12◆機械仕掛けの乙女心(コル・プエッラエ・エクス・マキナ)

 クワイエットとテディは留守番をすることになった。

 本来ならテディも警察に赴くべきであったが、安静にしていなければならないとクワイエットが強く主張し、誰もそれに異議を唱えなかったのだ。相変わらずの剣幕に圧されて反対できなかった、とも言い換えられる。

 とはいえ事件の被害者であったことに変わりはないので、警官は代わりの者を送って寄越すと言った。


 家の前でストローたちが乗った馬車を見送ってから、クワイエットは室内に戻る。


「さてと、……暇ね。掃除でもしようかしら」


 あたりを見回してそう独り言ち、彼女は迷いのない足取りでテディの部屋に向かう。

 近ごろ何度も訪れていたから間取りくらいはもう覚えた。とはいえ、ものの置き場所まではさすがに知らない。

 ノックもせずにいきなり扉を開けたものだから、驚いたような表情のテディと眼が合った。少年はベッドの縁に腰かけていて、なにやら本を読んでいたところだったらしい。


「テディ、ほうきとちりとりと雑巾はどこ? ああ場所さえ言ってくれれば自分で探すから立ち上がらなくていいわよ」

「だからそんな重病人みたいに扱わなくていいよ。だいたい、そんなもの出してどうするの?」

「そりゃ掃除するに決まってるでしょ。ほうきに他の用途なんてないわよ。空でも飛べたら話は別だけど」

「え、い、いいよそんな。クワイエットさんにそんなことさせられない」


 結局テディは本を置いて立ち上がってしまった。

 ちなみに彼が読んでいたのは『ペープサート郷土史~鉱山から世界一の人形の街へ~』とかいう題の本だった。初めて見る書籍だが、クワイエットとしてはまったく興味が惹かれない。装丁も古臭かった。

 そのまま部屋を出ようとするテディを、クワイエットは扉の前で押し止める。


「どこか汚れてた? リチャードさんきれい好きだから、基本的には行き届いてると思うけど……」

「そういうんじゃないわよ。ただ暇だから何かしたいだけ。あたし、じっとしてるのってそんなに好きじゃないの。

 あと掃除はかなり得意よ、舐めないでよね」

「いや舐めてるわけじゃなくて。……だってクワイエットさんはその、そういうことには縁がないかと思って……つまり、高級品だし、売れっ子だったわけで」

「あら、そのころだって女中なんか雇ってなかったわよ? 掃除洗濯炊事裁縫、どれもあたしの仕事だったから」

「ええ?」


 力では機械仕掛けのこちらが勝るので、テディの腰を掴んでベッドまで戻した。

 少年は不服そうにクワイエットを見上げるが、彼女はそれにまったく構わず、むしろその眼の上に寝癖が跳ねていることが今さらどうしようもなく気になった。ドレスのポケットをごそごそやって櫛を取り出し、動かないでよと言い置いてテディの髪を摘まむ。

 梳いたくらいで直りそうもないが、一度やってみないことには気が済まなかった。


 その間、なんとなしにさっきの会話と繋げて、昔話をする。


「アーネストは早くに奥様を亡くしたの。それで最初はお金がなくて家政婦を雇えないから、下宿のおかみさんやら親戚やらに頼ってなんとかしてたんですって。

 あたしと組んで売れ出してからは巡業ばっかりだったし、今度はお金目当てにおかしなのが寄ってくるようになったんで、改めて人を雇うのを嫌がってね。だから身の回りのことはあたしがやってた……ほんと、いろいろと世話の焼ける人だったわ」


 クワイエットのかつての主は、実はちょっとだけテディと似ていた。

 純粋で、人を疑うことを知らなくて、好きなこと――人形と芸のことになると寝食を忘れてのめり込んでしまう。それ以外では大らかで、些細なことでよく笑う、子どもみたいな人だった。

 彼はテディほど大人しくはなく、人懐っこくて陽気な、大のお喋り好きだったけれど。


 その彼が愛妻を失ったときは、それはもうひどい落ち込みようだったらしい。というのは、クワイエットはそのころの彼を知らないからだ。

 後から聞いた話では、クワイエットは彼の亡き妻に似ていたのだそう。


 そして今、櫛の下で無造作に跳ねるシナモンブラウンの髪は、さっきからまったくこちらの言うことを聞かない。

 その奔放ぶりにクワイエットは旧主人アーネストのことを思い出していた。いや、急に彼の話をしたくなったのは、たぶんそれだけではないだろう。


「……ねえテディ、さっきのリチャードたちを見て、あんたはどう思った?」


 クワイエットのらしくなく躊躇うような問いかけに、テディは困ったように眉を寄せる。


「正直びっくりした。リチャードさんもストローさんも、あのパペットのことをちっとも怖く思ってないみたいだったし……たしかにあの警察の人は、なんていうか乱暴だったけどさ」

「そーね、傲慢でヤな感じだったわね。あれじゃ出世できないわよ。まあそれはどうでもいいけど、……問題はリチャード。

 ペープサートの人間ってみんなああなのかしら? それとも彼が特別、人形に対して異常に愛情深いのかしらね」

「異常って……」

「自分の手でエニグマレルを入れ直したってだけで、元殺人鬼を庇うのって異常じゃない?」


 テディは肩を竦めて、確かにね、と答えた。彼もそれは否定できないのだ。

 たしかに警察官は威圧的で、人形たちに対して一切の敬意も愛情も感じられない嫌な男だったが、罪もない子どもたちを何人も攫って殺したパペットに対する態度としてはそれほどおかしくはない。


 少なくともクワイエットにとっては、パペットのことを「私の人形」と呼んだリチャードのほうが異様に思えた。

 そして、これは完全に根拠のないただの推測だが、少し思ったのだ。もしかしたら彼があのときそう呼んだ相手はパペットだけではなかったのかもしれない、と。


「それに元人形師ったって、廃業してもう長いんでしょ? そのわりに充実した作業部屋よね。腕も落ちてないし、あれを見るとまだ現役って言われたほうが納得できるわ」

「それはそうだよ、だって今でもちょくちょく修理とかやってるもの。看板出してないから無償でだけど」

「……なんてお人好しなの! あ、でも、あたしもタダで手入れしてもらったから言えないわね……」

「はは。お金はとらないけど、みんなお礼に何かくれるんだ。食べものとか、お店やってる人ならサービスしてくれたりとか。

 しかもだいたい、状態がひどすぎるからって他の修理専門の人形師に匙を投げられたようなのが、これはリチャードさんでないと無理だって紹介されてくるみたい」


 すごいよね、と尊敬の念を交えた笑みを浮かべるテディに、クワイエットも頷く。


「だから警察がわざわざここを訪ねたわけね。他にいくらでも人形師はいるけど、あたしの壊しかたが派手だったもんだから」

「うん、だろうね」

「そもそもこっちは修復できないようにしたのよ。あーあ、無用な気遣いだったわ」


 その言葉はついでにテディの頑固な寝癖にも向けておく。何度櫛を通してもまるで変化がなかったから、もうそういう髪型なのだと思うしかないだろう。


 ただパペットのことは今後も注意していかなければならない。

 最大の凶器である顎は取り外してしまったので、また暴れ出したとしても以前ほどの脅威にはならないだろうが。それでも刃物を使えないよう引き出しに鍵を付けるべきだ。

 と、そこまで考えて、クワイエットはあっと声を上げた。


「喉! あの子、歌も武器なんだったわ。取り上げるのを忘れてた!」

「え?」

「パペットよ。ほら、歌で催眠術にかけて子どもを攫ってたみたいだから、たぶんそのための機巧が喉か頭部にあるはず。しまったわ……組み立てる前に見ておくべきだった」

「ああ……リチャードさんが帰ってきたら言おうか。やっぱりまだ危ないよね」

「そう。油断は禁物よ。あと他に必要なことがあったかしら? ちょっと紙とペンを借りるわね、メモを作らなくちゃ」

「え、あ、ちょっ……」


 クワイエットは勝手にテディの机の引き出しを開けた。鍵などはなく、何の抵抗もなくすんなりと開いたが、背後では何かを嘆くような小さな呻き声がする。

 それをまったく無視して、適当にいちばん上に入っていたノートを出す。

 表紙にはテディの名前のみ。どうやら学校で使っていた勉強用らしいが、それはどうでもいい、今は1枚でも白紙のページがあれば足りる。


 表紙をぱらりとめくると、妙なものが目に飛び込んできた。

 絵……いや、設計図と言ったほうが正確だろう。基本的な人形の構造を断面図で解説したものを、教本からそっくりそのまま模写したらしい。

 ただしその頭部に目立つ大きなリボンがあるが、恐らく原本オリジナルにはそんなものはない。


「何これ?」

「……ごめんなさい……」

「あのね、人形遣いでも自分で多少手入れができたほうがいいから、構造の勉強をしてたことはむしろ褒めてあげるわ。それでさっきパペットを組み立てるときも動きに迷いが少なかったのね。ある意味納得よ。

 で、……なんで説明図をあたし風に改変したの?」

「……すいません……」


 クワイエットは顔が赤くなったのを自覚しつつも、我慢できずにふり返ってテディを睨んだ。


「勝手に人の内部なかを想像しないでくれる!?」

「……ごめんなさい……いやあの、そういうつもりじゃなくて。図自体はほんとに勉強用に模写しただけなんだよ……それで、あの、その、ちょっと出来心でリボンを足しただけで……」

「もう!」


 乙女心は複雑である。とくにそれが喋る人形であった場合には。

 もちろんいつかテディと組む可能性を考えているし、そうなったら内部構造を見られる機会などいくらでもあるのだが、それとこれとは話が違う。少なくともクワイエットはそう思う。


 けれど平身低頭して謝るテディを見て、少しはこちらの恥ずかしさを理解しているようだから今回は許してやるか、と思う程度には、やっぱりクワイエットもテディに甘かった。



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