11◆復元<レストレイション>
作業台にパペットの部品が並べられていく。小さなネジや歯車に至るまで、それが元あった場所を再現するように。
おおむねすべての作業はリチャードが行ったが、多少テディや人形たちも手伝った。
十数分もしたころには、まるでそこにパペットが横たわっているような状態になっていた。
「ねえリチャード、この顎は戻さないほうがいいんじゃない? あと噛めないようにバネも抜くべきだわ」
「たしかに恐ろしい牙だ。……いったい誰が、どうしてこんなものを」
「それを知るためにも早く復元していただきたいですな」
「あんたは突っ立ってるだけで手伝わないんだから黙ってなさい」
クワイエットの手厳しい言葉に警官が肩をすくめる。第一印象が悪かったせいで、彼はすっかりクワイエットに嫌われているようだった。
しかし素人に手伝われても逆に邪魔になるので、この警官に関しては見ているだけなのが正解だ。
いくら人形を中心とする街だといっても誰もが詳しいわけではない。ある年の統計によれば、住民の半数以上は人形と直接関わらない職業に就いているらしい。
ましてエニグマレルを用いた自律人形ともなれば、もっとも高度な専門知識を必要とするのだ。
パペットの顎は、リチャードが所有する予備部品でぴったり代用された。つまり彼女は
その事実はその場の全員をぞっとさせた――つまり同じパペットが複数体製造された可能性があるからだ。
変質した石を使われたのがこの一体だけだったか、あるいは既製品のパーツを使った一点ものであればいいのだが。そのあたりは取り調べで確認するしかない。
ともかくバラバラになっていた部品の整理が終わり、破損したものを取り替えて、もう一度組み立てていく。
人形たちとテディがネジを留め直したり外れた可動部を直している横で、リチャードはふたたび血塗られたエニグマレルを開封した。
警官はここで初めて変質したピグマリオナイトを見て、さすがに表情をひきつらせている。
「どうするの?」
「石はあくまでエネルギー源であって、ここに意識が蓄積されるわけではないんだ。だからこれ自体を取り替えてみよう。
テディ、そこの引き出しを開けてくれるかい」
「ここ? ……うわぁ、これぜんぶエニグマレルの空き箱なの? ぎっしり入ってる」
「そうだよ。どれでもいいからひとつ取っておくれ、……ありがとう」
テディから受け取った箱は封がされておらず、工具なしで簡単に開いた。中には真っ白な石が入っている。
その横に血みどろの箱を並べると、そのおぞましさがいよいよ際立つようだった。
リチャードは汚れた箱から、注意深く機巧部分を取り外すと、そこに着いた血粉を丁寧に払い落として、さらに念入りに布で拭いた。
少なくとも見た目はきれいになったところで、それを空き箱へ移す。そして石室と呼ばれる部分に石を入れ込み、内部の状態を整えてから、もう一度箱を閉じた。
老人が黙って作業している間、他の面々も固唾を呑んで見守っていた。
「……よし。じゃあ、パペットを起こそうか」
ほとんど組み上がっていた人形の胸に、箱が納められる。全身の可動部へと導線で繋がれていく。
それで何か劇的な変化が起こるわけではなく、けれども恐らくパペットの体内で、傀儡石から発されたエネルギーが隅々まで広がったことだろう。
やがて、パカリと軽快な音を立ててパペットの瞼が開いた。
「……にゃー? んー、おはよー!」
バネの力でびょんと勢いよく上体を起こしたパペットは、周りの全員をくるりと首だけで見渡したあと、えらく明るい調子でそう言った。
しかしそれで彼女に気を許す者はこの場にはいない。テディは反射的に身をすくませたし、クワイエットはそんな彼を庇うように腕を前に伸ばした。
そしてストローも、さりげなく五寸釘を取り出しながらリチャードの斜め前に立つ。
「おはよう、ラブリー・パペット。気分はどうかな」
「元気ー! あは、あは、おじいさんだーれ? どうしてかわいいパペットのお名前を知ってるの?」
「記憶はあるようだね。……では、人を殺したい衝動もあるのかい? 子どもたちを食べたいと思う?」
「んー……? 思わないよ? どして?」
「それを聞いて安心したよ」
リチャードはそう言ったが、実際それで警戒を緩めた者はいない。少なくとも人形たちとテディはまだようすを見るべきだと思っていた。
けれども警官はそうでなく、あるいはしびれを切らしたのか、彼はやにわにパペットの腰掛けている作業台へと詰め寄る。
「おい人形。貴様を児童連続誘拐殺人の容疑者として改めて逮捕する。話は署で詳しく聞かせてもらおう、大人しくついてこい」
「え……や、やだよぉ、おじさん怖い……」
「つべこべ言うな! いいか、妙な真似や抵抗をしたら、貴様の手足を一本ずつ
警官は提げていた拳銃を取り出してパペットに突きつけようとした。
だが、実際にはそれはなされなかった。なぜならほぼ同時に、ストローがパペットの前に身を乗り出し、なおかつリチャードかパペットを抱き寄せたからだ。
ストローの手には五寸釘が、己の喉元に切先を充てがうようにして握られている。
警官はそれに腹を立てて、なんだ貴様は、と言った。その言葉は恐らく、ストローにだけ向けられていた。
「人形と人形師の前で人形を罵る……あなた、ペープサートの人間ではないのね。他所から転属した人かしら」
「それがどうした? 退かないなら眉間を撃ち抜くぞ」
「やめたほうがいい。そうされても私は死なないし、痛みも感じないけれど、あなたはそうではないでしょう」
「……ふん、見え透いたハッタリを。
おまえの噂をいくつか聞いたことがあるが、どれも馬鹿げた嘘っぱちじゃないか。
呪いなんてあるわけがない。この科学の時代にそんな眉唾を信じるほど、私はおめでたくはないんでな」
警官は薄笑いすら浮かべながら撃鉄を起こす。
いつも脅しが効くわけではない。ストロー自身、自分の言葉にハッタリが混じっていることは理解していたから、それ以上は言い返さなかった。
一触即発の気配に、空気が重く痺れていく。
ストローの茜色をした硝子の瞳に銃口が映り込む。そこからいつ鉛玉が発射されるのか、その場合どう対処するべきかを、ストローはじっと考えた。
リチャードやテディに誤って当たらないよう、確実にこの身で受け止めなければならない。
そして、……今ならそれを利用して、この傲慢な警官をやり込めることも可能だ。
問題はそれをするべきか否か。
「……やめなさい。彼女は
ストローが結論を出すより先に、リチャードが静かな声でそう言った。
「それから、このパペットは私がこの手で心臓を入れた。すなわち彼女の身代は私のものになった……少なくとも、この街ではそう考えられている。
だからパペットの処遇を私抜きで決めないでもらいたい。警察署に連れていくのなら、私も同行させてほしい」
「何を仰る。いや、そういった不文律があることは存じておりますがね、あなたは事件に無関係でしょう」
「人形師が同席するくらい問題ではないだろう。それより……私の前で、私の人形を侮辱し、あまつさえ乱暴に扱うというのなら、これ以上は協力できかねる」
老眼鏡の奥で、リチャードの眼差しが鋭く光っていた。彼は今、痩せ衰えたひ弱な老人の姿を脱ぎ捨てて、街の歴史を背負ったひとりの職人としてそこにいる。
ペープサートは人形によって栄えた街だ。
そこに生まれ育った者は、幼少より人形への深い愛情と敬意を育んできた。それが人形師という職を選んだ者ならいっそうに強い。
リチャードの気迫に圧されたか、警官はゆっくりと銃口を下げた。
それとも捜査に協力しないという脅しがそれほど効いたのだろうか。――パペットが復元された今、その可能性はあまりないはずだが。
ストローはむしろ、リチャードのことをじっと見つめた。
この老人はどうも只者ではない。そういえば、あの新聞売りの少年も、リチャードは有名人らしいというようなことを言っていた。
「……わかりました、同行を認めますよ。馬車の手配は必要ですか?」
「そうしてもらえると助かるね」
警官は溜息を隠しもしなかった。
パペットが不安そうな顔をしてリチャードを見上げる。そこに血に飢えた怪物の面影はなく、すっかりただの人形になったように見えた。
人形の視線に気づいた老人は、大丈夫だよと微笑んで、彼女の頭を優しく撫でる。
ある意味それは異様な光景だった。
いくら為人が変わったように見えたところで、まだパペットが安全な存在になったかはわからない。油断したところを襲ってくる可能性はある。
異常の原因である石を交換したとはいえ、布で拭いたくらいでは血液の成分は完全に除去されないのだから。
しかしリチャードはパペットに対して警戒や恐れの姿勢をまったく見せていない。それどころか長年かわいがってきたような態度で接している。
テディと違って、実際に彼女が子どもを襲う姿を見ていないせいだろうか。
とにかくストローも警察へ同行することにした。
気になることが多すぎる。
それにパペットがグラン・ギニョール社のことを話すかもしれない。彼女は明らかに作られてから何年も経っていない新しい人形で、つまり彼女を製造した工場が今も存在している可能性が高いのだ。
そして、もしかしたらそこには、傀儡石を血で汚した呪術師がいるのかもしれない。
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