18◆喫煙執事<スモーキング・バトラー>

 靴下人形たちは、はっきり言って一体一体はとても弱い。

 外見からして動く布袋のようなものだし、ラブリー・パペットのような凶器も持たない彼らにとって、最大の武器はとにかく頭数だった。


 つまりストローが真っ先に思ったのは、クワイエットがいてよかったということだ。

 自分ひとりでこれだけの数を相手にしたら日が暮れる。あるいは数に圧されて潰される可能性もないわけではないと、飛びかかってくる群れを幾度となく破壊しながら感じた。


 ストローの手には五寸釘が三本、人差し指から小指の間に一本ずつ挟んだ形で握られている。

 さらに狩爪クロー代わりの釘が衝撃で外れないよう、拳の内側には廃棄物ジャンクで作った固定器具を仕込んでいた。この鋼鉄の握りによって殴打の重さと威力も補強される。

 見てくれば小柄な少女だが、人形の膂力なら大の大人相手だろうと肉弾戦で渡り合うのに不足はない。


 野良人形の暮らしは楽ではなかった。ストローもまた、身を守るために武芸を身につけたのだ。

 呪術はあるが、いくら強力でも仕込みがいるぶん対応が遅れてしまうため、突発的に襲ってきた相手を殺さない程度に素早く痛めつける術が必要だった。


 ちなみに借りもののランタンはドア横に残してきた。戦闘の余波で壊してしまわないように。


「っとに、何匹いるのよ!」


 少し離れたところでクワイエットが苛立った声を上げる。

 ソックたちが分散するよう、そして互いに邪魔にならないように、彼女はストローと距離をとっていた。彼女の場合は武器が扱いやすい間合いもそこそこ広いから尚更だ。


 戦場となった玄関と門の間の広い前庭は、すでに靴下の群れに占拠されつつある。

 それだけの数のエニグマレルがあり、それらも血で変質しているのかもしれないと思うと、つくづく狂気的な光景だ。


「司令塔を潰すほうが早そうね、ッ」

「あの埃吐人形ダスターでしょ、あんたのほうが近いわ! 雑魚は引き受ける!」


 こんな状況でも皮肉を忘れないクワイエットに、ある意味感心してしまう。


「了解」


 短い回答とともにストローは身をかがめ、そこから跳躍した。

 群がってきたソックを何体か足場の代わりにして、布越しに彼らの骨組みフレームを踏みつけながら、少女人形は軽やかに舞う。

 事実この身体は木製の人形よりはずっと軽い。


 狙いの埃……もとい煙出人形はというと、扉の前に静かに佇んでいた。ときどき腕を振っているのを見なければ、戦局を傍観しているだけにも思えるほど、そのおもてには表情がない。

 たとえ目の前にストローが降り立ち、釘付きの拳を真正面から叩き込もうとしても、彼は顔色ひとつ変えなかった。


 いや、変える必要がなかったのだ。


 想定以上の重い手応えにストローは一瞬困惑した。しながらも、すぐさま後ずさった。

 直後に鼻先をかすめた風圧が、その判断の正しさを直感的に理解させる。

 そして、やはり一瞬でも反応が遅れていたら今ごろ自分は存在していなかったのだ――そう確信を持てるようなおぞましい抉れが、寸前の立ち位置に深々と残された。


 スモーカーは表情をこわばらせたまま、彼の凶器をもう一度のろのろと持ち上げる。

 手に何か持っているわけではない。彼自身の腕が、その重量と頑強さこそが金槌か棍棒のような威力を有しているのだ。


 まだびりびりと震えの残る手を持て余しながら、ひとまずは次の攻撃を避けることに集中する。

 幸いにして動きは敏捷とは言いがたい。硬さからしても内部の主素材は金属に違いなく、その重さのぶんだけ動作に遅れが生じるらしい。

 対照的に身軽なストローは、振り下ろされる拳の合間を縫うように回避しながら彼を観察した。


 頑丈さに驚いたのは、見た目ではそうと判断ができなかったからだ。つまり剥き出しの顔には目立った装甲の類はない。

 そのあたりに自分と近しいものを感じながら、敢えて攻撃を待った。


 地面を砕く一撃。当たれば簡単に廃棄処分スクラップになれるそれを、いかに反射能力を持つ呪い人形でも正面から受けるのは躊躇われる。

 たとえ自らの生に満足していなくても、まだ壊れるつもりはない。

 その拳の上に飛び乗る。そのまま腕を上げる動きに合わせ――むろんこちらの思惑に気付いたスモーカーがそれを途中で止めたとしても、ほんの少しの足場と揚力があればいい――ストローは跳んだ。


「三匹の子豚の寓話を知っている?」


 煉瓦は当然として、木よりも藁のほうが軽いのだ。

 そこに神秘の箱から発されたピグマリオナイトの力熱を得て、脚のバネを存分に伸縮させたなら、七フィート二百センチはあろう煙出人形の背だって軽々と超えられる。


 瞬時空を舞い、重力に従ってその負荷のすべてを拳に落とす。

 その一撃は頭部に深々と突き刺さり、彼の木製の頭蓋骨を砕くのには充分な威力となった。……だが、人間と違って人形の頭部にはそれほど重要な器官が積まれているわけではない。


 スモーカーは愚鈍な動きながらストローを払い退けた。速度がなかったのが幸いして、そこで哀れ全壊という悲劇は免れたものの、ストローは十五ヤード十三メートルばかり派手に吹き飛ばされた。

 もうひとつ幸運だったのは着地点に靴下たちが群れていたことだろう。彼らの柔らかい表地が多少なりと緩衝材として働いたおかげで、地面に叩きつけられずには済んだ。とはいえ、敵の中心に落ちたことには変わりない。


「ストロー!」

「っ……大丈、夫、問題ない」


 スモーカーの打撃を受けた左腕はもう動かせないが、なんとか片手だけでソックを蹴散らす。


「無理しな――……ったくもう! うじゃうじゃとキリがないわね!

 とにかくその腕じゃキツいでしょ、煙出人形あいつの相手はあたしが替わるわ」

「いいえ。あれの対処はあなたより私のほうが向いているから、このままでいい。それに」


 ストローは右腕を振る。握り拳はそのままで、袖口からその上にもうひとつ五寸釘が滑り降りてきた。

 これが商売道具だから、まだまだ隠し持っている。


「――もう、あちらの仕込みは済んだから……」


 左手が使えないので口でそれを咥えると、ストローは迫ってきたソックパペットの一体に自ら突進した。


 眼の高さが揃っておらず鼻もなく、無意味に大きな半開きの口は、ラブリー・パペットのような牙もない。ソックはいずれも子どもの落描きのような間抜けな顔で、幼児の玩具としては案外売れそうな外見だ。

 ストローはその憎めない眉間へ、キスと呼ぶには荒々しい速度で咥えた五寸釘を突き立てる。勢いで吹き飛んだソックが背後の数体を巻き込んだ。

 これで、の仕込みも終わり。


天ツ火を以て焼浄オン・アニチヤ・すべしソワカ


 空いた口で呪禁の真言を唱える。ただ読み上げるのではなく、咽頭内にあるそのための機巧を震わせて。


 ばきん、と耳障りな音が響く。

 まず最初に、釘打たれたソックの顔がぐしゃりと歪んだ。布袋の皮膚の下で骨組みが粉砕したのだ。

 彼らに痛覚があるかどうかは知らないが、あったとしても感知する時間はなかっただろう。


 断末魔さえ上げずにその場に崩れ落ちたソックの向こうで、異変を起こした人形がもう一体。


 こちらに向かおうとしていたらしい体勢のまま、スモーカーが硬直している。すでに頭部はストローに砕かれているため表情はわからない。

 人工皮膚の裂け目から、骨組みの破片がぱらぱらと落ちる。

 そして遅れてうっすらと白いものが這い出した。いや、それの向かう先は上だ。溢れるようにして溢れた煙が、もうもうと空へその手を伸ばす。


「あ……が……たし……ある……じ……ぁ」


 スモーカーが何事か言おうとするたびに、白煙に混じって黒いものが溢れる。

 埃。数種類の虫に鼠やとかげの死骸。その他、いちいち書き記す気もしないようなおぞましいものが、ぼろぼろと執事の口からこぼれ落ちた。


「……名前、虫出しエクスターミネーターのほうが良かったんじゃない?」


 クワイエットがそれを見て、顔をしかめながらぼやくように言う。


 やがて汚物はすべて吐き出されたのか、煙出し人形は本来そうあるべき姿になった。つまり、ぱくりと開いた口からゆらゆらと煙を噴き上げていた。

 けれどもすでに煙の量は初めの糸のような細さではない。そして色も、すっかり薄暗くなっていた。

 彼の腹の中で、ぶすぶすと嫌な臭いを含んで燃えているものが何であるのかは、たぶん考えないほうがいいだろう。


 とにかくスモーカーは停止した。ストローが頭部に叩き込んだ釘はすでに胴体のエニグマレルに到達し、正常な動作が不可能な段階まで破壊している。

 傀儡石から漏洩するエネルギーはそのまま呪物が吸い上げて炎に変えた。彼の体内を満たしていたあらゆる穢れは、呪術に招き起こされた火によって浄化されるのだ。


 スモーカーが沈黙した途端、ソックたちもぴたりと動きを止めた。



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