【2011年 実写化映画】漫画の実写化映画のオリジナル展開について。

『倉木』


 カイジ1は、確実に名作だと思います。後に中国だったかな、で限定ジャンケンというゲームだけで二時間の映画にされるのに、その限定ジャンケンを冒頭30分で終わらせて、他のゲーム(鉄骨渡り・Eカード)をしてくれるという大ボリューム。しかも、大奥の男女逆転じゃないけど、原作の男キャラを女優にさせて、成功させている。男女逆転しても、ぶれないキャラっていうのは、強いなぁとか感じたものや。


 否が応でも期待が高まるカイジ2やけど、前作と同じく原作マンガでは長い尺を使った地下でのチンチロリンを冒頭10分で終わらせてきた。こいつは、また大ボリュームになりそうやでと期待したのに、ピークがそこやったんちゃうかと思えるぐらいにしぼんでいく。映画だけのオリジナルゲームが、途中にあるんやけど、そこらあたりから、ゲームの面白さよりも人間ドラマに比率をおきはじめたので魅力が減ったんやろうな。ここらへんの肩透かし感を解消してくれた映画は、後に咲や賭ケグルイで登場するのやけど、それはまた先の年の話で語ることでしょう。


 本来ならば、ギャンブル物ってVシネマで培った技術を使えるはず。

 つまり、時代劇や特撮系みたいにお手本とできる作品が多い。にも関わらず、カイジ2はジャンルを変えてきたイメージすら持った。1はシリアスやったのに、2でコメディになる作品もあるにはあるので、一概にはそれが失敗とはいえないんやけど。


 邦画の悪い癖ともいえるんやけど、なんでも愛がどうとかで物語をつくれば客がくると考えてる節があるんよね。ベイマックスの日本版の予告編とかアベンジャーズエイジオブウルトロンの日本版予告編とか、まさにそれやん。愛がどうとかで無理やり予告をつくって、本来の魅力を伝えるのを怠っているようにもおもえる。


 だから、カイジも愛とか人情がどうとかに舵をとったのは邦画の呪いとでもいえるのではないのかな。でも、カイジが頑張ってくれていれば、映画でも定期的に続編がつくられるぜっていう前例がうまれたかもしれんのに。だって、カイジファイナルなんて完全オリジナルやからね。オリジナルでええんやったら、毎年とか二年に一回とかで上映されるシリーズ映画をつくってくれよ。いやまぁ、釣りバカ日誌があったのは、知ってますよ、はい。あれも漫画原作やね。


 さてさて、カイジとカイジ2の流れは、テレビドラマシリーズでヒットした漫画原作ものを続編制作にあたり映画化しましたって流れに通じるものがあるといえるのではないでしょうか。そういった点でも、モテキとも比較できそうやね。


 モテキのストーリーに関しては、僕が語る必要がないほど話されていたので割愛するとして。邦画として面白いから、いままで気にとめなかったんやけど、完全オリジナルストーリーなんよね。漫画原作というくくりのトークの中で、オリジナルで面白いのは卑怯ととるか、それともこの企画の希望ととるか。むしろ、そうやって考える余地がある時点で、振り返って重要な映画なのかもしれない。


『郷倉』


 モテキ完全オリジナルストーリーでウィキペディアなどで調べると、ドラマ版のキャラクターも登場するシーンも脚本ではあったようですが、監督が「映画はドラマの続編だが、独立した作品にしたい」ということでカットしたそうです。

 個人的に、その独立性故に倉木さんがおっしゃるように、邦画として面白い作品になっているんだと思います。


 モテキが完全オリジナルストーリーで面白いのは卑怯か、希望かで言えば、他では真似できない、という点で卑怯というかチートな印象を持ちます。

 言ってしまえば、モテキは特別です。


 どういう特別性かと言えば、先日放送した『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』くらい卑怯です。


 逃げ恥のスペシャルは前半部分は原作通りですが、後半はオリジナルになっています。このオリジナル部分はコロナウィルスが蔓延した中での子育て、という内容です。

 副題にもなっている「ガンバレ人類!」とあるように、逃げ恥のスペシャルは一つの希望の物語になっています。


 漫画の原作でどれだけ時事を描いてもそれが映画化されるのは、数年後です。

 しかし、オリジナルのシナリオであれば、幾らでも今もっとも描くべきテーマを中心に据えることができます。


 モテキの映画の何が良かったかと言えば、SNSが当たり前になった若者の恋愛って、こういうことが起こるよね、って言うことも描いていたことなんだと思うんです。

 つまり、SNSによって恋愛の方法は変わってしまった。

 それをモテキで完璧に描いてしまった。


 だから、漫画原作の実写映画という枠を超えて、日本の恋愛学を語る上で参照されるくらい「モテキ」は重要な作品になっている、と僕は思います。


 そういう作品が漫画原作の実写映画から生まれる、というのは良いですよね。漫画原作の実写映画が好きな身からすると。


『倉木』


 漫画を知ってたら、アニメは見ないけど、実写映画は見るってパターンが自分の中で多いなって思いました。


 カイジもGANTZも原作漫画は読んでるけど、アニメは見ることなく実写映画は何故か劇場でみてるわ。


 理由を考えるに、オリジナルの味付けに興味があるんやと思う。


 GANTZの二作目もオリジナル展開やね。一作目において、色々と原作から変更したために、さらには二本目で終わらせるためには、オリジナルにするしかなかったのかもしれん。モテキとちがって評価が低いのは、オリジナルにしたくせにイマイチだったせいかな。

 観客の評価をおそれたあげくに、時事ネタを取り込むような挑戦もしなかった。


 原作のエッセンスをいまにおとしこんでいるものの最高峰は、MCUシリーズやと思う。


 マルチバースという原作とはちがうパラレルワールドという認識で原作ファンは納得してる。というか、原作コミック世界においても、いくつものマルチバースがあるという設定もあるし。


 MCUは、時事ネタ世界情勢を取り上げるように、有色人種のヒーローや女性ヒーローの活躍をうまく作品にとりこんでる。


 ああいう挑戦をGANTZはしなかった。

 そもそも、長編二作で完結させるならば、原作にはないオリジナル展開も仕方ないのだ。これは、自分の作品を推敲するのにも通じる物があるのではないか。

 エピソードを削るだけではまとまらない。削りながらも、名言だけは残す。複数のエピソードをまとめるためにこそ、オリジナル展開、ひいてはキャラが必要になる。

 寄生獣完結篇は、そこらがうまい。設定を一ついじれば、他の部分もいじる必要を知っている脚本家だった。さすが、名脚本家だよ、あの人は。

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