03◆人喰いパペット
身体じゅうが痛み、まるで砂を詰めた袋のようにずっしりと重い。
テディはのろのろと瞼を押し上げた。初めは視界が黒一色で、ほんとうに眼を開けられたか一瞬不安になる。
そこが一体どこなのか、彼自身にもわからなかった。
暗闇のせいではない。
次第に目が慣れて周囲のようすが見えてきたけれど、視界にある何もかもが少年の知る平生とはかけ離れたものだった。
まず地面は素焼きの煉瓦が敷き詰められていて、暗いとはいえ両端の壁が見えないほどには広く、何かの工場のような場所らしいとだけ辛うじてわかる。
しかし近くに機械も作業台も見当たらないから、今は使われていないのかもしれない。
それらの代わりに、テディの足許には妙なものがいくつも転がっていた。
千切れた布。それに包まれた白いもの。その先端は、人の指の形をしている。
一見するとそれは人形の
人形造りの街でもう何年も暮らしていて、日常的に眼にしているから尚更にまずそう思う。
けれど――それらは一様に、どろどろと黒っぽい液体に塗れている。
それがテディにおぞましい事実を教えていた。これは陶や木で造られたものではない、生身の人間の一部なのだと。
「ッ……だ、れか」
叫ぼうとして、声がひどく掠れていることに気付く。
逃げようとして、身体が言うことを聞かないどころか、耳障りな金属音が響く。
じゃらじゃらと嫌な音を鳴らすそれは、少年の身体を縛り上げ、遥か天井近くから吊るしている鋼鉄の鎖だった。
鎖は太く頑丈なうえに、手足は革か何かできつく縛られている。脱することはできそうにない。
焦ってもがくほど、鋼をすり合わせる不愉快な音だけが、あたりにうるさく反響するばかり。
そしてそれが新たな恐怖を呼び寄せた。
遠く、闇の彼方から、歌声がする。
子どものような甲高い声、女のような優しい声で、場違いなほど明るい歌が――。
♪
かわいいパペットは遊びが大好き。
いつも誰かを誘っては、日が暮れるまで遊んでる。
かわいいパペットは歌が大好き。
新しい歌を習っては、空を見上げて唄ってる。
かわいいパペットは子どもが大好き。
一緒に唄って遊んだあとは、その子をぺろりと食べちゃうのさ。
ごちそうさま!
♪
歌に合わせて小さな影が跳ねている。それがだんだんと近づいてくる。
まず目につくのは桃色のかわいらしいフードがついたマント、それから首元の大きな
その上に据えられた顔は白く、両脇でキャラメル色の結髪が揺れる。
眼球は無機質な輝きを放っており、それが冷たい硝子玉であることを、テディは一目で理解した。
愛くるしい幼い少女の姿をした人形は、ぴょこんとテディの目の前に降り立った。
にっこりと笑っている、その口の中に、いやに尖った犬歯が見える。
そんな人形は聞いたことがないし、だいいち、その歯にべっとりついた赤黒いものは。
「あは、起きたァ? あはあはあは♪」
身体を揺らして、そいつは楽しそうに笑った。
「だ、……誰……いや、何なんだ……」
「かわいいパペットのこと?」
「……え……?」
「あは、あはッ。かわいいパペットは歌と遊びが大好きなお人形さんだよー♪
だーからね、街の子どもたちと歌って遊ぶのー♪」
人形はまさしく歌うようなリズムと節回しでそう言うと、ぴょんと横向きに跳ねる。
その着地点に転がっていた誰かの細い腕を、血溜まりから造作もなく拾い上げて、怪物はそこに鋭い犬歯を突き立てた。
ぐじりと皮膚が歪み、そこから赤いものが滲み出る。
「んーん、これはもう美味しくない!
ちょっぴり古くなっちゃった、そうなりゃお味はよろしくない♪
新しい子ならどうかしら? お味見しましょ、あなたもいかが♪」
ふんふんと楽しげに歌いながら、そいつは哀れな誰かの死体を放り投げた。
青白い腕が放物線を描いてぼとりと落ちた、その先を視線を辿って、テディは初めてこの場に他にもいたことに気付く。
薄汚れた服を着た、いかにも貧しい家の子どもだ。
手には布製の柔らかい人形を抱いて、少女は虚ろな目をしたまま、無言で地面を見下ろしている。
自分のすぐそばに落ちた腕だけの死体を見ても、動じるようすはない。
その姿を見てテディは思い出した。
学校から帰る途中に見かけた、ようすのおかしい子ども。無表情でふらふらしていて、具合でも悪いのかと思って声をかけたが、無視された。
どうにも気になって後を追ったのだが、その後ここで目覚めるまでの間の記憶がない。
血に餓えたパペットは踊るような動きで少女に近づく。
その目的を察したテディは思わず叫んだ。喉が干からびたように乾いてろくに声が出なかったが、それでもあらんかぎりの大声で。
「や、……やめろ! その子に何もするな! ――逃げて!」
だが、テディの声はどちらにも届かなかった。
パペットはむんずと少女の腕を掴んで引き寄せるが、少女はそれにも何の反応も見せず、まるで心が死んでしまったようだった。
彼女の細すぎる首に、怪物の牙が迫る。
テディはその間も叫び続けた。身動きのできない無力な己を呪いながら、ひたすらに。
そして、少女の手から綿人形が零れ落ちたのを、呆然と見届けたのだった。
毛糸の髪は千切れて乱れ、ボタンの眼がとれかかっている。きっと何年も大事にかわいがってきたのだろう。
その上にぼたぼたと、持ち主の血潮が降りかかる。
「うん♪ うん♪ 血はとろとろ甘くって、お肉はふんわり柔らかい♪
やっぱり子どもは美味しいな♪ 新鮮なのがいちばんだ♪」
身体の向きはそのまま、首だけでパペットが振り返る。
口の周りを少女の血でどす黒く染め上げて、大きな眼だけを爛々と輝かせながら、そいつは言った。
「……あなたもいかが? あはっ」
その、無機質な笑顔を浮かべた口元から、ぽろりと肉片がこぼれ落ちる。
「――ッ……ぅ……ぇえっ……」
テディは耐えきれず、込み上げたものをその場にぶちまけた。
服が汚れても構う余裕などなかった。
胃酸に灼けた喉がひりひりと痛み、生理的な涙が浮かんで、腹の奥が恐怖と嫌悪にぶるぶると痙攣している。
人喰い人形はそれを見てけたけたと笑う。小さな身体を跳ねさせて、踊るようなリズムで。
見てくれは愛くるしい少女に違いなかったが、その本性は悪魔に相違なかった。
「あは。あなたは骨もお肉も硬そうだから食べないけど、面白いから玩具にしたげる♪」
……ぎちゃり。
血でねばついた人形の口が、赤黒い糸を引きながら三日月の形に歪む。
テディはそれを、ぼやけた視界の中に睨みつけるしかできなかった。
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