21◆再会、あるいは二度目の別れ

 ストローの残骸をリチャードの仕事部屋に運び、パペットのときと同じように元あった位置を再現するようにして並べた。

 幸いエニグマレルは無傷だし、部品も可能なかぎり拾って持ってきた。一部足りないところと破損のひどいものだけ交換すれば、そして他ならぬリチャードの腕があれば、復元はさほど困難ではないだろう。


 クワイエットはしかし、敢えて老人形師を制止した。


「リチャード、あたしが戻るまでストローはそのままにしておいて」

「……いいのかい?」

「直したら追いかけてくるに決まってるもの。……は、あたしがなんとかしてくるから」

「ちょ……ちょっと待ってよクワイエットさん、そんな状態でどこに行く気なの!? クワイエットさんだってぼろぼろじゃないか……」


 テディに言われて初めて、自分の脚に大きなヒビが入っていることに気付いた。そしてそれが傍目にもわかるほどドレスが盛大に破けている。

 ここまで己の身なりに構わなかったことなどクワイエットとしても初めてで、それほど自分が冷静さを欠いているのだと思い知らされたようだった。

 だがまあ、無理もないだろう。とにかく必死だったのだから。


「クワイエット、きみの修理をしてもいいかな。そしてその間に何があったか話してほしい」

「……そうね、頼むわ」


 この脚では森に辿り着くことすら危ういかもしれない。

 それくらいの判断はついたので、クワイエットは諦めて作業台に腰を下ろした。つまりストローの隣に。

 傍らの友人は、今は虚ろな瞳で停止していた。



 ……。どこから話せばいいのやら。

 今からだいたい二時間ほど前、クワイエットとストローは森の奥にあるグラン・ギニョール社を訪ねた。かなり手荒な歓迎を受けたが、それは問題ではない。


 結論から言えば社長のチャーリーには会えた。パペットの話から想像していたとおりの異常な人物だった。

 だが、そこにいたのは彼だけではなかった。


 暗闇の廊下をどうにかするべくクワイエットが天井を蹴破ったとき、恐らくはその物音を耳にして、社長室と思われる部屋からチャーリーが出てきた。

 そしてもうひとり、彼の背後に、従うようについてきた女の姿があった。


 そのときだ。ストローがおかしくなってしまったのは。


『……マーガレット?』


 彼女がそう呟いたのを、クワイエットは隣で聞いた。たしかにストローはその女をそう呼んだ。

 その名前が、かつて藁人形を作って捨てた張本人のものだということは、クワイエットも以前に聞いたことがあった。


 そんなはずはない。彼女が生きているはずがない。


 けれどストローにそんな理屈は通らなかった。あるいは、失った主とそんな形で再会した経験などクワイエットにはないから、想像ができないだけかもしれないけれど。

 とにかくストローはランタンを放って駆け出してしまった。咄嗟にクワイエットが手を伸ばして掴まなければ、そのまま火事になってもおかしくはなかった。

 ……いっそのこと、そのほうがよかったのかもしれない。


『なんだ、この、薄汚い娘は。これは私の人形じゃあない。私たちの娘じゃあないよ、そうだねダーリン? ……そうだ、そうだとも! きみの言うとおりさ』


 チャーリーは、そしてマーガレットは、冷たい眼でストローを見下ろした。

 女は一言も発しなかったが、男はひとりでぺらぺらと喋った。まるで彼にだけはマーガレットの相槌が聞こえているかのように。


『他社の密偵スパイを排除しろ』


 社長の号令に従って、廊下に並んだ扉が一斉に開いた。そこから大量に表れたのは弱弱しい靴下人形ではなく、金属の身体を持った兵士のような人形たちだった。

 見た目で勝手に名づけるなら、錫の兵隊ティン・ソルジャーとでもいうような。


 すでに事前の戦闘で片腕を壊していたストローが、大量に現れた硬い人形相手に立ち回るのは困難だった。

 それどころかストローは兵隊たちに見向きもしない。戦う気など微塵もなくて、ただただ主の姿だけを硝子玉の眼に映し、ふらふらと片手を伸ばすだけだ。

 クワイエットはだから、もともと階段から落ちないようにと彼女に繋いでいた糸を手繰って無理やりストローを引き寄せた。


 ここは一旦退くべきだと言っても、ストローには聞こえない。彼女の頭の中にはもうマーガレットのことしかない。

 狂ったように主の名前を叫んでいた藁人形に、もしも涙を流す機能がついていたら、きっとその場で涙液を使い切ってしまったことだろう。


 なぜなら彼女の目の前で、マーガレットは再び背を向けたのだから。


『マーガレット……マーガレット……! ああ、あ、行かないで、マーガレット! 私を置いていかないで!』


 廊下の奥の暗がりに消えていく男女の後ろ姿に、ストローは縋りつくようにして声を放る。届くはずもないその悲鳴が、マーガレットの代わりにクワイエットの心を裂くようだった。


『待って……ねえ、行かないで……!

 キュー、離して! 手を退けて、この糸を解いて! 私は行かなければいけないの!

 マーガレット! マーガレット! ……マーガレットッ……!』


 クワイエットはストローを抱えてその場を脱出しようとした。

 彼女を抑えるのに精一杯だったから兵隊どもにはやられっぱなしだったし、ストローがどうしても言うことを聞かずに暴れるせいで、そのままではふたりとも自滅してしまう。


 だからやむを得ず、ストローを破壊した。

 そうしなければ逃げられなかった。



 ……。

 クワイエットが話し終えると、リチャードが工具を置いて、静かに息を吐いた。


「……生きていたのか……?」


 彼はそう呟いた。老眼鏡の奥で、天頂色ゼニス・ブルーの瞳が潤んだように見えたのは、たぶん気のせいや灯りの加減によるものではないだろう。

 薄々そんな気はしていたから、クワイエットはさほど驚かなかった。


「そんなはずないわ。六十年も前にいなくなった人があんな姿なんて、ありえないもの……」

「あんな姿?」

「……そのマーガレットって女の見た目は、三十歳くらいだったのよ。ほんとうなら今ごろしわくちゃの老婆でなきゃおかしいでしょう?」

「ああ……。生きているなら今年で九十四歳になるはずだから……」

「やっぱり……知ってたのね、この子の主のこと。六十年前というとあなたは十代前半ってところ?」


 老人は頷き、眼鏡を外した。


「六十二年前だ。私は十一で、彼女は三十二歳。

 ……マーガレット・ホームズは私の伯母だ。戦争で両親を亡くした私にとっては、彼女がたったひとりの家族だった」


 恐らく当時、女流人形作家は珍しい存在だったろう。

 だがリチャードが言うには、彼女の稼ぎだけで生活が成り立っていたそうだから、相当な売れっ子だったということになる。のちに藁人形を作るだけの素質は充分にあったわけだ。


 しかし、彼女は藁人形を残して失踪した。


 リチャードは当時まだ子どもだった。すでに働きに出てはいたが、マーガレットから何もかも話してもらえる年齢ではなかった。

 だから伯母の身に何が起き、どこに行ったのかは知らなかった。

 それに藁人形のことも、それらしいものを作っていたことには気づいていても、それをどこにやったのかはわからなかったのだ。


 藁人形が人の噂に上るようになったのは、伯母が消えてから十年近く経ってからだった。

 半信半疑だったリチャードは彼女を探さなかった。そもそもほんとうに呪いの藁人形などというものが存在するのかも怪しい。前例がないし、仮にいたとして、噂になっているものが伯母の作った人形と同じものかどうか。


 ……仮にそれをリチャードが見つけても、どう扱えばいいか、わからない。

 マーガレットは自宅に藁人形を残さなかったから、恐らく彼女は甥がそれを引き継ぐことを望まなかったのだろう。少なくともリチャードはそう思った。


 それでも、下宿人として受け入れた少年が藁人形に会ったと言い出したときは驚いたし、一度くらい会ってみたいと感じたのも事実だ。

 ただ肝心のテディはクワイエットに執心していたので、ストローについてはあまり話を聞く機会がないまま六年が経った。


「……この前。テディがいなくなった日に、この家で初めて会ったとき、あなたはまずストローを見たのよね。この子を見て、悲しそうな顔をしてた」

「ああ、伯母の人形だと確信したのはそのときだ。……しかしよく見ていたね」

「これまで色んな人間を見てきたもの、要は経験と勘よ。それに知名度は藁人形よりあたしとアーネストのほうが上。なのにこのあたしを差し置いてその反応だから、これは何かあるってわかったの」


 クワイエットはふうと息を吐いた。人形はたまにこうして人間を真似るような仕草をするが、それもそうするように組み込まれているからだ。


 主材料である木は、できるだけ木目の目立たないものを選ぶ。それを丁寧に彫り込んで作った顔にはゼラチンや天然ゴムからなる人工皮膚を張って、その質感を人の肌に近づけた。

 頭髪や爪も可能なかぎり不自然な色や感触のものは避け、眼には透明度の高い硝子玉を。

 どこまで人形を人間に近づけられるのか、まるで生きているかのような姿を表現するために、長い年月をかけて人形師たちは腕を競ってきた。


 その究極形が神秘の箱エニグマレル。無機物だったはずの人形に命を吹き込み心を与えてしまう、まさしく世紀の発明であり――これ以上ないほどに、それは人間の私欲エゴの結晶なのだ。



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