【2012年 実写化映画】まんが的リアリズムな肉体を得た佐藤健の功績。

『倉木』


 お誕生日おめでとうございます。

 今日ぐらいは映画を忘れてくれい。


 さて、自己啓発マンには早送りで視聴したら意味ないかもやが、作家志望などのシナリオを勉強するなら早送りはオススメです。

 というのも、執筆の勉強のために映画を視聴するなら、映画は最低でも二回みなさいと、僕は先人から習いました。


 映画を二回観賞する際の一回目に、映画のあらすじをつくります。

 長くなってもいいので、ストーリーラインが全てわかるようにします。あらすじの中には、登場人物とその特徴も含まれているので、プロットみたいになるかな。

 この作業は、正直なところ倍速で観賞してもできます。その倍速観賞さえ嫌な人は、映画のネタバレを見てきてください。

 とにかく、内容を頭にいれてから、二回目の観賞にうつるわけです。内容を忘れないうちに、二回目の観賞をします。


 二回目なので、一回目では気づかなかった要素を味わえます。どんでん返しのための伏線とか、台詞のひとつひとつにも意味があるのだと勉強になるはず。ただ、結末がわかっているので、楽しさや驚きは半減するかも。駄作の映画の二回目の場合、なにが駄目だったのかを考えるので勉強になります。


 ちなみに、二回見ても味わいつくせてないと思ったら三回目にいきましょう。


 クリストファー・ノーラン監督のインターステラーは、2時間49分という長尺映画なのですが、僕は立て続けに三回みましたよ。


 あと、普段から映画のあらすじを頭の中だけでもつくる癖があったら、劇場でみた作品のあらすじもつくれるのだと、エンドゲームで気づいたよ。


『郷倉』


 ありがとうございます!!

 1月に健康診断を受けていて、その結果が再検査で、三十歳だぜ!って思った、郷倉です。笑

 えらいもんで、自分の体は健康じゃないのかも知れない、って思ったら、昨日はずっと体調を崩していて、アニメのDr.STONEをずっと見てました。


 今、十四話か十五話くらいなんですけど、なろう系とか言う素人が作ったご都合主義の異世界チートものを徹底的にぶっ潰して、根絶やしにしてやるぜ、プロの力舐めんなよ、という気概を感じる傑作でした。


 ファンタジーは言語学者クラスの人間が道楽で書くのが一番面白いとか、まじの人気者である本田翼がYouTubeやった方が数字は行くとかって言う、めちゃくちゃ当たり前のことを徹底的にやってました。


 素人はプロに勝てない。

 って大前提だと思うんですよ。勉強して、努力して、準備をする。即物的な発想とか、行き当たりばったりの展開のない、全てエンタメとして計算し尽くす。

 そういう当たり前がちゃんと込められた作品でした。

 久しぶりに良いもの見ました。


 さて、早送りに関しては、映画を忘れて良いということなので、お言葉に甘えて何も言いません。

 ただ、倉木さんがエンドゲームを見る時にあらすじ化できたのは、映画的な「動体視力」が鍛えられたからでしょう。それを鍛える方法は、これしかない、ということはないでしょう。

 クリストファー・ノーランも小説を最後から読んでいる訳ですし。


 明日こそは、るろうに剣心やります。


『倉木』


 Dr.ストーンおもろいよね。

 地味に、何千年もヒロインへの思いだけで意識を保ち続けたってすごいと思う。


 流行りとして、一応、呪術海鮮も見てるよ。ハイキュー!!もアニメ全部みた。

 かいせんが誤字ってる。


『郷倉』


 何千年も意識を保ってんの凄かったですね。

 個人的に、実写版の宇宙兄弟の後に見たっていうのもあって、ここでパイロット募集のクソ熱い面接シーンが、Dr.STONEと重なるか! としかも、声が! 声優が! エンドゲームをもう一回見たくなるやつやんか! ってなりました。

 もう狂喜乱舞です。


 呪術廻戦は、僕の中で新妻エイジっぽい「漫画」の天才が描いたって印象の作品で、Dr.STONEのような計算は感じなかったんですが、力技でぐいぐい進んでいく感じも嫌いじゃないって気持ちで見てます。


 ハイキューは好きすぎて、客観的に評価できなくなりました。お手上げです。


 るろうに剣心について書いてみたんですが、情報の羅列になってまったく面白くない。僕はるろうに剣心について調べ過ぎている。

 ということで、ちょっと色々精査する時間をください。


 ※数日が経過。


 何日も迷いましたが、やはり今回もセミナー方式で進めていきたいと思います。

 講師のさとくら(自称)でございます。

 よろしくお願いいたします。


 本題に入る前に、前回も話が出た西野亮廣の話をさせてください。彼は今のエンタメ作品は答え合わせだと、とある番組で発言されていました。


 いわく、国力が低下し、みんなが貧乏になっている今、映画一本見るにしても失敗したくない。だから、みんな分かっている作品を見に行く、つまり、売れるエンタメは答え合わせなんだ、と言うロジックでした。


 その例に出たのが、「鬼滅の刃」の劇場版でした。


 2010年から振り返って行く中で、漫画の実写映画は増えていきます。それはコアなファンが見に行くと分かったからです。


 そして、コアなファンが漫画の実写映画もなかなか見れるじゃないか、と知らしめた作品が「るろうに剣心」だったのだろう、と僕は考えています。


 るろうに剣心が如何に、漫画の実写映画の中で重要だったか、ということは少々後回しにして、まずは西野亮廣のロジックについて語らせてください。


 エンタメは答え合わせなんだ、と言われれば、そういう側面もあるだろうけれど、それが全てではありません。もちろん、言い切った方が、自己啓発的なロジックでは正しいことは知っていますが、冷静に考えれば、それだけではありません。


 例に「鬼滅の刃」を出していましたが、少し前なら「エンド・ゲーム」あるいは「君の名は。」が出るところでしょう。

 これらの映画は原作を知っていて、その答え合わせ、というよりは、新海誠だから見てみよう、アベンジャーズだから見てみよう、という作り手側の信頼から、多くの人が面白いと期待して見に行ってたと見る方が自然です(彼らは答えを別に提示していませんから)。


 原作を知っていて、その答え合わせに人は映画を見に行くんだ、は西野亮廣がプペルという絵本を原作とした作品を多くの人に見に行ってほしいから作り上げたロジックでしかなく、それが正解ではありません(もちろん、間違いでもありません)。


 さて、「るろうに剣心」の話をしましょう。

 るろうに剣心が実写映画化した2012年には原作は当然、完結していました。

 その為、西野亮廣的に言う、答え合わせが可能な作品でした。


 では、実写版のるろうに剣心は答え合わせのような作品だったのでしょうか?


 一見そのように見ることは可能です。

 しかし、るろうに剣心がヒットした理由は、答え合わせのような作品にしなかったから、だと僕は主張したいんです。


 どういうことか。

 原作のるろうに剣心のヒットの理由の一つに、「飛天御剣流」つまり、必殺技があると思うんです。

 子供が木の棒とかを持って、友だちと真似をしたくなるような格好よさが、るろうに剣心にはあって個人的に左之助の「二重の極み」とか、超真似してました。

 全然できないんですけどね。


 また、るろうに剣心をパチンコにするオファーがあった際、原作者の和月伸宏は「るろうに剣心は少年漫画、子供たちのものだから」とオファーを断った、というエピソードも聞いたことがあります。

 るろうに剣心という物語それ自体が、子供たちの為の物語なんですよ。

 そういう視点で、るろうに剣心の原作を読むとなるほどと頷ける部分が多々あります。


 その為、るろうに剣心を実写映画化する際、答え合わせのような作品にするのであれば、子供たちに受ける作りでなければおかしいんです。

 もちろん、子供見れる作品にはなっています。

 しかし、土煙や泥臭さ、血の鮮烈さもしっかりと描かれた実写版のるろうに剣心は、原作の読者層よりも大人に射程が合っているように見えます。


 その要因となっている一つに監督の、大友啓史の影響があるように思います。彼は、実写版のるろうに剣心を撮る前の、2010年1月3日から同年11月28日まで放送されたNHK大河ドラマ「竜馬伝」のチーフ演出を担当していました。


 そして、その「竜馬伝」にるろうに剣心の主演を務めた、佐藤健も岡田以蔵という人斬りの役で出演しています。

 るろうに剣心の主人公の緋村剣心も人斬りだった過去を持っている為、佐藤健は同時期に人斬りの役を演じていたことになります。


 監督が「竜馬伝」のチーフ演出を担当していた大友啓史であり、主演が「竜馬伝」で人斬り役を演じた佐藤健。


 この時点で、実写版「るろうに剣心」が子供向け作品というよりは、確かな人の生活が息づく世界観を作ることができる環境にありました。そして、実際の映画でも、食事処だったり、毒を盛られて道場で患者を介抱するシーンだったりは実にリアルで、その世界にしかないもので、すべてが構築されていたように思います。


 この細かな作り込みを少年ジャンプという少年漫画を題材にした作品でした、という点で、るろうに剣心は稀有な作品として挙げることができます。


 ちなみに、2012年以前に実写化された少年ジャンプ作品は「DRAGONBALL EVOLUTION」や「DEATH NOTE デスノート」などがありますが、細部の作り込みという点では、少し物足りない作品だった記憶があります。


 とくに「DEATH NOTE デスノート」は、人の名前を書いたら死ぬノートに書く名前が原作よりも大きく、演出的に分かり易いのは良いけれど、一ページのノートにびっしり名前が書き込まれていく、あの狂気性が薄れてしまって、個人的に絶賛しづらい部分がありました。


 少々、長くなっているのでまとめます。

 るろうに剣心は西野亮廣が言う答え合わせのような作品というよりは、原作の面白さを残しつつ、NHK大河ドラマの延長線上にあるリアリティを保って撮られた映画であった為、子供だましのような演出が一切なく、高いクオリティのエンタメに仕上がったのだと思います。


 それを支えたのは、佐藤健という二次元的なヒーローを真正面から演じることができる俳優の台頭にあると僕は考えます。


 一つ象徴的なのは、必殺技を叫ぶという少年漫画的な王道を「るろうに剣心」は捨ていることです。

 主人公の緋村剣心が扱う「飛天御剣流」は「一対多数の戦いを得意とする実戦本位の殺人剣」なんですが、映画を見ると結構、刀を抜かずに肉弾戦で敵を倒すシーンが目につきます。


「飛天御剣流」ではなく、あくまで緋村剣心という人間の格好よさを見せている、つまり、佐藤健のアクションや動きが少年漫画のバトルに耐えうるものだ、と言う証明となった作品が「るろうに剣心」なんだと主張したと思います。


 その為、見て欲しい層としては、漫画の実写映画化はちょっと……、と躊躇している全ての人に、まずは「るろうに剣心」を見てください。

 日本の実写映画が少年漫画の動きをちゃんとやった初めての作品ですよ!と、推したいと思います。


『倉木』


 るろうに剣心に限ったことではないけど、漫画原作の映画化ってのは、テレビシリーズのアニメ化とちがって、そのまんま全てを流すことは不可能です。

 そもそも、五等分の花嫁のアニメですら、はしょられまくってる訳で。


 だから、なにを言いたいのかというと、原作からどれだけ上手に引き算が出来るかが重要になってくる。


 るろうに剣心で例をあげるならば、先ほど話題にあがった戦闘シーンもひとつの例になりうる。

 漫画やアニメでは違和感なかったものでも、実写化されることによって、やらないほうがいいことがある。つまり、必殺技に頼りきらないという引き算の判断が絶妙やった。これも、時代劇の殺陣の系譜があったからこそなのかもしれない。


 漫画実写映画化に及び腰の人に向けての作品という意味では、地上波のゴールデンタイムで放送される作品っていうのは、ひとつの物差しになりそうやね。

 漫画実写映画で、地上波で放送された作品を調べたら、またなんか傾向がわかるかも。


 そして、重要な作品ってのは、地上波で放送されてる気がする。


『郷倉』


 地上波で放送されるで言うと、最近「かぐや様は告らせたい」がTBS系にて放送されていましたね。


 個人的に類似作品として、「暗殺教室」や「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」辺りを挙げたいんですが、この三作品って僕の中で、あまり良くない漫画の実写映画なんでよね。その理由は実写映画の中で漫画をやろうとしていたからなんですよね。


 谷崎潤一郎が「文章読本」の中で、日本語は英語ではない、と今から考えれば当たり前のことを書いているんです。

 時代背景として、西洋文化を取り入れて日本も発展するんだ、みたいな時期で、そこにきて言葉も横文字を取り入れたりする訳ですが、日本語と英語が混ざる訳がない。そもそも文法が違うのだから、当然です。

 だけれど、西洋文化を取り入れない訳にもいかない。

 そのような葛藤の中で生まれたのが、僕らが普段使っている口語体だった訳ですが、その話は脇に寄せましょう。


 僕が言いたいのは、つまり映画は漫画じゃないんです。

 けれど、映画で漫画をやろうとしているのが、「かぐや様は告らせたい」や「暗殺教室」や「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」なんですよね。


 映画館なんかで見れば、正直痛々しいとしか言いようがない代物です。

 けれど、お茶の間で流れる分には「橋本環奈、可愛いよね」とか「山﨑賢人、不良言葉良いよね」とかって、コミュニケーションのきっかけになるので、基本的に会話が禁止の映画館とは根本的に受け入れられ方が違うんですよね。


 そして、そういう映画を新しい表現って言いたい人たちがいるのも分かるし、磨いて光らないものはないのかも知れません。


 という意味で、映画を漫画的にする技法で成功したのは、英勉監督の「ぐらんぶる」や「映画 賭ケグルイ」だと思うんですよね。

 ドラマ版の「映像研には手を出すな!」も最高に良かったので、まだ見ていませんが、映画「映像研には手を出すな!」にも期待しています。


 そして、これらは映画と漫画を両立させた現在の最高到達点という意味なのですが、その辺は追々話していきます。


 倉木さんがおっしゃるように、漫画原作の映画化は「そのまんま全てを流すことは不可能」で、如何に漫画原作と実写映画の落としどころを探すか、という点が焦点になるんだと思います。


 あくまで、僕の観点ですが、漫画原作と実写映画がぶつかった時、ちょっとだけ実写映画側が優先された作品が、漫画の実写映画の良作になっていくんだと考えます。


 なぜなら、演じる人間は二次元の紙に書かれた存在ではないからです。

 実写映画はどんなに素晴しいシナリオ、構成があろうと、最後は人間の窮屈な肉体を持った演者に賭ける他ありません。


 この窮屈な肉体性と向き合いつつ、漫画と映画の狭間で格闘して作られた作品として、僕は「闇金ウシジマくん」と「るろうに剣心」を推したいと考えます。


 ただ、窮屈な肉体性とか言うと、「大奥 永遠[右衛門佐・綱吉篇」にも触れたい。

 ということで、その辺はまた明日にでも。

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