第一章 血塗られた<心臓>

02◆消えたテディ

 すでに陽が落ちかけている中、ストローとクワイエットは連れ立って歩いていた。


 そもそも人間のような日常生活をしないふたりにとって、ジュディ通りを出るのだけでも数年ぶりだ。


 久々に訪れた他の地区は明るい。空気も濁っていないし、見知ったはずの幾つかの建物は、改築や塗り替えで別物になっていた。

 それに道を行き交う馬車が減り、代わりに自動車が増えている。


 少なくともストローにとっては、自分がジュディ通りで無為に過ごした平坦な時間が、人間にとっては大なり小なり変化を伴う長い期間であったことを知るのには充分だった。


 そしてここは人形の街であるため、ふたりを野良人形と見抜ける人は少なくない。

 見てくれの良さも手伝ってか、ときどき妙な相手に声をかけられることもあった――ペープサートには職人を志す者のほかに、舞台芸人や商人が商売道具の仕入れに訪れることも多い。


 そういうときはクワイエットのきっぱりとした態度がありがたいので、ストローも彼女を自由にさせておく。


「はぁ、どいつもこいつもうるさいったらないわね。そんなにあたしが安い人形に見える?」

「見えないから声がかかるのよ。あっちだって眼はそれなりに肥えてる」

「……ふん、ま、そういうことにしておきましょ」


 などと話しながら、ふたりはパンチ通りに入った。

 昔から糸繰人形マリオネットを専門とする人形師が多く住んでいる場所で、テディ少年が居候するリチャード氏の住まいもここだと聞いている。訪ねるのは初めてだ。


 無事に目的地に着いたふたりは、躊躇いなくその扉をノックした。


 ややあって、眼鏡をかけた老人が顔を出す。

 歳のころは六十後半、いや七十をすぎているだろうか。頭は完全な白髪で、かつては立派だったのだろう長身が、今は痩せて枯れ木のように弱々しい男性である。


 リチャード老人は人形たちを見て驚いたあと、少し悲しげな顔をした。

 今日はテディの卒業祝いで、リチャードもふたりに会いたがっているという話だったのに、どうもそういう態度ではない。


 ふたりが訝っていると、リチャードは静かな声で言った。


「……ジュディ通りの、人形たちだね……。

 来てくれてとても嬉しい、と言いたいところだが……テディはいないんだよ」


 ストローとクワイエットは顔を見合わせる。

 自分で祝いの席に呼んでおいて、肝心の主役が不在とはこれいかに。


 それにしてもリチャードの表情が不穏なので、とりあえず事情を聞いてみることにした。



 ふたりと別れたあと、テディは一度この家に帰ってきた。

 そしてリチャードと祝宴の準備を始めたものの、何やら学校に忘れ物をしたといってもう一度出かけてしまい、それきり戻っていない。

 それがもう四時間も前のことらしい。


 テディは十六だ。もう学生ではなくなったとはいえ、まだ大人とは言い難い。

 どこかで何かあったのでは、困っているのではないかとリチャードも心配しているものの、入れ違いになったらと思うと探しにいけない。

 それに自分ももう歳で、近ごろは脚も悪くなった。


「最近は悪い噂も聞く。あちこちで子どもばかりが行方不明になっているらしい。

 いなくなるのは幼い子だから、テディには関係ないと思っていたが……いや、まだそうと決まったわけじゃあない……」


 悄然としているリチャードに、そのまま家でテディを待つように言い置いて、ふたりはその場を後にした。

 何事もなくふらりと帰ってくる可能性は充分にある。


「気にしすぎよね。どーせどっかで道草食ってるのよ。お喋りなお婆さんにでも捕まったんだわ」

「そうね。それにテディは大人しい子だけど、人形繰りの話になると別だもの。気の合う誰かと話し込んでるだけかもしれない」


 言いながら、家から学校までの道を辿る。


 途中で見かけた人間に片っ端から尋ねて回ったが、なかなか芳しい情報は出ない。

 次第に隣のクワイエットが苛立ちを募らせていくのを、ストローは黙って見ていた。

 彼女はわりと態度に滲むのでわかりやすい。


 ついに人形学校の前まで来てしまい、ふたりはやたら立派な校門の前で立ち止まる。

 クワイエットの細い肩が震えるのを見て、そろそろ爆発するかしらと思ったそのとき、不意に声をかけられた。


「きみたち人形だろう? こんなところで何してるんだ?」


 話しかけてきたのは、校門の内側から現れた、つまり学校帰りらしい青年だった。年齢からして学生だろう。

 なんでもいいから手がかりを欲していた人形たちは、とりあえずこれまでと同じ質問を彼にする。


「人を探しているのだけど、あなた、セオドア・ウィットニーをご存知? あなたより五つは若くて、髪はシナモン色、ねずみ色のつばなし帽を被ってる……彼、今日までここの生徒だったのだけど」

「ああ。テディね、知ってる知ってる、何度か一緒に授業を受けたし今日も会った。

 ……てことは、きみらがテディの言ってた……なるほどなるほど」

「会ったというのは、いつ、どこで?」

「テディがあたしたちの話をしたの? 何て?」


 ストローの言葉を遮らんばかりのクワイエットに、青年はちょっと面食らってから、笑って言った。


「どれだけ頼んでも、試し繰りすらさせてくれない子がいる、って」

「……間違いなくあなたのことね、キュー」

「〜ッ、そ、そんなことはどうでもいいのよ! テディは今どこ!?」


 クワイエットは高級な人形だ。気位だけでなく、値段も相当に。

 それだけ質が良いものだから、生きている人間と変わらないほど表情が豊かな彼女は今、人形であるにも関わらず頬を真っ赤に染めていた。

 その身が安物だったならもう少し誤魔化せたろうに、とストローは勝手に彼女を憐れんでみる。


 青年はくすくす笑いながら、行先なんて知らないよと、心もとない返答をした。


「たしかに卒業式のあと、居残って自習してたらテディが来たよ。でも少し話しただけですぐ帰ってった。家の人を待たせてるからって急いでたし、どこかに寄るとも聞かなかったけど」

「……それ、いつごろの話?」

「三時間くらい前かな」


 リチャードの話とも矛盾していない。やはりテディは学校を出てから行方不明になっている。


「一体どこに行ってしまったのかしら。……ちなみに、彼がした忘れ物って何だったの?」

「さあね、小包みたいだったけど」


 大して参考にならない情報に、ストローは肩を竦める。

 一方クワイエットは鼻息荒く怒っていた。彼女は気が短い。


 しかしまったく足取りが掴めないのでは、このあとどこをどう探せばいいかもわからないわけで、ストローとしても気が滅入った。


 かくなる上は街じゅうしらみつぶしに調べるしかないが、疲れを知らぬ人形でも限界はある。

 ペープサートは十二の区からなる大都市だ。

 ストローは長年ここで暮らしているとはいえ、ジュディ通りの地区以外にはほとんど行ったことがなく、土地勘などないに等しい。


 せめて何かひとつ、ほんの一筋でいいから道しるべがほしい。


「……最後にもうひとつ。最近、テディの他にも行方不明者がいるらしいけど、それについては何か知らない?」

「テディが行方不明とは大げさな」

「いいから知ってることを全部言いなさいよ! 行方がわからないのは事実なのよ!」

「はいはい、噛みつかないの」


 荒ぶるクワイエットを宥めながら聞けるだけ話を聞いて、青年とは別れた。


 リチャードも言っていたように、行方不明になっているのは十を超えないような幼い子どもばかりらしい。

 いずれも貧しい労働階級の家の子であり、親が働いている間も面倒を見る大人がいないので、子どもだけで遊んでいて、いなくなる。

 時間帯は夕方が多いけれど、たまに昼過ぎの明るいうちからいなくなることもある。


 そして、数少ない目撃者はこう言っている――消える直前、どこからか歌声がした、と。


 警察も誘拐事件として調べてはいるが、現場には何の手がかりもないため捜査は進んでいない。

 犯人の目星がついているかどうかも怪しいほどに。



 情報を反芻しながら、ふたりは元来た道を行く。

 あたりはすっかり薄暗くなり、街灯の明かりに照らされて、すり減った石畳が濡れたようにてらてらと光っていた。

 この時期は夜霧も少ないから歩きやすいほうだ。


「どう思う?」

「どーもこーもないわよ。ったくテディったらどこで油売ってるのかしら」

「……そうじゃなくて。テディの失踪と、子どもたちの誘拐事件、ほんとうに関係あるのかしら」

「ああ、それ。ふつうに考えたらナシよね。たしかにテディはお子さまだけど、攫われてる子ってもっと小さい子らしいし」

「そうよね……リチャードさんの考えすぎかも。治安が悪いという意味では心配するのも頷けるけれど」

「まあテディはもやしっ子だしね」


 そういうクワイエットの腕も細いが、彼女の腕は木製だ。


「とりあえず今日は一旦帰りましょう。もうまともな人は出歩いていないもの、情報もなしに歩き回るのは得策ではないから」

「そうね。朝、もう一回リチャードのところにいきましょ。それとも今晩泊めてもらう?」

「……あなたはそうするといいけど。私は、あの箱でないと落ち着けないから、遠慮しておく」

「そ。……じゃあ、付き合ってあげるわ」


 ふたりは連れ立って、ジュディ通りに帰っていった。

 あの寂しい廃屋に。



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