豆狸

安良巻祐介

 掠れ曇りの日に、家の畳皮をめくりながら虱潰しをしていたら、ふとした拍子にぽん、ころころと豆狸が転がり出してきた。

 今どき珍しいことだと思いつつ、逃げようとしているのを抓み上げると、名前の通り、豆のようで、指の先ほどしかない。

「イノチバカリハ オタスケヲ」

 豆狸はクンクンと鼻を鳴らしながら、侏儒が電報を打つような、妙に角張ったひそひそ声でわめいた。

「ナンデモスル ナンデモスル」

「ふうん」

 抓んだ指の間の真っ黒い、ぴかぴかと光る小さな二つの目を見つめて、思案した。

 小さいとはいえ狸なのだから、何か芸でもやらせてみたら面白かろう。

 しかし、分福茶釜の真似事などさせてもありきたりだし、きっと細かい造作がよく見えなくてつまらない。

 どうせなら、もっと風雅なものがいいと考え、ついでにこの小さいのが困るようなお題を吹っかけて、反応を見てくれようと思いつく。

 ちょうど窓の外に、朧ろ雲の内側に隠れようとしている黄色い真円が目に入ったので、

「満月が欲しい」

 そう告げると、指の間で豆狸は小さな瞳をぱちぱちと瞬かせた。

「フイ フイ フイ」

「聞こえたか、あの月をおくれ」

 豆狸はクンクン、クンクンと鼻を鳴らしている。

 そうして、フイフイ言いながら小さな手足を蠢かしていたかと思えば、やがてルルルルル、と奇妙な調子で唸った後、唐突に、

 ぱちん。

 と弾けた。

 かと思ったら、もう目の前に、小さな小さな月が浮かんでいる。

 ゆらゆらとして、指で突くと破れそうだが、薄青い面にはきちんと海の模様もある、本格派の玉桂であった。

 思っていたよりも芸達者なことに感心しつつ、私はその、小さな狸月を自室に飼い始めた。

 机の上にただ浮かべているのもつまらないので、近所の園芸店で色の深い盆栽の小鉢を幾つか購い、それらを組み合わせて、小さな夜の山を作った。

 もうひとつ何かないかと思案していたところ、立ち寄った雑貨店(八雲、という屋号を掲げた洒脱な店であった)にて、これも小さな古刹の箱模型を見つけ、購入。

 こうして、偽の山に、偽の寺に、偽の月の浮かぶ、ささやかな秋景を自分の部屋の机の一角にこしらえた私は、ことある毎にそれを眺めて楽しんだのである。


 ところがそのうち、月がだんだんと細り始めていることに気がついた。

 今朝に下弦と思えば、夕にはもう有明月になっている。しまった、餌をやるのを忘れていた。このままだと新月になって消えてしまうかもしらん。

 焦って、小さな三方さんぼうの上に豆粒のごとき月見団子を盛り、寺の下に供えると、三日月、上弦と回復しだした様子である。やれ、これで一安心。

 そう思い、山盛りの団子を放置していたのが不味かった。

 今度は、狸月は猛烈に肥り始め、ちょっと目を離した隙に、満月を通り越してしまったらしい。

 あっ、と思ううちに、球形に肥えた月は墜落し、真下にあった風雅な古刹を見るも無惨に破壊した。

 ぽかんと口を開けて見ていると、ぺしゃんこになった寺の跡から、尻尾の生えた破れ月がのそ、と足を出した。

 そして、ふらふらと踊るようにした後、机向こうへそそくさと逃げていった。

 私はどこかほっとしてそれを見送りながら、月のなくなった山水と、しらじらと散らばった伽藍の欠片を、無常の具現のように見つめた。……


 しかしながら、それからもたまに月見団子を供えておくと、崩れた寺跡と山の上に、小さな月が出ていることがある。

 それどころか、なんと月が二つ出ていることもままあり、最近はあれよあれよという間に、それらの二つの月の下に、さらに小さいのが何個もくっついてくるようになった。

 お陰で月見団子の減りが早いので、季節外れの月見をしながら、私はいつも苦笑いをしている。

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豆狸 安良巻祐介 @aramaki88

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