24◆暖笑の夜、決意の朝

 食事を摂るのは人間だけだが、人形たちにも席が用意された。

 とはいえ二人暮らしの家の食卓には余った椅子などない。いろんな部屋から寄せ集めたため、大きさも形もばらばらで、なんとも不格好で間抜けな光景だった。

 けれどその整っていない感じにこそ、一種の温かみがあるような気がしている。


 向かいにリチャードとパペットが座り、テディはストローとクワイエットに挟まれる恰好になった。

 二体とも衣装を取り替えているのでいつもと印象が違う。


 ストローの表情が少し明るくなったように見えるのは、爽やかなりんご色の装いのせいだろうか。リチャードが意外と衣装に凝る性質たちなのか、それとも衣装と一緒にダメになったのか、髪を結わえるリボンも同系色のリネンレースで揃えられている。

 反対側のクワイエットは上品な匂紫色ヘリオトロープのドレスで、以前のものより少しスカートの丈が短い。


 なお衣装はいずれもこの家にあったものだ。つまりはリチャードの予備部品なので少々古く、かすかに樟脳の臭いがするが、意外にもクワイエットは文句を言わなかった。


「何よ、人をじろじろ見て」

「あ、ごめんなさい。……あの、新しいドレス、似合ってるなぁと思ってさ」

「そう? ちょっと子どもっぽくないかしら」

「そんなことは」


 ないよ、と言いかけたものの、そうかもしれない、と少し思ってしまって言葉が途切れる。


 色味は前のより落ち着いているくらいなのに、デザインは若々しいというかやや幼い。袖口についた少々大きめなリボンのせいだろうか。

 似合わないわけではないが、クワイエットの今までのイメージとは少し違う。


「正直者ね」


 呆れた顔でクワイエットにそう言われ、テディは苦笑するしかなかった。



 夕食の席は終始和やかな雰囲気に包まれていた。

 というのも、誰もグラン・ギニョール社やマーガレットのことには触れなかったのだ。明日人形たちが戦いに赴くことなど忘れてしまったように。


 しいていえば、パペットはいつもよりだいぶ大人しくしていた。ほぼ隣にクワイエットがいるからだろうか。


 話題は概ねリチャードがこれまで請け負ってきた仕事や、クワイエットの出演した舞台の話などで賄われた。


 クワイエットの話はテディとしても興味深い。

 単に彼女の晴れ姿を聞くだけでも楽しいが、何より今は自分の将来について今まで以上に真剣に考えなくてはならない時期ときだ。実際にその業界にいた者の経験談は参考になる。


 たとえば、まだアーネストが売れていなかったころ。無名の芸人に劇場ホールの仕事などなく、町の広場などでの路上公演が主だったので、雨でも降ろうものなら芸を披露することさえできない。

 だから最初のころの口癖は「屋根のあるところに行きたい」だったとか。

 大陸の東に雲掃人形てるてるぼうずという晴天を祈るおまじないの人形があるそうで、現地に行った際それを購入するかどうかで一晩じゅう喧嘩したとか。


「で結局、調べたら売りものじゃなかったの。すごく簡単な作りだったからハンカチ二枚とリボンだけで作れたわ」

「それで効果はあったの?」

「もともとそんな降りそうな天気でもなかったのよ。帰るまでずっと晴れてたわ。

 なのにアーネストったら大騒ぎするんだもの、その前に三日連続で降られたのが相当堪えてたのね」


 クワイエットはそこで肩をすくめた。

 たとえ十年以上前の話でも、彼女にとっては昨日今日のできごとと変わらない。人形の記憶は薄れないそうだから。


 だから今も彼女の中で、偉大なるアーネスト・アイアンブリッジは生前と変わらぬ鮮やかさのまま生きているのだ。


「呪具を一般人が手作りする文化があるのね」

「あんたが言うとおどろおどろしく聞こえるわ。たしかにおまじないって、呪いと似たようなものかもだけど」

「そうね。魔女でなく一般人が行えばそれはおまじないになるし、巫女や神官なら祭事と呼ばれる。行う人間や目的が違うだけで、作法や道具にはそれほど差はないの」

「そうなの?」


 テディの問いに、ストローは静かに頷く。


「あなたも人形学校を受験したとき、合格を祈ってノートにキスをしなかった?」

「うん、やった覚えある。母さんに言われて」

「それもおまじない。だからその瞬間、ただのノートは呪具になったの。

 呪術の道具とはいっても、必ずしも特別なものとは限らない。私のように生きものの魂を傷つける道具なら話は別だけれど」

「……あはは」


 そりゃそうだ。呪殺の道具なんてものがそう簡単に作られては困る。

 なんだか話がきな臭くなってしまって、これ以上この話題を広げるわけにもいかず、テディは曖昧に笑って誤魔化した。


「もー、あんたの話はすぐそっちに行っちゃうんだから」

「ごめんなさい。他に知ってることもなくて」

「もっと世間てものを見なきゃ。なんならあんた、あたしと一緒に世界を回ってみる? もうこの街に留まる必要はなくなるわけだし」

「……それは、その……」

「心配しなくても芸ならあたしが仕込んであげるわよ。要はお客が笑えばいいんだから、そう難しく考えることないわ」


 クワイエットなりに助け舟を出しているつもりなのか、彼女はおもむろにストローを立たせた。もちろん自分もだ。


「たとえばそうね、あたしとアーネストが北部を回ってたときの話なんだけど――」


 そこからあとはクワイエットの独壇場だった。

 ストローを糸で操りながら好き勝手に振り回し、自分の経験談をそのまま演目コントにしてしまったのだ。


 その完成度といったら、いったいいつ台本を書いたのかと聞きたくなるほどで、とても即興には見えなかった。

 さすがに芸歴五十年弱のプロだけある。その手のことは素人のストローすら、打ち合わせもせずに相方にしてしまえるとは。


 テディはお腹が痛くなるほど笑った。

 ずっと黙っていたパペットも気づけばきゃらきゃら笑い、その隣でリチャードも機嫌よく食後の紅茶を傾ける。

 ただひとり、巻き込まれたストローだけは終始あわあわしていて、それがまた珍しくて面白い。それになんだかんだで彼女も嫌がっているふうではなかった。


「で、アーネストが言ったわけ。僕をひっくり返してくれってね。だから言葉どおりにしてあげたのよ、こーんなふうに!」

「きゃあっ……!?」

「あら今の声聞いた? かわいい悲鳴だったわね」

「もう。早く下ろしてちょうだい」

「ダメよ、これ『逆さ芸』だから。ひっくり返ってるうちはぜんぶ逆になるの」

「なん、……わかった。じゃあ当分は下ろさないで」

「仕方ないわね、ならしばらくそのまま放置してあげるわ」

「……話が違う!」


 とまあ、こんな具合のやりとりが続き、居間は朗らかな笑い声で満ちていた。




 ・・・・*




 どんなに楽しい夜もいつかは明ける。ただでさえ排気ガスに染まることの多いペープサートの空は、その日は朝からどんよりと曇っていた。

 綿埃のような雲が垂れ込める中、ストローとクワイエットはジュディ通りの廃屋に帰った。

 戦いに向けて準備を万全にしていくためだ。


 五寸釘を数えていたストローが、あら、と少し気の抜けた声を出す。


「数が合わない」

「それって煙出執事スモーカー・バトラーに打ち込んだのも数えてる?」

「ええ。靴下人形ソック・パペットからは回収したけどスモーカーは中を開けられなかったから……それを差し引いても三本ほど足りない。たぶんあなたに分解されたときに落としたのだと思う」


 そう言われてクワイエットは記憶を辿ろうとしたが、あのときは逃げることに必死で、どうだったかわからない。

 あとで復元に困らないようにと、なんとか体内部品だけは漏らさず拾った。しかし五寸釘のような細かいものは見落としても仕方のない状況だったろう。


「昨日の今日だし、まだ廊下に一本くらい落ちてるんじゃないかしら。それじゃ足りない?」

「大丈夫。他のものも持っていくから……どのみちここに戻るかわからないし」

「……それどういう意味よ?」

「あ……その、ディックに言われたの。家に来ないかって……つまり彼は正当な相続人だから……」


 その言葉がどこかぎこちないのは、ストローの中でまだ、六十年前に見た少年と現在の老人形師とが上手く合致していないからだろうか。人形は何年経とうがちっとも変わらないのに、人間は歳を取って、ほんの数年で別人のようになることもある。

 ましてそれが十代と七十代では、結びつかないのも無理はない。


 まったく変化していないマーガレットやチャールズのほうがおかしいのだ。だからあれはもう、人ではない。


 そういえば、とクワイエットはまだ準備中のストローを見た。

 チャールズのほうは本能が命じるままに倒せばいいとして、マーガレットについては、ストローはどう始末をつけるつもりなのだろう。残念ながら彼女を人間に戻すことは恐らく不可能だ。

 かといって人形が、自らの主を手にかけることなど果たして可能だろうか。


 ――きっとあたしの仕事になるわね。


 クワイエットは決意を込めて、灯油オイルを注ぎ直したランタンを掲げた。



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