第4話 「初雪」
◇
「……なんだか、雨が降りそうだよね」
冷たい北風がまた、吹く。2人は橋の上の歩道を歩いている。
涼太のマフラーは揺れ、玲菜の前髪は軽くたなびく。「ううっ、寒ぅ………」とビクッと一瞬震えると、玲菜はセーラー服の制服の上に着込んだネイビーの色のダッフルコートのボタンを一つ閉めた。
「そうだね……」とその様子を見ながら涼太は玲菜の後ろで、彼女に聞こえるように呟く。
でも。もしかしたら、と。
「もしかしたら、雪が降るかもしれないね」と。
気付けば自らの口から、そんな言葉が零れていた事に、一瞬遅れたテンポで涼太は気付いた。
「……え?」と、玲奈は後ろを軽く振り返る。
「……あ、いや、今日は夜から雨が降るって予報で言ってたけど、もしかしたらこんだけ寒かったら、雪が降るんじゃないかな、って思ってさ」
自分の口が、少し早口になっていた。それを誤魔化そうとしてしまう自分が、自分で嫌になる。玲菜は涼太の方へ振り返り、目を瞬く。
すると、曇天の空を仰ぐ。彼女が空を見上げると、西の空から茜色が、微かに覗いていた。そのまま玲菜は「……そっかぁ」と呟く。
「……そうだね、降りそうだね」
何を発したのか、それがよく聞き取れなかった涼太は思わず「え?」と聞き返す。
「ん? あ、ううん。何でもないの」
その様子を見た玲菜は、そう言って再び微笑む────彼は、その笑顔を見て。
自分の中で、
説明が出来ないような何かに。
何かとてつもなく大きな何かに心が、強くつよく、鷲掴みされているのを感じた。
彼女の髪は風に揺れる度に、小さくたなびく。瞼の上の長いまつ毛も、同じ様に揺れている。
こんなにも、身を斬るような強く、冷たい風が吹いているというのに。なのに、どうしようもない程に、頬が熱い。
それが。
彼女に
涼太はたまらなく恥ずかしくて、出来ることならば、今すぐにでもたまらなく、顔を逸らしたくなる。
そんな涼太の様子に「? どうしたの、そんなボーッとして」と玲菜は小さく首をかしげてきた。
「────え、あ、いや」
「……さ、寒いよね。ココ。風当たるし」
「早く……渡っちゃおうよ、この橋」
そう言いながら、涼太はマフラーで顔の下半分を隠し、玲菜の前へと早足で歩みを進める。その時、自分の顔を見られることの無いように。
「……? うん、そうだね」と、玲菜はスカートの中の黒のスパッツを、スカート越しに引っ張り、今度は涼太の後ろ姿を見ながら、歩き出す。
「確かに寒いもんねぇ……女子ってこういう時、スカートの下に何も履けないの、イヤになっちゃうなぁ」
…………はい?
「き、急に何?」といきなりの玲菜のその発言に、涼太はひょうきんな声を上擦らせてしまう。
「ん? あ、そっか。水無瀬くん、男の子だもんねぇ。ゴメンね、変な事言って」
「な、なんかバカにしてないか……!?」
ふふふ、そんなことないよー、という声がすぐ背後から聞こえてくる。
玲菜はきっと今、まるでイタズラっ子のような、そんな笑みを浮かべているんだろうな、という事を思いながら、涼太は後ろを振り返らず、歩き続ける。振り向こうにも振り向けない。
「ねぇねぇ、水無瀬くん。さっきの雪の話、続き聞かせてよ」
「え? あ、あぁ……うん、もちろん」
「日向さ……日向は雪、好きなの?」
そういえば、玲菜は先程さん付けしなくて良いと言っていた事を思い出す。そうして、涼太は途中で呼び方を変えた。
「あ、さん付けしないで呼んでくれたね」と言う声はどこか甲高く、嬉しそうな声色に彼には感じられる。
涼太からは角度的にその仕草は見えなかったが、彼女が楽しそうにしている事だけは分かった。
「っていうか、嫌いな人なんてなかなか居ないと思うけどなぁ」
「いや……車乗りとか、一部の人には嫌われてるだろうね、きっと」
「どうして?」
「んー、だって凍ったら滑って転んだりして怪我する人も居るだろうし。渋滞とかも増えるし」
「車だってスリップしたりして危ないよ、きっと」
「……あー、言えてるかも」
そしてまた、玲菜はふふふと微笑む。
「でも、見て楽しむ限りだったら……雪の事を嫌う人なんて居ないよ、きっと」
「……そうだね、それは俺も、きっと同じだ」
「でしょー? 良かった!」
あっはは、と声高く彼女は笑いながら、涼太の隣へひょこっと現れる。
こんなににも、笑う子なんだ。彼は、何となくそんな事を思う。
だが唐突な距離の詰め方に涼太は動揺する。………近くないか?
そうして彼は玲菜に気付かれてしまわない程度に、本当に少しだけ、距離を置く。
そうでもしなければとてもではないが、涼太は彼女の隣を歩く事は出来ない。
距離が近くなった──まるで高貴な美しいピアノの音のような、透き通るような彼女の声。
それは頬を撫でる冷たい北風にそっと乗せられているかのように、空気上に響く。
涼太自身も、どこか微笑みを隠せない。自分でもそれが分かるのだ。余程だろう。
隣に玲菜が居るということが、彼には信じられなかった。いつも、見ていたのは後ろの席からの彼女の後ろ姿。
話した事なんて恐らく両指で足りるか足りないか程度の筈。
そんな彼女の顔など、直視する事は無論のこと、少なくとも今は出来そうになかった。
「………あ」と、その時、唐突に玲菜は空を見上げた。
「どうしたの、日向」
「……ゆき。ほら! 水無瀬くん、雪!」
「え?」
そんな馬鹿な。まさか───。
雪が本当に降っているのか確認したいのか、両手を出して、何かを掬うかのような仕草を始めた玲菜を横目に、涼太も空を仰ぐ。
すると、
彼女は掬うような仕草をした両の手を今度はやがて真横へと真っ直ぐに差し伸ばす。
そうして、唐突に身体を回し始めた。
さながら舞い散る木の葉の様に舞い「ふぁああ、雪だ雪だー!!」と無邪気にはしゃぐ。
その様子は
「……日向……」
────きっと、彼女のそんな姿は、見た事が無かったからだろう。
舞い踊る少女は余りにも楽しそうにあはははっ、とからっとした声で騒ぐ。
その姿を、ただ少年は静かに見つめた。
否、それこそ見蕩れるしかなかった。まるで────初めて彼女を知ったあの日のような、日向 玲菜のその姿に。
そして気が済んだのか、四回ほど舞踏したところで息をついてみせた。
緩ませた透き通る唇から漏れ出す白い息が目に見え、意気揚々とした頬には小さな汗が光る。そんな姿に、途端にどこか切なさすらも伺う。
また、胸が高鳴った。そんな彼女に再び、視線を奪われていく。
「………………」
彼女が視界を仰ぐ先には、少しずつ暗くなり始めている、厚い雲に覆われた空が広がっていた。
彼女が眺めている西の空へ、視界を一緒に向けてみる。雲の隙間から漏れていた茜色の光は、徐々に星のような藍色に染まりつつあった。
そして。その曇天の空からは───確かに。さながら涙を流すかのように。
チラチラと、粉雪が降り始めていた。
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