【2010年 実写化映画】執筆に活かせる技術がつまっている映画。

『倉木』


 では、続いて。せっかくならば、さっきの流れでヤマトを語ろうかとも思ったけど、ライアーゲームに続いて批判的な話を続けるのもあれなので、次は純粋に面白い映画を語るね。


 ボーイズ・オン・ザ・ランかシーサイドモーテルで迷ってる。どちらも、漫画原作とか関係なしに、邦画として完成度が高い。

 映画として面白く完結しているために、原作漫画をわざわざ読まなくてもいいやんと思えるほどやった。

 これが、前後編とか三部作とかならば、次作の公開までに続きが気になって原作漫画に手が伸びていたかもしれない。


 特にシーサイドモーテルは、キャスティングが素晴らしい。

 なにを演じてもキムタクになる人や、アフロ田中を演じる前のクールな役が多い松田優作の息子とちがい、様々な役を演じられる役者を出演させてくれているので、安心して映画鑑賞ができた。

 喋りながら、ボーイズ・オン・ザ・ランも、松田優作の息子が出演してんじゃんって思ったりもしたので、シーサイドモーテルの話をすることに決めた。


 ――海もなく山に囲まれているのに何故か「シーサイド」と名付けられた小さなモーテルを舞台に、その4つの部屋で繰り広げられる11人のワケアリ男女による愛と金と欲のダマし合いと駆け引き、そして様々な人間模様と葛藤をコミカルに描いた一夜の物語。


 ウィキペディアのあらすじが上記の通りになります。ウィキペディアって、作品によって、あらすじの長さがちがうよね。短いからといって、作品が面白くないわけじゃない。単に知名度がそこそこってだけかな。てなわけで、本作は隠れた名作。そういうのに出会ったら、映画みてて嬉しくなりますよね。


 なんにせよ、あらすじがシンプルすぎるので、掘り下げます。


 本作は、部屋ごとの短編が四つあり、それぞれの物語が微妙に影響し合うことで、予期せぬ方向に話が転がるつくりです。

 なので、部屋ごとのあらすじを簡単にまとめてみます。


【103号室】

 人を騙すことに染まりきれないインチキセールスマンの部屋に、三十路前のコールガールがやってくる。嘘を売る仕事の二人が偶然出会ったことで、愛の駆け引きが繰り広げられる。


【202号室】

 借金を踏み倒して逃避行を続けるカップルの元に、ヤクザの兄貴分と子分のチンピラがやってくる。借金男と兄貴分は幼馴染なのだが、組の金にまで手をつけていた借金男への報復として、その世界では有名な拷問職人による仕事がはじまる。


【203号室】

 ED夫と美人妻のマンネリ夫婦が旅先で別行動をとる。普段とちがう刺激があれば、EDが治るのではないかという言い訳から、夫はコールガールを呼ぼうとする。だが、執拗なまでに浮気を疑う妻に、夫は女装と化粧をされてしまう。


【102号室】

 いままで大金をつぎ込んできた思わせぶりなキャバ嬢を今夜こそ落とそうと目論む常連客。客は入念な計画をたててていたのに、予定外なことが起こる。


 さてさて、あらすじからでも察することが出来そうなもので、四つの短編があるからといって、映画全体を通しての重要度が綺麗に四等分とは言い難かったです。あくまで個人の感想ですが。


 なんにせよ、四つの物語どれもが訳ありの大人の話です。このことからも、映画を観てもらいたい層を絞っているようにも思えました。たとえば一つか二つの部屋での物語を女性や十代の学生に刺さるようなものにしとけば、他の層も面白がってくれたかもしれない。

 でも、しなかった。

 あるいは、山奥の小さなモーテルという舞台を選んだことで、そういう話をつくると途端にリアリティーがなくなると感じたのかもしれない。


『郷倉』


 どれも確かに大人な物語ですね。

 モーテルという舞台装置が必ずしも女性や十代の学生を楽しみ作品の舞台になり得ない、とは言えませんが、現実的にモーテルを利用する訳ありな人々を選出すると、自然と「シーサイドモーテル」のような作品になる、と言うのは分かります。


 山奥の小さなモーテルに行ったことが、それほどある訳ではありませんが、現実がどうあれ、自然と浮かんでくる人物像は中年男性になって来る印象です。


 重要なのは舞台である山奥の小さなモーテルである、という点なんですね。


『倉木』


 そうなんよ。四つの部屋での物語を繋ぐのは、モーテルという舞台装置なんよ。

 そこを利用する客が、この一夜泊まっているという偶然が下地にあることで、本来ならば独立した短編が、絡まることを許されて長編となっているという印象を受けた。事実、他の部屋で起きた出来事の末に、203号室の小粋なオチに繋がるのは、見事やで。おそらく、203号室の物語を追いかけているだけでは、あそこまでの感動を与えられなかったやろうな。


 今回、本企画によってこの作品を数年ぶりに視聴し直したことで、創作にいかせる部分が多いやんと感じたのは、嬉しい発見やった。

 よくある話やたいしたことがないとかで、お蔵入りにしようと思っていた短編の質を、長編にすることで向上させる方法論みたいなものが、隠されている名作映画。


 あくまで僕個人の経験なんですが、お蔵入りにする自分の作品は、意外性が足りないのが問題ってことが多い。

 だからといって意外性をもたすだけでは、物語が破綻することがある。実は○○だった! っていう急展開は、伏線がなければ、そんなわけあるかって読者を白けさせる危険性すらある。

 けれども、物語の登場人物だけは驚いて当然で、読者はあの伏線をここで回収ね、と気持ちよくさせる方法があるんですわ。


 意外性を登場人物に与えながらも、視聴者だけはわかる。意外性と説得力のバランスをちょうどよく描く方法をシーサイドモーテルから学んだ。


 単純な話、別の視点人物の物語で、別の物語の伏線をはるだけでいい。シーサイドモーテルでいえば、たとえば103号室では流されるような情報が、別の部屋では重要な伏線回収と利用される形です。

 ノベルゲームでも似たような手法があるね。ギャルゲーとかで、ヒロインAを攻略しているときに、他のヒロインの情報が手に入る感覚に近いかな。


 作中の登場人物は伏線がはられているのを知るよしもないので、急展開が起きて自然に驚く。そこには、当然のように意外性もある。でも、読者は別の部屋で起きている物語の中で、予備知識としてその情報を持っている。なので、急展開だったとしても、そうかあれが繋がってこうなったのかと納得してくれる。


 つまり、読者のほうがそれぞれの話の主人公よりも情報を多くもっているわけです。

 これって、視点人物は視聴者や読者よりも少しだけアホにしといたほうがいいという創作論にも自然につながっている。


 ちなみに、視点人物を読者よりもちょっとアホに設定した場合、主人公が理解できていないことならば、理解できぬままでも面白い話をつくらなければなりません。実際にシーサイドモーテルでも、その基本は守られていました。103号室で得た情報だけで、103号室に泊まる男が伏線を回収する流れもあります。


 でも、現実だと、あれってどういうことやったんや? と、答えを見つけられぬまま終わる問題ってあるよね。それもリアリティーだと開き直ってしまうのもいいかもしれないけれども、フィクションであるならば回収しておくべきだと思う。でも、不自然に回収したらご都合主義が強くなる。この伏線回収を他の部屋(短編)ですることにより、短編が絡み合い小粋な長編に進化する。


 完成度の高い脚本を演じきった連中が素晴らしいってのも本作の魅力。邦画にも、こんな役者たちがいるのならば未来が明るいやん、と思ったものや。


 メインどころを、山田孝之や生田斗真が演じているのもすごい。

 山田孝之の役者としての凄さは言わずもがな。見事に物語を引っ張ってくれる。


 生田斗真は前述したジャニーズなんですが、あれはもうジャニーズとは別枠の存在やね。本人も曲を出さずに役者だけで成功した唯一のジャニーズと語っていた記憶が。

 シーサイドモーテルで演じるのもジャニーズらしからぬ役だった。詐欺商品を売るセールスマン。ふらっと立ち寄ったモーテルで、デリヘルが部屋を間違えて訪れるんやけど、そのデリヘルとのやりとりにちょっとした感動もある。


 なんにせよ、こういう風に、執筆に活かせる技術がつまっている映画は、義務教育で見せてほしいものや。洋画の「500日のサマー」とか、思春期に見せるべき映画ってのは多いと思う。

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