うらみ通りの藁人形(ストロー・ガール)

空烏 有架(カラクロアリカ)

01◆人形の街ペープサート

 私は藁で作られた。抱き人形コットンドールになれぬ娘を一体誰が愛そうか。

 陽の当たらぬ冷たい箱で、今日もあなたを待ちぼうけ。


 蓋を開けるは見知らぬ誰か。いずこへ怨嗟を募らせて。

 私は道具。呪術の形代。使われるために作られた。

 けれどもそれは、違う人。


 帰らぬあなた。お恨み申し上げます。



 * * * * * *

 うらみ通りの藁人形ストロー・ガール

 * * * * * *




 石畳で舗装された道がどこまでも続いている。両側に立派なスズカケノキが並んで、今日も人で賑わう大通り。

 世界一の『人形の街』ペープサートは華やかなところだ。

 他の追随を許さない唯一無二の技術を求め、今日も世界各地から集まってきた人々が、駅の表玄関から街じゅうに拡がっていく。


 その姿を眺め、自分もかつてそうだったことを懐かしく思いながら、少年は歩いていた。


 幼いころ見た芸人に憧れて、人形遣いを志して故郷を飛び出してから、今日でまる六年になる。

 初めてあの駅を出たとき十歳だった小さな男の子も、十六になれば背がぐっと伸びて、顔つきも凛々しく……とまではいかずとも少しは大人に近づいた。


 少なくとも脚はしっかり伸びたようだ。六年間通ってきた学舎から、同じだけ通い続けたある場所への道のりも、初めのころと比べたらずっと短く感じる。

 ただそれは、単に彼が成長したからというだけではないかもしれない。


 少年は明るい大通りを出て路地を通り、北へ北へと歩いて行って、小さな別の通りに移る。


 ジュディ通りには腕のいい職人も住まず、美味いパン屋も教会もない。

 そこに住むのは人生の落伍者、ごろつき、物乞い、もしくは人ですらない者たち――そういった日陰者の居場所としては心地いい処なのだろうか。

 彼らはある理由から、ここを本来の名ではなく『うらみ通り』の異称で親しんでいる。


 そんな昼間でも暗くてじめじめした黴臭い道に、少年は慣れたようすで足を運ぶ。

 しかもさらに裏路地に入り込むという、常識的に考えたら自殺行為にも等しい行動に出たわけだが、彼の表情は場違いなほどに極めて明るかった。


 それというのも、その先には見目麗しい少女がふたりほど、彼を待っていたからである。


 一人は秋の稲穂のような亜麻色の髪を、両耳の下で束ねている。

 少し古めかしい深緑のエプロンドレスを着て、小柄ながら大人びた雰囲気を纏い、瞳は燃えるような鮮やかな茜色だ。


 もう一人はまっすぐな黒髪で、艶やかなそれとともに頭頂部では大きな白いリボンが揺れている。

 優しい若葉色の瞳とは裏腹に顔立ちは少しきつく、ドレスは群青色の天鵞絨ビロードで、この薄汚れた裏通りには似つかわしい。


 ふたりの少女は並んで古めかしい箱に腰かけていた。

 これは表面にびっしりと木彫りの細工が施された、衣装箱とも棺ともつかない大きなものだ。


「あらテディ、こんな時間に珍しいのね。授業はどうしたの?」

「ついに初めてのサボり?」

「まさか! 今日はふたりにこれを見せたくてさ」


 少年――テディは提げていた肩掛けの鞄から一枚の紙を取り出す。

 やや厚みのあるそこそこ質のいいもので、そこに達筆な文字で記された内容を、亜麻色の髪の少女が読み上げた。


「セオドア・ウィットニー殿。汝が本校において教育課程を修了し、本日をもって卒業したことをここに認める。ペープサート総合芸術学校、校長印。

 ……卒業おめでとう、テディ」

「へへ、ありがとう!」

「じゃあ今日は卒業式だったってわけね」

「そういうこと! だから今夜はリチャードさんがお祝いしてくれるんだ。それでその、……よければふたりも来てくれないかな」


 リチャードというのはテディ少年がこの街に来て以来ずっと世話になっている老人の名だ。

 すでに引退したそうだが、かつては腕のいい人形師だったらしい。

 彼には妻子がなく、そのためか居候のテディを我が子のようにかわいがってくれ、無事に卒業できたことも自分のことみたいに喜んでいた。


 できれば彼女たちにも同じように祝われたい、というのが少年のささやかな本心ではあったが、少女たちは揃って肩を竦める。


「声をかけてくれたのは嬉しいけど、私たち、人と違って何も食べないし」

「あとお呼ばれしても芸とかしないから」

「い、いいよ! 来てくれるだけでいいんだ、リチャードさんも会いたがってるし……それに……芸ならその……あの……」


 テディ少年はしばらくもごもごと口ごもった。

 だんだんその顔が赤くなっていくのを、少女たちは黙って見ている。


 二、三分はそうしていたが、やがてテディは意を決したように顔を上げた。

 彼のひたむきな視線は黒髪の少女へと注がれている。

 少年は震える足で一歩彼女に歩み寄ると、その白い両手をぎゅっと握って、やはり震える声で言った。


「く、くわ、クワイエットさん……お……おれの、人形になってください!」

「嫌よ」

「はうッ」


 そして一秒で撃沈した。

 クワイエットと呼ばれた黒髪の少女は、テディの卒業証書を眺めながらふんと鼻を鳴らす。


「卒業したてホヤホヤの新人なんてお断りよ。それがたとえ天下の『人形学校』でもね」

「も……もうちょっと悩んでくれたって……」

「なんで? 悩む要素がどこにあるわけ? もっと腕を磨いて出直しなさい」

「うう……。わかった」


 テディは目に見えるほどがっくりと肩を落として、とぼとぼと来た道を帰っていった。


 彼が通っていた『ペープサート総合芸術学校』、通称を『人形学校』は、ここペープサートの街が誇る世界最大の人形専門の教育機関だ。

 造形や製造法から、マリオネットの操作技術、果ては劇のための脚本や舞台美術に至るまで、人形に関することならどんなことでも、どこまでも深く学ぶことができる、とされている。

 むろん造形ひとつとっても彫刻、陶芸、衣装を含めた洋裁などあらゆる技法を網羅しているそうだ。


 人形という要素を抜きにしても充分に技術や芸術を学ぶに適した場所であるため、国内外からさまざまな分野の人間がこの学校を目指してペープサートにやってくる。


 そうなれば入学も容易くはなく、齢十歳で受け入れられたテディ少年は将来有望といっていい。

 卒業にあたっても難易度の高い試験をいくつも突破する必要があり、六年ですべて修了したというのは平均から見てもかなり短期間で、それをテディ自身やリチャードが喜ぶのはあまりにも当然のことだった。


 それを――その天才少年の嘆願をすげなく断った黒髪のクワイエットのことを、金髪の少女は少し咎めるような眼差しで見つめる。


「キュー、あなたちょっとテディに厳しすぎない?」

「そういうあんたは甘くない? ストロー」

「……そうね、あなたに比べたら誰だって甘いかもね。

 私が言いたいのは、あなたがあんまりにも自分に素直じゃないってことよ。……テディを嫌ってるわけじゃあないでしょう? むしろその逆」

「そ、……そんなことないわよっ」


 クワイエットはぷいっとそっぽを向き、それを見たストローはやれやれと肩を竦める。


 彼女たちは、人間ではない。

 テディが言ったとおり人形である――ここペープサートでは、人形が自我を持って動くことが、まったく珍しいことではない。

 昔からこの近辺でしか採掘されない特殊な鉱石を動力源として、彼女たちは動いている。


 ストローは古くからこの地に居ついている野良人形だが、クワイエットは数年前まで、有名な腹話術師のパートナーとして活躍していた。

 腹話術師が流行り病のために亡くなり、弟子でもあった息子に引き継がれたのだが、後継者の腕はクワイエットが満足できるものでは到底なかった。それで我慢できずに飛び出してきたらしい。

 そのままあちこちを放浪しているうち、自分に自我を与えた『第二の故郷』に興味を持った彼女がふらりとこの街に現れたのも、ちょうど六年前。


 彼女がストローと出逢ったのとほぼ同時期、やや遅れてテディも街にやってきて、二体とひとりは知り合った。もっと言えばテディがクワイエットに一目惚れをした。

 以来、人形学校で学びながら足繁くここに通ってきていたテディの成長を、ふたりはずっと見守ってきたのだ。


 だから彼の実直な性格も、腕前がどれほど上達してきたかも知っている。

 クワイエットがその彼に少しの情も感じていないはずがないだろうとストローは思っている。

 だが比較対象が悪すぎる――かつての彼女の主は、それはもう世界的に知られた名操演者だったのだから、同格の腕前を持つ者などそう簡単には見つからない。


「冷静に考えてほしいのだけど。天下の『人形学校』卒業者、しかもあの若さでとなれば、世間的には引く手数多よ。たしかに今はまだ経験不足だけれどね。

 でも、あなたが納得できる腕になるまでに、彼は何体の人形と出逢うかしら」

「……」

「彼が立派になったころ、きっとあなたは忘れられているでしょうね」


 クワイエットがむっとしながらもこちらに視線を寄越したのを見とめ、ストローはとどめの一言をお見舞いした。


「……来ない迎えを何十年も待ち続ける、なんて……私みたいになってほしくないの」


 溜息混じりにそう告げると、ううん、とクワイエットが唸るような声を出した。

 いかに気の強いクワイエットでも、実例つきで説得されればさすがに無視はできなかったらしい。


 正式名称を藁人形ストロー・ガールというこの少女人形は、もう長いことこの廃屋の前でたった一人の人間を待ち続けている。


 人間と違って人形は歳をとらない。内部の動力が続く限りは永遠に、彼女の哀れな未練と感傷は続くのだ。

 まったく自分で言っていて悲しくなるし、だからストローがクワイエットに同じ轍を踏んでほしくないというのも、本心からの言葉だった。



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