菊と彼岸花の岸辺

ヤミヲミルメ

菊と彼岸花の岸辺

 僕は小川の中を歩いていた。

 ちゃぷちゃぷ。

 ぱちゃぱちゃ。

 その気になれば走って飛び越せる程度の小さな川を、気取ったスーツのズボンの裾をずぶ濡れにしながら遡っていく。


 辺りは霧に包まれて、進む先に何があるのかなんてまるで見えない。

 振り返っても自分がどこから来たのかまったく思い出せない。


 早く岸に上がりたい。

 だけど左右どちらの岸にも綺麗な花がびっしりと植わっていて、花を踏まずには岸に上がれない。

 左手側に、白い菊。

 右手側には真っ赤な彼岸花。

 踏まずに上がれる場所を探して、僕は水の中を歩き続けた。


 菊畑から声がする。

「彼岸花を踏んじゃダメだよ。こっちへおいで」

 彼岸花の園からも声がする。

「こっちへおいで。菊の花を踏んじゃダメだよ」

 花が途切れる場所を探して、いつまで歩けば良いのだろうか。



 足もとのメダカがささやきかける。

「さっさと岸へお上がりよ。もうすぐ鉄砲水が来るよ」

「何だって!?」


 こんな細い川とは思えないほどの轟音が川上から迫る。

 僕はとっさに彼岸花の岸に飛び込み、そのまま倒れ込んだ。

 腹の下で彼岸花の茎がボキボキと折れた。

 両腕に衝撃を感じ、どこかで誰かの悲鳴が響いた。



 僕が右へ飛んだのは、ただの偶然だと思う。

 利き足とか、そういう関係だと思う。

 本能。そんなものではなかったって信じたい。



   * * *



 甲高い悲鳴と、ガラスが割れる音。

 僕は首に巻きつけられた紐を解いた。

 呼吸が整って、やっと、目の前に居たはずの人の姿が消えていると気づいた。


 割れた窓ガラスから吹き込む風。

 覗き込めば遥か下に、愛してたはずの人の肉塊。

 飛び散った血液が、彼岸花のように咲いていた。


 額に手を当てる。

 握ったままの紐に涙が染みていく。

 もし僕が踏んだのが菊だったなら、彼女は泣いてくれただろうか。

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菊と彼岸花の岸辺 ヤミヲミルメ @yamiwomirume

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