23◆ホーム、スイートホーム

 ストローの復元に、結局まる一日を要した。


 さすがに他の人形とは勝手が違う。おおよその構造は問題ないが、彼女の内部には呪術に関連するらしい未知の部品がいくつかあって、それを闇雲に触るのが躊躇われたのだ。

 幸いストロー自身がある程度の配置を理解していたので、ひとつひとつ尋ねながらの作業になった。


 かねての予想どおり、彼女は一般的なエニグマレル入りの愛玩人形として作られたあと、部品の交換や追加をする形で藁人形として作り変えられたらしい。

 だからマーガレットが何をどこに入れたのかを人形自身がその目で見て記憶している。

 エニグマレル周辺の胸部だけは、その重要性ゆえにストロー自身も触れたことがない暗箱ブラックボックスとなっているが、同時に作りも頑丈になっているため、まったくの無傷で残っていた。


 ともかく時間はかかってしまったものの、復元自体は無事に完了した。元どおり、呪具のひとつも欠けることなく、藁人形が別の何かに作り変えられることもなく。

 これでいい、と老人形師は自らに言い聞かせた。


 彼女は伯母の人形なのだ。

 これ以上手出しをする権利は、まだ自分にはない。


 ひと通りの作業が終わったところで、手伝ってくれていたクワイエットがなんとなしに時計を見て、あっと声を上げる。


「もうこんな時間? 夕飯の支度をしてなかったわ。パペット、あんたも手伝いなさい」

「はーい」


 パペットの返事は普段ほどの元気はないものの、声音は明るかった。

 連れ立って部屋を出ていく、ふたつ並んだ人形たちの小さな背中を見て、リチャードは小さく息を吐く。


 もうパペットはクワイエットを恐れていないのだろうか。ひいてはクワイエットが、彼女の負わされた罪について咎めたりはしていないだろうか。

 彼女らを見るたび、そんなことを考えてしまう。


 実際のところは本人に聞いてみなければわからない。破壊された恐怖など人間には想像もつかないが、簡単に拭えるものでもないはずだ。むしろ恐ろしいからこそ大人しく従っているだけかもしれない。

 パペットはひょうきんに振る舞うよう設定されていて、陽気が目立つ代わりに自省的ネガティブな本心がわかりづらい。

 それにクワイエットも、あれで周囲をよく見て弁えている。少なくともリチャードの前ではパペットに辛く当たることはしないだろう。


 しかし内情がどうであれ、今見ているものこそ望ましい光景には違いなかった。


 人形たちには仲良くしてほしい。人間のしがらみになど囚われずに。

 これもしょせん人間のエゴで、リチャードはそう思わずにはいられない。


「おれも部屋に戻って荷造りの続きしてくるよ」

「ああ。……あまり熱中して夕食に遅れないように、という忠告は今日は要らないね?」

「あはは、うん、今日はね」


 テディを見送ってからストローに視線を戻すと、彼女はようやく作業台から自分の足で降りられたところだった。

 しばらく肩を回したり関節を曲げたりして具合を確かめたあと、納得した表情で頷いている。復元の手際には満足してもらえたようだ。


 エプロンドレスはぼろぼろになってしまったので、代わりに林檎色アップルグリーンのワンピースを着せたが、それもよく似合っている。


 リチャードは黙ってそれを眺めていたが、ふいにストローがこちらを見た。そして少し躊躇うように口を開いたのが見えたが、実際にそこから声が発されたのは、数秒ほど間を置いてからだった。


「あの……」

「うん?」

「……今夜、この家に泊まってもいいかしら」

「もちろんだとも」

「ありがとう。……その、いろいろと」


 どこかはにかむような声音でそう言って、藁人形は眼を細める。もしかするとそれは、彼女なりに微笑もうとしているのかもしれない。

 こちらの見立てでは表情を作る機巧には問題はない。だからストローが上手く笑えないのだとしたら、その原因は藁の身体ではなく、精神的なところにある。


「遠慮は要らないよ。私は人形師として、当然のことをしているだけだ。それに」


 老人は彼女の前に進み出て、その手袋に包まれた小さな手を取った。


「今夜と言わず……明日、マーガレットのことが決着したら。これからはここで、私と暮らしてくれないか」

「ディック……」


 ストローは驚いたように目を瞬かせてから、そうね、と小さく答えた。


 いくらリチャードが頼むような言葉を使ったところで、人形である彼女には選択の権利はない。だから頷く以外に答えようがないのだ。

 そして、それだからこそ、リチャードは敢えて人形に判断を委ねたかった。


 マーガレットに子どもはおらず、ほかの親族は皆もう天国に行ってしまった。

 だから彼女の遺産相続人はもうリチャードひとりだけだ。そしてそこには藁人形の身代も含まれている。人の法において、彼女を受け取る権利がリチャードにはある。

 そんな理屈をかざすまでもなく、言えばストローは従うだろう。けれどリチャードが求めているものは従属などではないのだ。


「……ずっと放っていて、すまなかった」


 藁人形は答えなかった。

 ただ少しだけ瞼を震えさせて、どうしてだかその表情は、リチャードには泣きそうな顔をしているように見えた。




 ・・・・+




「あら、小麦粉がもうない。買い置きしてあるかしら……とりあえずこの棚にはないわね。パペット、どこにあるか知ってる?」

「んーん? 知らないー」


 台所にて。

 クワイエットの問いに、パペットはふるふると首を振る。


 普段この家では料理の手伝いなどしない。

 そもそも男性の二人暮らしということもあり、週七日のうち三日か四日は通いの家政婦に任せている。あとは近所のパン屋などで買える惣菜、ないし人形修繕の謝礼で賄われているようだ。

 ごく稀にテディが作ることがあるらしいけれど、まだここに来て日の浅いパペットはその場面に遭遇していなかった。


 食料棚の扉を閉めたクワイエットが、そこでぴたりと動きを止める。

 なんだろうとパペットは不思議に思い、そしてちょっと背後から覗き込んでみた。そして、その扉に嵌め殺された硝子の表面に、己の姿が映り込んでいるのに気づく。


「……?」


 表面が凸凹しているせいで、そのパペットの顔はどこか歪んで見えた。そして、それを硝子越しに見るクワイエットも、なんだか睨んでいるようだった。


「ね、ねえ……キューも……」

「ちょっと待ちなさい、あんたに愛称を許した覚えはないわよ」

「……えー、だって、ストローそう呼んでるー」

「あの子はいいの。あんたは礼儀と敬意をもってクワイエットと呼びなさい。でなきゃ返事してやらないから」


 ぴしゃりとそう言われ、パペットは口を噤む。

 別にクワイエットの名前を呼ぶのが嫌なのではない。そのためにわざわざもう一度、遮られた言葉を言い直したくなかったからだ。


 ――キューも、かわいいパペットのこと、嫌い?


 パペットは見かけは子どもだが、中身はそれほどではない。少なくとも本人はそう思っている。

 だから自分の起こした事件が絶対に褒められたものではないことも、みんながそれでパペットを疎んじているのも、理解していた。


 おまえは悪い子だ――いつか何度も電気鞭で叩きつけられた言葉が、烙印のように浮かび上がってくる。


 人形は壊れても作り直せる。エニグマレルさえ問題なければ、どんな粉微塵になっても身体を入れ替えてでも復活できる。

 だけど人間は、一度死んだらもう生き返れない。

 それくらいのことはパペットだってわかる……前は知らなかったけれど、警察でそうやって罵られたから覚えた。殺した子どもたちは帰ってこない。


 だけど正直、羨ましいと思ってしまった。

 彼らの痛みは一度で終わる。壊されては作り直されて、何度でも殺され続けたりしないのだから、と。

 ――さすがにそんな思考を口に出さない程度の分別もあった。


「……何よ?」


 パペットが黙り込んだものだから、クワイエットが不審そうに柳眉をひそめる。

 そしてこちらが何か答えるよりも先に扉が開いた。その先の廊下に立っているのはテディで、開けた瞬間に二体が揃って自分を見たものだから、ちょっと驚いたような顔をしている。


「どしたの? ふたりとも、なんか怖い顔してるけど……」

「大したことじゃないわよ。それよりテディ、一応訊くけど、この家には小麦粉の予備はある?」

「……あー、どうだったかな。最近見てないからわかんないや」

「そう。じゃあパペット、ちょっと行ってリチャードに訊いてきなさい」

「う、うんッ」


 これ幸いとばかりにパペットは台所を飛び出した。

 やっぱりクワイエットのことが苦手だ、と思いながら。


 もちろん一度派手に破壊されたせいであることは言うまでもない。ほとんど一瞬だったとはいえ、痛覚器官が焼き切れるかと思うほどの衝撃だった。

 それに、なんというか、彼女はあまり人に対して優しくない。

 決して意地悪というわけではないが、明らかに人間たちやストローに比べてものの見かたが厳しい。元犯罪者のパペットが快く思われないのは当然としても、やはり悲しい。


 テディもパペットのことを避けている。彼自身は態度に出さないよう気をつけているが、それでも隠しきれていない。

 家の中でばったり出会うたび、テディの瞳はさっと恐怖に曇るのだ。


 本来ならパペットはかわいがられ大事にされて、人を笑顔にさせるための人形だったはずなのに。

 パペットを見て笑ってくれる人間は、リチャードだけ。膝に乗せて頭を撫でてくれる人は彼しかいない。

 ――そう思いながら、作業部屋の扉を開けようとした、そのときだった。


「ここで、私と暮らしてくれないか」


 ドアの向こうから、そんな言葉が聞こえてきた。



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