25◆ふたたび<悲劇(ギニョル)>の幕は開く

 壊れた執事人形はそのまま玄関先に放置されていた。


 ふたたびグラン・ギニョール社を訪れた人形たちは、その残骸を横目に扉に手をかける。エニグマレルまで破壊したから彼に再起動のおそれはない。

 そしてその光景が意味することは、主人であるフォークスが作品スモーカー・バトラーのことを気にかけていないという無情な事実だ。


「罠とかないかしら。気をつけてよ」


 クワイエットの言葉に頷いたストローだったが、ドアは嫌な音を立てるだけでびくともしなかった。

 手の内の感触をまず確かめる。取手は回るし、鍵がかかっているような気配はない。ただ板だけが頑として言うことを聞かない。


「……開かない。外開きだから内側からは塞げないはずだけれど」

「板でも打ちつけたんじゃないの? 窓みたいに」

「ああ……」


 そのようね、と短く答えたストローの視線の先に、反対側から扉板を突き破ってきたらしい鈍色の突起物があった。

 どうやらそれは釘の先端のようだが、ドアの厚さを考えるとこれは一般的な大きさのものではない。ストローの五寸釘だろう。やはり廊下に落としてきたものがあって、それを勝手に使われたらしい。


「ある意味これが罠ね。……<が怨敵を粉砕せしめ、我が宿恩には報いたり>」


 ストローは釘の上に手を翳し、もう片方の手に別の五寸釘を構えると、静かな声で呪言を詠った。


 扉に埋まっているほうの釘がびいんと低い音を立てて震える。振動はやがて扉に小さな亀裂を生じ、それが見る間に板全体に広がって、まるでひとつの大きな模様のようになった。

 そしてその中心へ、手にしていたほうの釘を叩き込む。

 瞬間、ぱん、と小気味いい音を立てて扉が砕け散った。それはもう板の形を寸分も留めないほど粉々に。


「手間が省けたじゃない」

「そうね。ついでに釘も回収できて助かった。早く先に進みましょう……ランタンを貸してちょうだい」

「いいけど気を付けなさいよ、木より――」

「藁のほうが燃えやすい。……わかってる、キューは心配性ね」


 言葉の先を持っていかれたからか、クワイエットは黙って肩を竦めた。


 受け取ったランタンを掲げて家の中に入る。見たところ昨日から変化したところはなく、すぐにでも崩れ落ちそうなぼろぼろの廃墟のままだ。

 しかし変わりないのは玄関ホールに限った話だったようで、廊下に出ると少し話が違った。


 そこにはずたずたになったソック・パペットが落ちていたのだ。それも一体や二体ではない。


 それを見たふたりは初め、自分たちが昨日倒したものが転がっているのだと思った。そしてそれ自体は間違ってはいなかっただろう。

 ただその中にいくつか、そうでないものが混ざっていたのも事実だ。

 ストローの武器は釘、クワイエットは鉤付きの糸で、だからふたりの破壊したソックは穴が開いているか千切れている。鋭利な刃物で切り裂かれていたり、外装に破損はないのに内部の機械だけが万力か何かに圧し潰されたらしいのは、明らかに自分たちの手によるものではない。


 ふたりは顔を見合わせた。これはつまり、自分たち以外にもここを襲撃した者がいるということだろうか。

 それとも。


「――侵入者インヴェーダー人形ヒューマノイド……二体ツーピース


 解答を得るより先に、耳障りな声が廊下に響く。


 金属をこすれ合わせるような不愉快な雑音を含んだそれは、廊下の奥から現れた、一体の錫の兵隊ティン・ソルジャーが発したものらしい。

 つるりとしたそのかおに目や鼻といった部位は見当たらず、銀色の楕円形がまるで古びて曇った鏡のようだった。人間と違って声を出すのに口は要らないが、だとしても眼くらいあるはずなのに、その頭でどうやってストローたちの姿を確認しているのだろう。


 そして兵士が手にしているのは銃ではなく剣だった。顔と同じくその表面は骨董品のようにくすんでいるものの、切先は鋭く尖っている。

 その刃のわずかなこぼれに何かの繊維が引っかかっているのを、ストローたちは見逃さなかった。

 色や質感からして、それは彼の足元に転がる靴下の糸くずに違いなかった。つまりソックをころしたのはこいつだ。


「……指令オーダー……殲滅オールクリア


 どういう理由かは知らないが同士討ちを演じたらしい凶刃は、今度は間違いなく彼らの敵を葬るために振るわれた。つまり、ソルジャーは剣を振りかぶりながらこちらに向けて突進してきた。

 カシャカシャと妙に軽い金属音を立てながら、しかしその一歩は確実に、足元の脆くなった床板を軋ませている。


 手前にいたストローは真っ先に狙われ、首に向けて袈裟懸けに振り下ろされた刃を寸前のところで避ける。

 とはいえ遅れを取ったのではない。もともとこちらも近接戦闘をとるのだから、向こうから間合いに入ってくるのを待っていただけだ。

 とくに焦りもなく余裕をもって回避しながら、ストローはソルジャーの空いている胴へと拳を叩き込む。


 五寸釘とブリキの腹板とが歪な不協和音を奏で、兵士は均衡を崩して横向きにひっくり返った。同じ金属製でもスモーカーに比べたら遥かに軽い。

 ただ、やはり腕に多少痺れが残るし、この音はあまりにも耳障りだ。


「指……令ァ……遂行中イン・プログレス……」


 そのうえあまりダメージは通っていないらしかった。少しばかり横腹が凹みはしたが、中の機巧はまったくの無事らしく、兵士は問題なさそうな動作で再び立ち上がってくる。

 倒れた拍子に落とした剣はクワイエットがさっと糸で拾い上げたため、今度は徒手空拳で突っ込んできた。


「使う?」

「そうね、釘よりは効くかもしれない。……大きいから」


 クワイエットに投げて寄越された錫の剣は、思ったよりもずしりと重い。持っているだけで重心が崩れそうになる。

 こういうときは軽い身体のほうが不利かもしれないと思いながら、ストローは反対の手にランタンを持ち、遠心力でもってそれを勢いよく振り回した。

 刃渡りのぶん素手より間合いが伸びたせいか、ちょうどソルジャーの手がこちらに届く寸前に、刃は首尾よく彼の頭部を撥ね飛ばす。感触は想像以上に軽く、銀の球は大きく宙を舞ってから壁にぶつかり、真っ二つに割れた。


 しかし人形の常で頭部はそれほど重要ではない。首なしになった兵士は歩みを止めることなく、そのままストローに掴みかかる――その指先が、彼の身体と同じ色をした糸に絡めとられる。


 こちらもひとりではないのだ。クワイエットが糸を繰り、胴体を頭と同じ方向に投げ飛ばした。

 二度も金属の塊を投げつけられた壁がぼろぼろと崩れる。

 その破片に埋まった兵士の身体もまた、強化繊維によって継ぎ目をすべて剥がされ、脱ぎ捨てられた鎧のようにばらばらになった。


 念のため、近づいてエニグマレルを抜く。

 その箱は他のものと同じように木製で、そしてストローの予想と違って、あのパペットのように血で汚れてはいなかった。


「……あなた、正気のまま狂人フォークスに仕えていたの?」


 もちろん兵士は答えない。そんなことはわかっていたし、ストローだって返事を期待したわけではない。

 けれどこの無意味な沈黙が、今は何かの答えのように思えてならなかった。


 そして、それだってそう長くは続かない。戦闘の騒ぎを聞きつけて鋼の軍隊が押し寄せてくるのが、彼方から響いてくる地鳴りでわかる。

 靴下ほどではないものの、兵士も相当な数がいるようだ。


「今日も大歓迎みたいね。少しくらい出し惜しみしてくれていいんだけど。

 とりあえずストロー、次から頭を狙うのはやめなさいよ。どうせ倒れやしないんだから。バラした感触でいうと肩か脚の付け根が脆いから、そっちを狙うといいわ」

「そうする。……普段はどちらかというと人間が相手だったから、つい」

「ああ、そういうことね」


 納得したふうのクワイエットが、やや前方に向けて左右に傀儡糸を放る。ランタンの明かりを受け、強化繊維は少し赤みがかって見えた。

 そこへ飛び込んできた兵隊たちは、しかし途中で足を止める。


 糸はバツ字を描いて廊下の両壁を穿ち、恐らくあまり目の良くない兵士にはそれが見えておらず、その交点でき止められているのだ。ソックに対する同士討ちも、あるいはそれが原因かもしれない。

 なのに後ろから次々と出てくるものだから、先頭の個体は糸と仲間に押し潰されそうになっている。


「……ええと、脚の付け根」


 言われたとおりの部位へと剣を叩き込む。

 この武器はあまり頑丈な作りではないようで、この一撃で刀身が歪んでしまった。これだけの個体がいるのだから粗製乱造も無理はないが。

 ともかくクワイエットの見立てに間違いはなかったらしいことは、継ぎ目の部品を砕いたたしかな手応えや、目の前で崩れ落ちるソルジャーの姿が証明している。


「あと腕も。……よし。一体ずつ倒せるのは楽だけど、数が多くて地道な作業ね」

「ならもっと派手にやる?」

「そうして。それにそもそも、私たちはあまり協力作業に向いていないと思う」

「ふっ……ふふふ、それは言えてる。

 いいわよ。雑魚はこっちで持つから、先に上に行って諸悪の根源をぶちのめしてきても」

「……ありがとう、キュー」


 これほど頼りになる仲間は言葉どおり「有り難い」ものだろう、とストローは思った。

 頷いて駆け出す。糸に絡められた兵士たちの脇をすり抜けて、まっすぐに二階へ――主人のいる場所へ続く階段へと。


 六十年待ち続けてきた。今度はこちらから向かうのだ。



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