企画参加ありがとうございます。けろぬら(仕事中に徘徊)です。
人形の心を生みだし自立させる街。そして人形師。
人形が主人公というなんとも不思議なお話です。
感情はあるが痛覚はなく。人の心が判るのに自己の造られた目的に縛られる。
主人公達の人形であるという縛りがそのまま行動を縛るジレンマとなってお話にアクセントが付いていると感じました。
主人公が呪いの藁人形と言う、ある意味ピーキー過ぎる設定ですが、彼女自身の謎も多々含んでいるようですので、今後、彼女の在り方がどの様に変化していくのかが物語の中心になるのかな、と。
願わくば彼女の制作目的が行使されないことを祈ります。
ちょっと疑問点を。
腹話術人形やマリオネットなど操作系の人形は本来、人が介在することによって命を吹き込む、とでも言えるものだと思います。
が、その人形に心がある場合、人が操作する行為がどの様なものになるのか気になります。観客側の目は、自動人形を操作している→人形自身が動き人が操っている様に見せていると映るんではないかと。前述の「自己の目的に縛られる」は人形自身の特性として操られるのは良しとしても、一般観客はそんなこと知らないと思います。その辺りをどう解決しているのかがまだお話に出てきていなかったので。
乱筆乱文失礼しました。
それでは、また。
作者からの返信
まずはお目通しありがとうございます。
ご推察のとおり、藁人形が自分自身の人生(人形生)にどう決着をつけるかが話の大骨です。
そろそろ前半の終わりなので、これから彼女にフォーカスしていくことになります。一応筋は決めてあるのですが、なにぶん人形が生きているので、実際どうなるのかは私自身でも書いてみるまでわかりません。
悲しい終わりかたにならないといいな、と思っています。
>疑問点について
めちゃくちゃ尤もなツッコミありがとうございます。笑
実はあまりきちんと考えずに書き始めてしまったので今のところ正解がありません。むしろ自分でも、書きながら「どういう芸なんだ……」と思っていました。典型的ダメ系作者です。
そして作中で説明を設ける予定もなかったので、もうここで私の考えをお答えしておきます。
それで改めて考えてみましたが、この世界においては「自律した人形とそうでない人形がいて、どちらも芸に使われている」ことがすでに前提としてあります。なので仰るとおり「操っている演技をしているだけ」と思われるのは必然です。
それを逆手にとって「これは操っているのか自分で動いているのかどっちでしょう?」「人形が人間を操ってみた」「操りたいのに人形が言うことを聞かない」といった、自動人形相手だからこそ成立するネタや芸が確立されているのではないでしょうか。
極論を言えば「客が面白がって笑えば何でもOK」だと思うので。
現実同様に動かない人形を遣う芸人も存在します。動く人形と組んでいる芸人は、彼らとは少しジャンルが違う扱いです。
適切かどうか怪しい喩えですが、落語家と漫才師くらいの違いではないかと。
この街なら、人形を使った犯罪がやりたい放題のように見えますね。
呪殺できる人形も居ますし。
作者からの返信
お目通し&コメントありがとうございます。
つくづく変な街だよなぁ……と私も読み返して思いました。さすがに野良人形でなければ所有者登録とかはあると思うんですが、仰るとおり呪殺人形を使われたらどうしようもないですしね。
ストローが関わった暗殺は事故死などの扱いで処理されていると思います。仮に立証された場合、罪に問われるのは彼女ではなく依頼者ですが。