04◆手がかりは帽子と新聞
翌朝、もう一度リチャードを訪ねたふたりに新しい知らせがふたつあった。
ひとつはテディの帽子だけが帰ってきた、ということ。
ねずみ色をした、つばのない平たい帽子は彼が愛用していたもので、人形たちにとっても彼のトレードマークという認識だ。
内側にリチャード宅の住所を刺繍したリボンがついているので、拾った人はそれを見て届けてくれたらしい。
そしてもうひとつは、例の誘拐事件の被害者と思われる子どもがひとり、見つかったこと。
――ただしその子はもう、人の形をしていなかった。
「今朝のことで、まだ新聞には載っていないんだが、パン屋のおかみさんが詳しくてね……。なんでもその子は身体が半分、なかったそうだ。ひどい状態だったらしい」
「痛ましいことね」
「パン屋ってあの、通りの端っこの、赤い旗が立ってるところよね?」
「そうだよ。けっこう味がいいと評判で、いろんな客がくるから、それであれこれ詳しくなるそうだ」
クワイエットは窓越しに見てみたが、たしかに店先は老若男女で賑わっている。
よくリチャードが話を聞けたな、とテーブルの上にあるパンを見て思ったが、これくらいの近所なら開店前から訪ねられたりするのだろうか。
もしくは脚を悪くした得意客のために、パン屋のほうが配達にくるとか。
一方、ストローは帽子をまじまじと観察していた。
もともと色が暗いのでわかりにくいが、側面のあるところに小さな黒っぽい染みがある。
「ねえ、これ、血じゃないかしら」
呟くようにそう言ってリチャードに渡す。
老人は虫眼鏡を取り出してそれを間近に観察すると、そっと顔を近づけた。
「……たしかに、鉄の臭いがするね」
「じゃ、じゃあ何、テディは怪我をしてるってこと!? それで動けないとか!?」
「かもしれないけど、決めつけるのは早い。他に怪我人がいて看病しているのかも。……なんにせよ急いだほうがよさそうね」
「そうね。リチャード、帽子を拾ったのは誰? どこで見つけたって言ってた?」
「え、ええと……ぐっ」
「キュー、手を離してあげて。リチャードさんの首が絞まってる」
見た目は愛らしい少女だが、人形に力加減という概念は存在しない。彼女らの手足に加わる力は筋肉ではなくバネや歯車が生み出している。
危うくリチャードを絞め殺しそうになるクワイエットをたしなめ、ストローはもう一度帽子を手に取った。
「リチャードさん、これ、借りていいかしら。聞き込みに使えるかもしれないから」
「ああ、構わんよ……ありがとう。私も動けたらいいんだが」
「もう歳なんだから無理しないでいいわよ。それにほら、誰かが家で待ってなくっちゃ、もしかしたらテディが戻ってこないとも限らないでしょ」
「……そうだね。じゃあすまないが、頼んだよ、ふたりとも……」
老人は小さく頷いた。
彼のしわだらけになった手が、一瞬空を掻いたのは、もしかしたらこちらに触れようとしたのかもしれない。
それに気づいていながらも、ストローは敢えて何も言わずに、クワイエットを連れてその場をあとにした。
帽子の発見者は新聞売りの少年だった。
まだ十歳そこそこで、学校に行かず働いているくらいだから、親はいない。いかにも誘拐事件の犯人が狙いそうな要素が揃っているとストローは思った。
少年は自分を訪ねられたことを驚いていたようだが、それが人形と知ってさらに意外そうな顔をした。
「あれ、あの帽子って男もんだろ? しかもその服にゃ似合わないよ」
理由は少し、こちらが思ったのと違っていたが。
「もちろん持ち主は男性よ。私たちは彼を探しているの。それで、この帽子を拾ったときのことを教えてほしいのだけど」
「ふーん。っても、ビリー通りの道端に落ちてただけだけど」
「道の名前だけじゃわかんないから連れてって。あと道端っていっても、もうちょっとこうなんかあるでしょ? 木の下とか、曲がり路の手前とか」
「まだおいら仕事中なんだけど、……まいっか。すぐそこだし。来な」
少年に連れられて、ふたりはビリー通りに行く。
パンチ通りと、人形学校のある地区の間にあって、地理的にはテディが通ってもそれほどおかしくはない場所だ。
ただ道を一本どころか二本も逸れているので、学校からまっすぐ帰ろうとしていたのなら不自然でもある。
少年が言うには、帽子は街灯の下、それも古い看板の陰に落ちていたとのことだった。
看板は恐らく、すぐ横の廃屋のもの。壊れて危険なので下ろされたのだろう。
日焼けで色褪せていてほとんど読めないけれど、いくつかの人形メーカーのエンブレムが載っているところからすると、人形の部品を扱う店だったようだ。
「ここだよ。道のあっち側からは見えないけど、おいらいつもこっちの家から回るんだ」
「にしてもよく見つけたわね、石畳の色と似てるのに。影になってたらわからないんじゃない?」
「あー、うん。そこの家のばあさんが銅貨を落っことしちまって、そりゃもう眼を皿にして地面を探し回ってたからさ」
「……あなた、どうしてこれを届けてくれたの?」
ストローが静かに訪ねると、少年はちょっと困ったような顔をした。
彼の身なりは貧しい。自分の帽子は持っているようだが、テディのそれとは比べものにならないほど薄汚れてくたびれているし、小さいけれど穴も開いている。
自分のものにしたり、売って小銭に変えることだって充分考えられるのに、彼はそうしなかった。
「人のもん盗るほど落ちぶれちゃいねえよ。って言いたいとこだけど……リチャードじいさんもお客だからさあ。被ってたらバレるし、売ろうにも、その住所みたらわかるやつにはわかるんだ。あの人けっこう有名人だったらしいから」
「そう……なんにせよ、私たちとしては助かった。ありがとう」
「礼なら新聞買ってくれよな。でも金なんて持ってないか」
「少しならあるわよ」
少し意外なことに、クワイエットが躊躇いなく財布を出した。
ストローもそうだが、たいていの野良人形は貨幣とは無縁な暮らしをしている。
けれどクワイエットは元は名の知れた興行師の相方だったからか、自分のお金をいくらか持っていて、今でもそれで定期的に身なりを整えていた。
彼女と最初に逢ったとき、ストローの外見に絶句されたことをよく覚えている。
着の身着のまま汚れてもそのままに、雨だろうと砂埃が舞おうと毎日ジュディ通りに立っていたせいで、ストローは見るに耐えないありさまだった。
それが何かクワイエットの琴線に触れたらしく、彼女はなぜか怒りながらストローの手入れをしたのである。
数十年分の汚れを落とすのに何日もかかっているうちに、気付けばそのまま彼女はこの街、というかストローの隣に居ついてしまった。
もちろん今の彼女に収入はないので貯蓄は減る一方だ。
いつか出逢う次の主のために万全の態勢を整えたいクワイエットが、自分のこと以外でそう簡単に財布を開かないことはストローもよく知っている。なので少し驚いた。
新聞は決して高いものではないけれど、彼女が今まで購入したことはない。
少年からその薄っぺらな紙束を受け取ったクワイエットは、ざっとその表面に目を通している。
もしかするとそこから情報が得られると踏んだのだろうか。
「そんじゃ、そろそろおいら仕事に戻るから」
「ええ。……人攫いには気をつけて」
新聞売りの少年は、ストローの言葉にちょっと目を細めた。
そうして少年が去ったあと、まだ新聞を読んでいるクワイエットを横目にストローは考える。
テディが学校帰りに道を逸れた理由はわからないが、帽子の落ちていた状況からすると、彼はこの通りを北から南に向かって歩いていたことになる。
学校は西、自宅は東で、ちなみにジュディ通りは北東だ。
だが、向かった方角が割り出せても目的地まではわからない。
とりあえずここで目撃情報を集めるしかなさそうだ。
「……あんまり大したこと書いてないわね。とりあえず被害者はもう八人ですってよ」
「何の話?」
「誘拐事件。今朝見つかったのがそのうちの一人として、あとの七人はまだ生きてるか死んでるかもわからないみたいだけど、希望は薄いわね……でもやっぱりないわ。みんな片手で数えられるような歳の子ばっかり。テディは誘拐なんてされてない」
たぶん最後の言葉は、自分自身に言い聞かせているのだろう。少し声が震えている。
「でも変な事件だわ。いなくなる子、みんな住んでるところがバラバラなのよ。これは警察も手間取るわけよね」
「……少し見せてもらえる?」
「いいわよ、もうだいたい眼は通したから、あげるわ」
クワイエットは誘拐事件を扱った紙面を表にして差し出した。受け取ったストローは文字列をざっと眼で追い、そしてある事実に気付く。
たしかに被害者の住む地域、つまり事件現場はすべて異なっている。
その場所と、攫われた順番を考えると、ひとつの線が浮かび上がるのだ。
現場はじわじわと移動している。ペープサートの街を、北西から南東に向かって。
その規則にのっとって考えられる次の事件の発生地点はこのビリー通りを含む一帯で、そして、新聞に情報が載るのには多少時間がかかることを考えると。
「キュー、この近くにいなくなった子がいないか調べる必要があるかも」
「どういうこと?」
「まだ証拠はないけれど、テディは昨日ここで、子どもが攫われる瞬間を目撃してしまったのではないかしら。あの子が大切にしていた帽子を落としていったのは、落としても拾う暇がなかったから」
「……なくはないと思うけど、ちょっと憶測すぎない? それに事件があったなら警察くらいいそうだけど」
「それもそうね。……先走っても仕方がない。落ち着いて聞き込みを続けましょう」
「そうそう、あんたは冷静でいてくれなくちゃダメ」
妙な言葉にストローが怪訝そうな顔をすると、クワイエットはなぜか自慢げな笑みを浮かべた。
「無駄なお喋りとお騒がしは
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