22◆人形の命

 人形師たちはこぞって作品を人に近づけようと努力してきたが、そこに崇高な目的や理念などない。

 あるのは己の技術に対する矜持と、悪気のない好奇心だ。つまりは自分が今どこまでやれるのかという無邪気な挑戦的思考。

 そしてとどのつまりは自身の実力を目に見える形にして、それを世に知らしめ認めさせようとする、いってしまえば身勝手な自己顕示欲でしかない。


 リチャードもこの手で数百の人形を組み上げたが、それより何倍も多くの神秘の箱を製作してきた。

 人形師に資格はなく、ひいては等級や身分の類もないのだが、それでも慣例的に最高格とされているエニグマレル設計技師――それがリチャードの現役時代の肩書きだった。


 手のひらで包めるほどの小さな箱が人形の心になる。そこに詰め込んだすべてが人形の人生を縛り続ける。

 だから悪意や好奇心を込めてはいけない。

 人形師は、そして設計技師は、いわば数十年に渡って稼働することになる人形の親なのだ。起こりうるすべての責任はこの手にかかっている。


 パペットのことも、その思想ゆえに守ろうとした。

 復元前の彼女に凶行を強いたのはグラン・ギニョールのチャーリーであって、彼が正常なピグマリオナイトを使っていれば、事件も被害者も存在しなかったのだから。

 パペットに罪はない。少なくとも、人形師つくりてである自分が彼女さくひんを責めることは絶対にしてはいけない。


「……直……して……」


 ふいに小さな声がして、その場の全員がハッと顔を上げる。


 声の主は作業台に散らばった無残な姿のまま、悲しそうな眼差しをリチャードに向けていた。

 無機質なはずの硝子玉に映り込んだ照明の灯りが、眼窩の底に光の粒を溜まらせて、まるで涙ぐんでいるように見える。

 単にリチャードの自省的な気分がそう思わせただけかもしれない。あるいは今この部屋に満ちている、過ぎ去った昔を忍ぶ感傷的な空気が。


 藁人形の身体はバラバラのままだが、並べた際にエニグマレルに導線のひとつが重なった部分があったらしい。正しく繋いだわけではないから意識が朦朧としたような状態だろう。

 リチャードは少し考えて、一本だけきちんと接続した。簡単に外れないように盤陀はんだで固定する。


 横でクワイエットが咎めるような視線を送っているのは、見ないふりをした。


「……わからなかった。あなたがあのディックだなんて……、人間の姿はずいぶん変わってしまうのね」

「私を憶えていてくれたのかい? ほとんど会ったことがなかったのに」

「マーガレットが……よく話してくれたから……」


 その言葉に老人は目を伏せた。かつて伯母は、リチャードを愛称でそう呼んでくれた。


 優しい人だった。温かく純朴で、時に損をするほどに親切で、人の厚意を疑うことなど知らない人だった。

 まだ世間知らずの少年だった甥ですらそんな伯母を危なっかしく感じていたほどだ。


 だから彼女が呪いの人形なんてものを作ったことが今でも信じがたい。一体マーガレットに何があったのだろう。

 リチャードがもう少し大人だったなら、彼女は事情を話してくれただろうか。


 ただストローを最初に目の当たりにしたときに、思ったことがひとつある。


 たしかに六十年前、伯母の作業場でこの人形を見た覚えがある。そのときまだ制作の途中だったので、エニグマレルが組み込まれておらず、彼女に自我はなかった。

 その後、彼女が動くようになってからもほとんど言葉を交わさなかった。

 マーガレットは完成した人形を作業場の奥の小部屋に仕舞っていて、そこにはリチャードを入らせなかったからだ。たとえ甥が自分と同じ人形作りの道に進んでいても。


 なぜなら伯母の作る人形には、依頼者の秘密が含まれていることがあったから。

 リチャードだけでなく、戦争で家族を失った人が多い時代だった。その穴埋めに人形を求めた人もそれだけ多かった。


 だからストローもそうした誰かの依頼で作られたものだと思っていたし、その当時は少なくとも、彼女の材質は藁ではなかった。リチャードが最初に見た剥き出しの身体は木製だった。

 つまり初めに作られたとき、彼女は呪いの人形などではなかったはずなのだ。今の外見はその名残ではないかと思っている。


「キュー、ありがとう。私はどうやら、こうして身動きのできない状態になったことで、少し冷静になれたみたい……」

「何よ、皮肉のつもり?」

「いいえ。言葉どおりに受け取って。……落ち着いて考えたら、するべきことを思い出せたの。つまり私が作られた理由もわかった。

 だからリチャードさん――いいえ、ディック。私を直して。私はもう一度あそこに行かなくていけないの」


 藁人形はそこで瞬きをして、茜色の瞳を天井に向けた。


「……チャーリー……あの男の名前はチャールズ・フォークス。彼を殺すことが、私の使命」


 その声に悲哀はない。そもそも人形に善悪のものさしなどない。

 名前に定められた動きをすること、それだけを与えられて生み出された存在なのだから。

 それがたとえ人殺しのような倫理に背く行いであっても、彼女にとっては唯一無二の存在意義であって、それ以上でもそれ以下でもないし、今さら他の何かに挿げ替えることもできない。


「なぜ伯母は、そんなことをきみに命じたんだ?」

「……あなたを守るためよ。ディック、あなたの才能をマーガレットは誰よりも信じていた。そのためにコネを作ろうとして、無茶な依頼だって引き受けた。

 それを……フォークスは、マーガレットのあなたへの愛につけ込んで踏みにじった……マーガレット自身がひどく混乱していたから、私は断片的な情報しか知らないけれど。覚えているのは、彼女があなたの身を案じていたこと……よく口走っていたの。ディックが危ない、このままではあの子が殺される、と……」

「要はあの男、そのときすでに正気じゃなかったってことよね」

「そうでしょうね。だから……のはマーガレットだけではなかった」


 人間たちは息を呑んだ。恐らくいちばん向こうの事情を知っているパペットは、そこで俯いた。

 傷つけられた人形たちは顔を見合わせて、それぞれ重い声音を吐く。


「あれはもう人間じゃない」

「……しいていえば、人形」


 卒倒しそうになったリチャードは、作業台の端に手をついてなんとか倒れるのを堪えた。駆け寄ってきたテディに支えられ、部屋の隅にやっていた椅子をパペットに持ってこさせて、ひとまずそこに腰を下ろす。


 そんなことがありうるのか。あっていいのか。

 一体どんな理屈と技術と工程を経ればそんなことが可能になるのかはリチャードの知識と経験をもってしてもわからないが、知りたくもないし、そのおぞましい発想自体を理解できないほうがいい。

 人間を生きながら人形にするだなんて――それも人形師自身が、自らの身体をそのように作り変えるだなんてことは。


 伯母は、そんな狂人の手で弄ばれたというのか。

 考えるだけで吐き気がした。何よりその悲劇を六十年も知らずに放置してしまった事実に、リチャードは耐え難いものを感じた。


 憔悴しきった老人に、テディも何と声をかけたらいいのかわからないのだろう。少年はまるで自分も一緒に傷ついたような表情をしている。

 彼はほんとうに優しい子だ。


「……おれ、警察を呼んでくるよ。ちょうどそろそろ巡回にくる時間だし……」

「だめ。これは私とマーガレットの問題……それに、通報すればそれで済むのなら、そもそもマーガレットは私を作っていない。きっと彼らを頼りにはできないの。私でなければあの男は殺せない」

「その調子じゃあまだ冷静とは言い難いわね。でも、……たしかにこの機会を逃す手はないわ」

「クワイエットさん!?」


 さっきまでストローを止める立場だったはずのクワイエットが急に意見を変えたものだから、テディは戸惑っている。そんな少年に向かって、腹話術人形は静かに答えた。


「……人形あたしたちは、他の生きかたなんて選べないのよ」


 言いながら彼女は微笑んでいた。けれど、その笑顔には諦観が滲んでいる。


 彼女だって自由ではない。放浪の野良人形に身をやつしていても、いつかは誰かの手許に帰らなければならないことを本能で知っている。

 どうしたって人間なしでは生きられない。彼女たちの存在意義は、いつだって人間が決めている。

 ……そんな表情だった。


 藁人形がフォークスを倒すものとして作られているのなら、それを果たさないことには存在意義がない。エニグマレルに規定されている以上、ストローがその思想から脱することは不可能だし、彼女の六十年の孤独が他の形で報われることも絶対にない。

 同じ人形であるクワイエットには、それが誰よりも理解できるのだろう。


「わかった。それじゃあ……まずクワイエットの修理を終わらせて、それからストローを復元しよう」

「あら、わかってるわね」

「……敵の数が多いことはわかっているのだから、先に直されたとしてもキューを置いていったりはしないけど……」

「どーかしら。待ちきれないって顔してるわよ?」


 藁人形はそこでちょっと驚いたように眼を見開いて、それから少し細めた。



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