第15話 「紅潮」
「…………なあ、玲菜の両親はどんな人なんだ?」
「……え」と彼女は呟く。彼女は表情を変えることないままに、一瞬涼太に視線を返し、そしてまた河川へ戻す。
「……すごいひと、だよ。私の親は」
「なんでも、一流企業の中の凄い立場なんだって。詳しい事は、分からないんだけどね」
「へぇ……そりゃ凄いな確かに。……そうなると、仕事してる時の親とは、会ったことないのか?」
「無いよ、一度も」
「そうなのか……」
「……それじゃあ、俺の母さんはカレー屋でずっと働いてるんだけど、玲菜の親はどんな仕事してるんだよ?」
「んーー、……私もよく、わかんなくてさ。教えて、もらってないの」
「となると……親とはあんまり話さない、とか?」
玲菜は視線を遠くに向けたまま、ぼんやりとどこか曖昧な返答を返す。「そうだね。……忙しいみたいでさ。あんまり、話せないの。それに話したとしても、教えてもらえないんだ」
そうして「だから、仕方ないよ」と微笑む。
「………………」
一流企業に勤めていて、それなりに立場がある人間であるのなら、娘に会うのは確かに時間が限られることなのだろう。でもそれにしては、と涼太は彼女を見つめる。
ここまで、一人娘が自分の親の事を話さないものなのだろうか。ふと、疑問が芽生える。
今まで涼太が育ってきた環境は少なくともそうではなかった。家に帰れば当たり前のように母親が自分の事を聞いてくる。
彼の母親はそんな話をひとしきり聴いてくれた後は、職場での愚痴や涼太が笑える話をビールを飲みながら楽しげに話す。それが彼にとっては「普通」であり、父親が居ない環境でも特に不自由を感じたことも無い所以だった。
だが玲菜はそうではない。
玲菜は、家に帰ったあと、どんな話を両親とするのだろう。ふと、何かの不安が涼太の胸をよぎる。
「……………涼太くん?」
「え……あぁ、ごめん。すこし、考え事」
「ふーん? 変な涼太くん」
「変は余計じゃね?」
そうして先程までとは少し表情を変え、少女ははにかむ。右のお下げ髪を耳に掛け「でもさ、私、それもあってかちょっと得意な事もあるんだよね」と目を瞑る。
「得意? 何が」
「涼太くん、料理とか得意?」
「は? え、っと……いや、まぁ簡単なものとかは出来るけど」
「ふ〜ん?? 例えば?」
「例えば?」
そう言われると急には出てこない。無難に言うなら、味噌汁とかか。涼太はふと思いついたそれを伝える。
「ほほぉ、味噌汁は基本だけど奥が深いもんねえ。出汁とり、素材、味噌、それらの使い方次第で大きく味変わるし!」
「何だよ、急に。そういうお前は料理得意なのか?」
「ふふーん、実は洋食系はそれなりに、かな?」
ドヤ顔にも見える横顔で彼女は涼太を見つめてくる。その仕草に涼太は思わずムッとならずにはいられない。「……たとえば、何作れんだよ」
「えー、オムライスとか? あと、ミネストローネとはまぁ人に食べさせれるくらいには得意だよ」
「……」
思った以上に色々作れることが発覚。すげぇ、と涼太は思わず口を開かずにはいられない。
「めちゃくちゃ本格的だなオイ」
「えへへ〜。ねね、涼太くんは普段ご飯とかはどうしてるの? 学食とかもあるけど」
「俺は基本朝飯は親から貰った朝飯代を使ってパンとかだし、昼に関しては学食……夜は、まぁ母親いねぇ時とかは簡単な飯作るくらいだな」
「お昼いつも学食? お弁当とか作らないの?」
昼はいつも定額300円の日替わりランチセットがあり、涼太は基本いつもそれを頼む。
その毎日変わる味は、この学生生活の中でも割と嫌いではないのだ。故に、涼太本人は弁当をここ二年以上作った試しはない。
「そうだな、朝はうちの母さんはくっそ忙しそうに家出てくから弁当なんか頼めねぇし、朝起きて作るのもだるいしな」
「へぇぇ、もったいない。お弁当作るの楽しいよ?」
「は? お前、まさか……」
すると玲奈はにやぁ、と何処か不気味な笑顔を浮かべる。「そだよ、私いつも朝昼晩自分のと、家族のも作ってるんだ!」
「お昼のお弁当とかは前日仕込みをして、朝自分で作ってね!」
「はーーーー、そんな高校生ホントにいるのかよ」
まるで漫画みたいな話だな、と涼太は呆然とした。あれ? ちょっと待て。ひとつ、気がつく。
「ん、ていうかお前、今家族のもって……」
「え」
その瞬間。玲菜の表情はピシリ、と音を立てたように止まった。なんだ、今のは。─────そう見えたのは、気のせいか。
少女はやがて「……うん、もちろんそだよ! 家族のも作ってるの。私の両親忙しい人だし、少しでも喜んで欲しいから、ね」と頬を綻ばせていく。
(─────……………喜んで欲しい、から?)
ふと垣間見えた不安を胸へ仕舞いこみ、ひとつ小さな息を漏らして返答を返す。
「……凄いな、お前。毎日やってんのか?」
「え? うんまぁ……お弁当とかに関しては、うん、毎日やってる」
そうして玲菜は、褒められると思っていなかったのか、目を見開いたかと思えば少し気はずかしそうに視線を逸らした。
「……ねぇ、涼太くん」
「ん? 何だよ」
目線は逸らされたまま、彼女は両足をベンチの上に載せるかのように持ち上げる。スカートの裾を引っ張りながらも、そうして玲菜は膝の上に頬を乗せた。
なんだその仕草。涼太は堪らず、慌てて正面を向く。
黒タイツなのか黒スパッツなのかは涼太には判断など出来るはずもない。が、街灯の光のせいでそれは何処か艶めかしく、色気を誘う。しかもいつもの事ながら当然玲奈は無自覚でその仕草をしているのだろう。
「…………………………………」
あざとい、という言葉を知っているのだろうか。この女子高生。そんな事とは露知らず、少女は薄開きの微笑みで「────ひとつ、お礼がしたいんだけどさ?」頬を膝に乗せたままこちらを向いてくる。
「………………ナンダヨ、オレイッテ」
「なんでカタコト?」
いやおめーのせいじゃ。
とは言えず、涼太は全力で玲菜の「あざとい」格好から目を逸らして反応を返す。
その様子にクスクス、とまた小さく笑うと「いや、明日さ……良かったら、お昼一緒に食べない?」と呟いた。
「………」
ショートする。
言うなれば、電磁回路。そんな、電子機器が故障する時に最後に煌めくときのようなアレ。アレが、涼太の思考回路という回路を迸って、脳内全てを麻痺させていく。
「……………………………………はい?」
「涼太くんにお礼も兼ねて明日私のお弁当作ってきてあげるよ。だからお昼話そ」
そうして当たり前のように玲菜はにひひ、と微笑む。思考が停止しているせいで、数秒程自身の動きと脳の動きも硬直している。あした、れいなとしょくじ? ひるめし? What?
「……あ、でもそれだけだとつまんないか。涼太くんの食事の腕も見てみたいし……ねぇ、涼太くん!」
「な、ナンデスカ」
「だからなんで片言? 涼太くんも明日、お弁当私に作ってきてよ」
「ふぁっ!!?!?」
待て。何故にそうなる、と呆然とした顔を涼太は玲菜へ向ける。するとそれに答えるかのように「え、だってその方が涼太くんの色んなこともっと知れるもん」と今度は満面の笑みを浮かべてきた。
「………………………………………」
「あの、さ、れいなよ、」
「?」
バーストして焼き切れた思考回路を復元させる。その、反動なのか。思ってもいない言葉がさながら液状化したバッテリーの様に漏れだした。
「………ずっと言おうと思ってたんだけど、お前は、もう少しだな、その、」
「────自分が、可愛いんだってこと、自覚したらどうだ?」
「…………………ふぇ?」
「…………………えっ」
可愛い。かわいい。カワイイ。KAWAII。脳内でその言葉が反復しては、自分がその言葉を玲菜に伝えてしまったという事実がグルグルと周回していく。待て、俺は今、何を言った?
修復したはずの集積回路は再びバチバチ、と火花が飛んだ。彼はそんな気になる。自分でも分かるほどに頬が、熱い。なんて事を言ってしまったのか、俺は。
だが昨日と違うこの焦り。これは、恐怖というより──────どうしようもない、羞恥心。
そして。
涼太は、玲菜へ視線を向けた。
「…………………………………………っ、ぇ」
顔が、赤かった。頬は紅葉の様に赤く、それは顔の見える範囲が薄れてしまう透明マスクですら分かるほど。一瞬だけ、目がまた合う。
普段ならば、ここで涼太の方から大概目を逸らす。だが、この時この瞬間においては、玲菜の方から視線を、逸らした。
「………な、わ、わたし可愛くなんてないよ……」
「いや、俺は嘘なんてつかない」
「だ、大体な! お前昨日からくっつきすぎなんだよ!」
「え、えぇっ!?」
「いいか!? 人にはパーソナルスペースなるものがあるんだ。これくらいの距離は他人、これくらいの距離は友達、これくらいの距離は……っっ」
そうして涼太は慌てふためいてる間に、自分が言おうとした言葉を辛うじてピタリと止めることに成功する。身振り手振りで「パーソナルスペース」を表現しようとして、気づいたのだ。
あぁ。俺と、玲菜の距離はまるで、まるで「恋人」みたいじゃないか、と。
「………りょ、りょうた、くん?」
頬を染めたまま、大きな瞳をぱちぱちと瞬きさせた玲菜。彼女は、立ち上がった涼太をじっと見つめて、その続きを待つ。
────そんな仕草にすら、脈が高鳴る。ああもう、なんで、と彼は叫び出したくなる。
「……もう少し、さ、自覚しろよ……お前は、可愛い、から」
「……よ、よくわかんないけど、その、ごめん」
「……い、いいよ。その、つまりいいたいことは、近いってことと、お前が、可愛いってこと、だ」
「………………」
可愛い、と言われる度にキュッと胸が締め付けられるような気持ちになるのは何だろう。何、これ、と玲菜は内心焦る。
そんな事を、こんなにストレートに言われたことなど無くてどうしようもなく恥ずかしくなってくる。なんで、そんなにいきなり褒めてくるの。
(……なんなのよ、涼太くんの、ばか)
透明マスクしてる意味が無い。このマスクは限りなくマスクをせずに話している時と似たような感覚で話せるマスクだが、普通のマスクほど顔を隠してくれないのだ。
恥ずかしくて堪らなくて、頬が熱い。かなり高い確率で赤くなっているだろう。隠せている自信もない。
こっちを、見ないで欲しい。そんな事を彼女は思う。
同時に。
(……なのに、なんで、)
(こんなに嬉しいんだろう。わからない)
嬉しい。たまらなく、うれしい。よく分からない。玲菜にはその気持ちが初めて扱うものだった。故に、困惑してしまう。
───そうして。会話が、数秒程止まってることに気が付く。
慌てて「……あ、えっと、その、つまり、近かったって、言いたいの?」と涼太の顔を見ずに玲菜は返す。
「え、あぁ! それ、そゆこと!!」
「ご、ごめん。いやだった?」
「え!? いや、その」
半ば涼太にそっぽを向く形で横を向いているので彼の表情とそのあとの言葉が読めない。いや。正確にいうと、違う。
「…………いや、では、ないけど。……ただ、その、贅沢言ってもいいか」
「……え? な、なぁに?」
「………………。あまり、その、仲良い、と思い込んでるだけかもだけど、仲良いであろう俺とか以外には、しない方が、いいかもしれないな」
「……………」
何となく、嫌とは言わないと思った。だが、仲良いと思い込んでるだけというのは違う。意を決して、玲菜は向き直る。
「ち、違うよっ!!」
「─────涼太くんは、その、……」
「─────仲良い、人だよ? 『友達』だよ。そう、思ってるよ、私は」
もう半ばやけくそだった。こんな事をなんで弁当の話から伝えているのだろう。でも初めてだ、と彼女は思う。
恥ずかしすぎて、焼け死にそう。だが、伝えたいのだ。何故なら、本心なのだから。話していたい。たまらなく話していたいのだから。
涼太は、急に向き直られた事に動揺してか、肩を小さく揺らす。そして、玲菜とまた真っ直ぐに向き合う。涼太の茶色の瞳に、玲菜の藍色に近い黒の瞳が映り込む。
「…………あ、え、っと」
「……ありが、と」
堪らず、涼太はまた目を背ける。当然だ。向き合えるわけが無い。せめて、礼を返すのが精一杯。
玲菜もまた、意を決した反動が来たからか、また頬を染める。
「……っ、ど、どういたしま、して?」
「…………」
「…………」
「……悪ぃ、俺少し、トイレ、いってくるわ」
「ふぇ、あ、い、行ってらっしゃい」
そうして涼太は、その気まずさが漂うペンチからトイレへと逃げ出した。
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