高橋さんと足立さん

ひじりいさみ

第1話 高橋さんと足立さん

森の中。


火を見ている。

ゆらゆらと揺れる姿は見ていて飽きがこない。

じっと見続けて、どれくらいたっただろうか。

ほんの数時間前まで、コンクリートに囲まれていたビル街にいたはずなのに。


私の隣には同じ様に火を眺め、そしてある程度の感覚で薪を火に焚べる人が一人。

ただ、黙って同じ様に一緒に炎を眺めている。



アラフォーも近い自分はルーチンワークに揉まれる日常に疲れていた。

日々の仕事に追われ、プライベートもおざなり、崩壊していた日常が積み重なった状態。

気がつけばアパートの自分の部屋の前でドアを眺めながらぼうっと立っていたらしい。



そこから気づいたら森の中だ。

周りには車とテントらしきものが張られている光景が何箇所か見え、

どうやらここが、どこかのオートキャンプ場というのが分かる。



隣では森の中とは思えないほのかに香る花の香水をまとった、分厚い防寒着を着た綺麗な人が、

大きなクーラーバックからビールを取り出し、プシュ、といい音をさせながら飲み始めている。


火の光に反射して、さながらCMを見ているかの様に決まっている。

あの、飲みません?と同じ様に缶ビールを勧めてくる。


えっ、いや、どういう展開?

半ば朦朧とした状態で連れてこられて、これはほぼ拉致に近い。

まぁ、結果的に無理やり連れてきてもらって、日々の日常と離れられて感謝はしているが・・・



私は誘われる様に缶ビールを手に取り、ゆっくりとプルタブを開けた。

最初はゆっくりと一口飲み、そこから堰を切ったかのように一気に半分ほど飲み干す。

いつもだったら軽く感じる苦味も森の中でははっきりとわかるようにキツく、快感と幸福感に満たされる。


摩耗していた自分の神経が解けていくように、ようやく頭が働く様になった。

ところで・・・どなたでしたっけ?

と、とぼけた質問を相手にしてみる。


私、隣の部屋に住んでいて、何度も顔を合わせていますよ?

こういうものですと、コートから名刺を取り出し私に手渡す。


おっと・・・それは気づかないですみません、と私は綺麗な椿色の名刺を渡されて名前を見る。

足立・・・・確かに隣に足立という人が住んでいたはず。

小次郎・・・小次郎・・・えっ、こじろう?


失礼だと思うけど、思わず2度見してしまった。


あっ、できれば苗字で呼んでください。

と多少恥ずかしがる様な仕草を見せる美人。

確かにその姿で小次郎さんというとギャップがある。


あっ、自分は高橋です。とこの大自然の中、スーツに足立さんから借りた防寒具をまとい、

ポケットから名刺を取り出そうとしたが手元に見つからず・・・

そういえば家に帰る前の挨拶で使い切ってしまった、と思い出す。


まぁまぁ、気にしないでくださいと足立さんはさらにビールを美味しそうに煽る。


そこからしばらく無言の時間が流れる。

お互い、火をずっと眺めて居る時間。

たまに薪からパチパチと小さな火花が出る程度で世界の変化はない。

他に聞こえてくるのは、たまに吹いている風に煽られて揺れる、木々の擦れる音。


ほんとは一人で来るつもりだったんですよ。

足立さんは火が弱くなった焚き火に小慣れた手つきでひょいひょいと新たに薪をくべながら言った。

キャンプに行く買い出しも終わって、一度部屋に物を取りにこようとしたら、

廊下で高橋さんがドアの前でぼ〜っと立ってて。

表情も虚ろで、あっ、この人ヤバそうだなって・・・

まぁ、普通なら放置なんでしょうけど。

弱ってる人をほっとくの性分じゃないんですよね。

私、普段昼間は看護師やってるんですよ。ちょうど休み取れたのでリフレッシュしようと思ってて。

連れて行った先で何かあっても最悪自分が面倒みればいいし。



いや、ほんと申し訳ない。という私に

そこはありがとうでいいですよ。と足立さん。



彼、いや、彼女ということにしておこう。

彼女はクーラーバックから、食べやすいサイズのベーコンの厚切りを

鉄串に刺し、火に当たるぐらい近い位置に狙いを定め地面に突き刺す。

ゆっくりと熱を通し始めた肉からは美味しそうな匂いが微かに漂い始める。

アルコールも多少回ったせいもあるのか、空腹感が増してきた。


ビール以外にもありますよ、と中瓶サイズだが、ワイン、ウィスキー、ジン、ウォッカ、

様々なボトルが足立のさんの隣に置いてある箱から出てきた。

普段は仕事もあるので、飲まないんですが、と。

一人で何日、ここに滞在するつもりだったんだろう、というぐらいの量だ。


えっと、とじゃあジンを炭酸で、とお願いをする。

お任せあれ、と慣れた手つきでジンとソーダを当たり前のように1対1で割り始める。

この人、思ったより危険な人だ。というのはすぐにわかった。

ビールが安全な飲み物に見えた。



ベーコン以外にも色々なつまみを出してもらいながら、

火を囲み、酒を煽り、何気ない話を何度か挟みながら時間を過ごす。

何気ない話、例えばお互い見ていたテレビ番組とか、聞いていた音楽、その他諸々。

どうやら足立さんは10歳は下らしい。

ただ、色々な年代の人を相手にする仕事もあってか、私が話す歌手の名前など、ある程度はわかるらしい。

逆に足立さんから出てくる最近のアーティストや話題については、自分はやや分かる程度で未知の世界というか知らないことだらけで、とても興味深かった。



たまに流れる静寂の時間。

私の足元にはビール缶が5缶ほど、いつもよりは飲んでいるはず。

別で頼んだ最初のジンソーダは氷がゆっくり溶けるのを待ちながら徐々に消化している。


足立さんの周りには空になったワインの瓶や、

アルコール度数が多少お高めに表示されている瓶が、空になって転がっている。

本人は、次はどれにしようかな、とセレクト中だ。


若干その光景に圧倒されつつ、ふと周りを見渡せば、遠くで他のキャンパーが起こしてる焚き火の灯りがちらほら見える。


何時だろう、と一瞬携帯で時間を確認しようと思ったが止めた。

時間に縛られたくなく、このゆったりとした時間を大切にしたかった。



こうやって焚き火の火を眺めてると、なんかどうでもよくなりません?



足立さんはそうやって新しい赤ワインをコップに注いでゆっくりと味わう様に飲む。

火の灯りに照らされながら酒を飲む姿。

美人は映える。


足立さんは悩み事とかそういったことを何も私に言わない。

考えすぎだろうが、日常の喧騒を離れて、こうやって火を囲みながら酒を煽る状況に、

いつもの世界と自分を切り離したかったはず。

私自身、何故あのドアの前で長い間立ち尽くしていたのか、というのを足立さんに話していない。


ただ、二人で楽しく、火を眺め、酒を飲み、つまみに感動の声を上げる。

それだけで今はいいのだ。


夜空を見上げると、日常では見えなった星が無数に光って見える。

空は、こんなにも明るかったのか、と。

普段では味わえない非日常的な空気に触れながら、ゆっくりと時間を過ごす。


足立さんにお酒のお代わり大丈夫ですか?と促され

ゆっくりと氷が溶けるのを待っていた飲みかけのジンソーダを一気に煽る。

では、お代わりをとコップを足立さんに預ける。

いいですね。とウキウキ気分でさっきのような配分で足立さんは酒を入れ始める。



まぁ、たまにはこんな不思議な日も悪くは無いな。とアルコールで多少浮ついた気分で

ゆっくりと焚き火の火を眺めながら思った。

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高橋さんと足立さん ひじりいさみ @hiziriisami

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