10◆人形師(ドール・メイカ―)

 調べると決めたはいいが、グラン・ギニョール社が表舞台から姿を消してもう久しい。

 その名を知る人間すら容易には見つからなかった。稀にいても例外なくすべてリチャードと同齢かそれ以上の老人のため、記憶が曖昧だったりとあてにならない情報が多い。


 ならば人形はどうかというと、ストローほど長く暮らしている野良人形はさらに少ない。

 廃棄されたり逃げたりして野良化したものはちらほらいるのだが、たいていは長くかからずに新しい主を見つけるものだ。人形にとっても路上での暮らしは易くはない。

 野良犬に襲われて破損することもあるし、それ以上に多いのはスクラップ目当ての浮浪者に捕まって、分解されて売られることである。


 ストローもかつてはそうだったのを、聞き込みをしながら思い出していた。

 噂が広まるまではそういう危険に毎日晒されていた。現在は平穏に過ごしているが、それも恐ろしい呪術人形だという触れ込みに守られているからだ。


 つまり簡潔に述べるなら、その日一日は何の収穫もないまま日没を迎えた。


 二体はとぼとぼとジュディ通りに戻る。斜陽に照らされて路面が黄金色に輝いているけれど、反してストローの気分は落ち込んでいた。

 普段冷静な彼女には珍しいほど顔に出ていたものだから、隣のクワイエットが大仰に溜息を吐く。


「前向きに考えましょうよ。ひとまず二体目の人喰いパペットが出てこなかったんだから、それって平和でいいことだわ」

「……そうだけど」


 足元から影が長く伸びている。それだけ見れば、そこにいるのはただの人間の少女のようだった。

 その正体が藁に包まれた呪物だなんて、いったい誰が思うだろう。


「まさかとは思うけど……あんた、あの人形を作ったやつと、自分を捨てた人間を重ねてたりしないわよね?」

「そんなことは」


 ない、と言い切れないことに気づいて、ストローはそこで口を噤んだ。


「まったく。……別にそれが悪いとは言わないわよ。だけど別人なんだから」

「ええ、もちろんわかってる……あの人が生きているはずがないもの。だけど、人間には子孫とか、後継者という概念もあるから……」

「あのねえ。もしその人間に子どもや弟子がいたとしてもよ、あんたの噂はとっくに街の外、なんなら外国にまで広まってるの。新しい呪殺人形を作るよりあんたを探したほうが話が早いわよ」

「……ええ、そうよね」


 クワイエットの言葉は正確ではない。人形師の後継者なら、自分で人形を作りたいと思うものだ。

 けれどこれ以上言い合っても仕方がないし、何よりストロー自身が己のそうした未練がましい感情に振り回されるのに疲れていたので、形だけでも頷くことにした。


 それに、ストローが案じているのはそれだけではない。

 自分の体内にある神秘の箱はどんな色に塗れているだろうかと、あの血染めの石を見たときに真っ先に思った。呪術の道具である己のそこにも誰かの血が浸されていないという保証はどこにもない。

 ――もしかしたらそれは、他ならぬ主のものではないだろうか。


 だめだった。

 何年、いや何十年経とうが、人形が造物主を忘れることなどできはしない。


 ストローに役目を与えたのはその人なのに、結局一度も使われないまま去ってしまった。ストローには何も告げずに。おまえはもう要らない、とすら言ってくれなかった。

 存在意義を失った人形は、だからどこにも行けない。これからも永遠に。

 噂を聞きつけた他の人間たちのために何度かこの身を削りはしたが、それでどこの誰がどれほど傷つこうとも、ストローが本来の役目を果たさないことには意味がない。


「とりあえず、調査はこれからも地道に続けようと思う。テディやリチャードさんには安心して暮らしてほしいから」

「……そーね。とりあえずあたしもここにいる間は付き合ったげるわ。いつまでかはわかんないけどね」


 クワイエットはそう言って廃屋の扉を開いた。

 呼吸をしない人形くらいしか出入りがないものだから、中の空気は淀んでいる。彼女が熱心に掃除していなければもっと埃や黴が充満していたことだろう。

 勝手にここに住み着いて以来、クワイエットはストロー自身の手入れところか周りの環境までもを遠慮なく変えてしまって、もはやかつての重々しい気配はどこにも残っていない。


 そのせいか、最近は呪殺を頼みに来る人間の数も減ってきたように思う。

 たぶん噂を頼りにストローを探しに来ても、彼らが耳にしていただろう『おどろおどろしい廃屋に独りぼっちで佇む少女型の人形』を見つけられないせいだ。

 今ではある程度の清潔さを保ち、埃ひとつなく片づけられた単なる無人の家。しかも隣には『静黙クワイエット』の名が似つかわしくない腹話術人形がいるわけだから。


 ほんとうに、クワイエットはいつまで一緒にいる気なのだろう。

 テディが現れたときからずっと思っている。砂時計はひっくり返されたはずなのに、いつまで経っても砂が落ち切らないのは、ひとえにストローが不甲斐ないからだろう。


 いつまでも彼女に頼っていてはいけない。ずっと、そう思ってはいるのだけれど。




 ・・・・*




 翌朝、ふたたび調査に出かけたふたりの前を妙なものが横切った。

 制服を着た警官が荷車を押している。警察署からどこかへ向かっているようだが、彼の向かう先にそれらしい施設など思い浮かばない。

 しかも車の荷台からは、見覚えのある桃色のマントの端が覗いていた。


 ふたりは顔を見合わせて、なんとなく警官の跡を追う。

 すると彼は見覚えのある道を進んでいった。そして最後には、このところ人形たちが入り浸っていたパンチ通りに入ったかと思うと、他ならぬリチャードの家の前で足を止めたのだ。


「……どういうこと?」

「さあ……あら、テディが出た」

「あっ! ちょっと――安静にしてろって言われたでしょう!!」


 案の定そこでクワイエットが我慢できずに飛び出していったのて、ストローも物陰から出ることになった。つくづく彼女に尾行は向いていない。

 テディは驚いていたが、それより警官のほうがクワイエットの剣幕に唖然としている。


「だいたい警察がこの家に何の用よ!?」

「私はリチャード氏に依頼をしに来ただけで……いや待て、おまえは目撃情報にあった人形か? それならもう一体も近くに――」

「それは私のことかしら」


 ストローが顔を出すと、警官は側から手帳を取り出して、人形たちとそれを交互に眺めた。

 口髭の下でくちびるがぶつぶつ言っているのが聞こえる。曰く、長い黒髪に青い服と、亜麻色の結髪に緑の服の二体。当てはまるな、など。


「あのー、目撃情報というのは」

「通報のあった廃工場から少年を担いだ人形二体が出て行ったと、救助された子どもが証言している」

「やれやれ……たしかにあたしたちのことだわ。ちなみに少年はそこのテディよ」

「何! ほんとうか?」

「……恥ずかしながらそのとおりです……」


 そんな話をしていると、騒がしいのに気づいたらしいリチャードが奥から出てきた。

 老人は思わぬ来客たちに目を丸くしたあと、とりあえず中に入るようにと言った。たしかにこれ以上玄関で騒ぐのは近所迷惑になりかねない。


 と、思ったのだが。


「――なんですって!? このあたしとストローがパペットの仲間で、そのうえ誘拐事件の共犯だとでも言うわけ!!??」


 数分後にクワイエットが上げたその声は、恐らくリチャード家の居間にとどまらず近隣一帯に響き渡ったことだろう。

 人間たちは揃って耳を押さえて縮こまった。ストローは平気だったが、身体にびりびりと振動を感じる。


「そ……そういう意見も署内で聞いたというだけで……私がそう考えているわけでは……」

「どこのどいつがそんなバカなこと言ったのよ!?」

「クワイエットさん落ち着いて……おれがちゃんと証言して誤解を解くから……」

「当たり前よ! ……まったくもう、こっちはあの頭のおかしい人形の相手してやったんだから、指名手配じゃなくて感謝状が欲しいくらいだわ。要らないけど!」


 憤慨するクワイエットの横で、ストローは警官にことのあらましを説明しておいた。

 テディが攫われたこと。彼を探しているうちにパペットを見つけたが、相手が常軌を逸しており対話不可能だと判断したため、その場で破壊したこと。


 そしてストローが持っていた血染めのエニグマレルを見せると、なぜか警官の表情が明るくなった。


「これで手間が省けた! その箱がパペットの動力源で間違いないんだな?」

「ええ、そうだけど……」


 まさか、と言いかけたストローを遮り、警官はリチャードに向き直る。


「私はあなたにパペットの復元依頼をしに来たのです。現場にエニグマレルがなかったもので、こういう場合にも復元が可能かどうか相談したかったのですが、箱があるなら無問題ですな」

「問題ありまくりよ! だいたいなんで復元なんて」

「この人形がどういう出自で、なぜ凶行に及んだかを取り調べるのが私の仕事だ。それに他の事件にも絡んでいた可能性もある」

「それはわかるけど、危険すぎる……」


 ここでまたパペットに暴れられては困る。二対一とはいえ、あのパペットは強力な催眠術が使えるのだから、例えば拳銃を所持しているこの警官を操られたりすると面倒だ。

 リチャードやテディに危険が及ぶことなら阻止しなければ。


 けれど、危惧に強張ったストローの肩を宥めるように、老人の痩せた手が優しく包んだ。


「大丈夫だよ。……私も人形師ドール・メイカ―だ、方法ならいくつも知っている」



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