラン・ギニョール社の製品はほぼ例外なくクワイエットたちにとっては敵なのだから、その生産現場ともなれば、中にどれくらいの数の敵性人形がいるかわかったものではない。

 パペットの指示もどれくらい通るかわからないし、あまり頼りすぎるべきではないだろう。


「テディ、下ろして。それからその火掻き棒をしっかり構えなさいよ。まっすぐ敵を見て、眼を逸らさないで、それから壊すときは躊躇わないこと」

「……うん」

「今までは靴下だの錫の兵隊だの、あまり人間に似せた容姿デザインじゃなかったけど、それだけとは限らないわ。でもどんな外見だろうと敵は敵。迷わず叩き潰しなさい。

 あ、狙うのは頭じゃなくて腕と脚にしなさいよ。動けなくするのが肝心だから」

「わかった、よし、……行こう」


 さすがにテディの返事には緊張が漲っている。

 けれど震えてはいない。彼は自ら、その手を目の前の扉へと伸ばす。


 カチリ、とドアノブが小気味いい音を立てて回り――今ゆっくりと、最後の舞台の幕が上がろうとしていた。




 ・・・・・*




 彼、あるいは彼女は、にたりと笑う。いや、その笑顔はもともと顔に刻まれている。

 骨組みフレームがすでにこの形になっているから、他の表情を作りたくてもできない。


 足許には油性塗料ペンキの缶が転がっている。周りに白いものがべたべた散って汚い。

 目の前には大きな鏡の枠がある。肝心の硝子板はぐしゃぐしゃに割れているので、そこに映る彼の姿も同じように歪んでいた。

 彼は手にしていた蝋筆クレヨンで、自分の頬に線を引く。


 まずは鼻の頭にぐーるぐる。

 それから口にも、この強張った笑みを隠すように、もっと大きな笑顔を描いた。真っ赤な唇形リップラインを顎に届くほど引き延ばす。


 それから最後に、クレヨンの色を変えて、まだ白いままの頬に。

 丸を少し上に尖らせて、雫型。涙の形。

 ――やっぱり笑い者ピエロはこうでなくっちゃ。


 化粧の出来栄えに満足した彼は、機嫌良さげな鏡の中の自分に語り掛ける。


「今日の気分はどーだい? ……いひっ」


 映し出されたが答える。


「良好です。なぜなら今日は、わたしたちのお誕生日だからです。うふっ」

「いひ。しゃちょー、ぼくらを気に入ってくれるかなァ」

「うふ、きっと……」


 彼女は着ていたマントのポケットから金色の眼鏡を取り出した。それを一旦鼻の上に載せたけれど、ピエロのほうが不愉快そうにそれを奪う。

 ピエロは鏡越しに、芝居がかった口調で言った。


鏡玉レンズは片っぽだけで充分だろ? ……似合わないもの!」

「あらそう? うふ」


 ふたりの手が、いや、少女の手が、片方のレンズを押して無理やり外す。次にピエロの手が、空っぽになったそのフレームを力任せにねじった。

 細い金属の枠はぐにゃりと潰れて、紙くずのように簡単に引きちぎられる。

 不格好な単眼鏡モノクルになったそれをもう一度鼻の上に載せると、彼あるいは彼女は、それが落ちないようにしっかりと押し込んで固定した。人工皮膚を貫いて、その下の木枠へと。


 もう一度鏡で出来栄えを確かめて、彼らは屈託なく笑う。


悪い子にはおしおきしよう

とげとげ山に閉じ込めて

ちくちく野原でかくれんぼ


良い子はお菓子と玩具をどうぞ

楽しい絵本も読みましょう

それから眠って、よい夢を


「おおきいのといっしょにやろう」

「今日はわたしたちの誕生祝い」


 身体の中で歯車も笑っている。かたかた、かた、と。

 同じ部品を分け合って、ふたりで一体の怪物は踊りながら扉に向かった。

 ここはかつて事務所だった場所らしいが、そんなことはふたりの知ったことではない。彼らが意識を持ったのは今日が初めてで、すでにこの場所から人間が消え去って久しかった。


 生まれたてだから、知っていることは少しだけ。


 ひとつは主の名前。それは他ならぬチャールズ・フォークス、ここグラン・ギニョールの偉大なる王。

 もうひとつは自らの名前。彼は王に仕える道化で、彼女は后の下女である。


 そして最後にもうひとつ。――先に作られたきょうだいの名前。指貫人形ラブリー・パペット




 ・・・・・*




 クワイエットたちが工場に着く少し前、ストローは階段の残骸の上に転がっていた。

 人形だから、この高さから転げ落ちても痛くないし、気絶もしない。幸い手足も破損はせずに済んだものの、一時的に伝達部品が麻痺してしまって一分か二分くらい、そこでそうしていた。


「……マーガレットたち、どうやって下りたのかしら」


 動けようになるまで暇だったので、ストローはぽつりと独り言ちる。

 ランタンがあれば半分だけ残った階段の姿が見えただろう。けれど光源がないありのままの暗さでは、人形の眼をもってしてもその異様を確認することはできなかった。

 あとから思えば、……それを知っていたら、あんな不覚を取ることにはならなかったろうに。


 しばらくして起き上がったストローは、まず身体の具合を確かめる。

 手足の動作に問題なし。体内の呪具にも破損なし。これから宿敵を討つのに、なんら不足はない。


 納得してからあたりを見回す。

 少し離れた場所に光が見えた。近づいてみるとそれは壁に空いた大穴で、その先は建物の外になっている。

 出てみると工場へと続く渡り廊下になっていた。


 工場の扉は見上げるほどに大きい。横幅も両腕で測れないほどあって、きっと大型の機械を搬入するためだろう。

 赤く錆の浮いた金属製の扉の向こうから、ガゴン、ガゴン、と重苦しい音が鳴っている。


 呼ばれているようだ、とストローは思った。

 マーガレットに。あるいはフォークスに。

 だとしたら罠かもしれないけれど、それを拒む理由も権利も、この藁人形にはありはしない。


 ストローはだからよそ見もせずにまっすぐ扉に駆け寄ると、なんの躊躇いもなくその地獄のラ・ポルト・ドゥ釜の蓋・ロンフェールを押し開けた。



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