147.一方その頃、魔獣は主の願いに
鳥を収めるための、鳥かご。
今我らが収められているそれは、人が使う部屋一つほどの広さを持つ。据え付けられている場所がベンドル王帝宮、謁見の間であるのはなにかの嫌がらせであろうな。おそらくは、あの腹立たしい人間の。
「メティーオ」
我の名を優しく呼ぶ主もまた、我と同じく鳥かごの中の住人となっている。
いかなる魔力によるものか、ここにいる間は腹も空かず用を足すこともなく、何もせずに時間だけが過ぎていくのが分かる。
我が力を持ってしても破ることのできぬ鳥かごの中に収められ、我が主クジョーリカはただ淡々と時を過ごしていた。
否。
「そなたは、隙をついて逃げるが良い。シオンはそなたを神魔獣として世に戦を広げるつもりらしいが、妾はそのようなことをさせたくない」
「きゅう」
主の口からこぼれた言葉に、我は目を見張った。
南の地で出会った神獣や魔獣に教えられ、我は今猫と左程変わらぬ大きさの獣となっている。その背を撫でながら主は我に、主を放って逃げよと仰せになったのだ。いくら主の命であっても、それを受け入れるわけには行かぬ。
「妾は、このベンドルの長である。シオンのような愚か者をのさばらせたは、長たる妾の責任だ」
人の言葉を話せぬ我であるが、どうやら顔に出ていたらしい。主は一つため息をつくと、言葉を紡いでいかれる。
シオン、シオン・タキード。主をこの鳥かごに収めた人間、とても腹立たしい人間。
あれが愚かであるのはあれのせいだと我は考えるが、主はそうは考えておらぬ。そこがまた、腹立たしい。
「よって妾は、この地にて最期を迎えるのがふさわしかろう。だがメティーオ、そなたは違う」
主はこのまま、ここで生を終えるべきとお考えのようだ。しかし、それではあれを喜ばせるだけになりはしないか。
今、この都の外には多くの気配を感じる。都の民は当然だが、その外側。
かすかに見えたあの気配は間違いなく、我が
かの神獣と、それが主と崇める魔術師であれば主を救うことも叶うのではなかろうか。
「ゴルドーリアの軍がここまで来るのは、シオンの目論見どおりであろう。妾と彼らの生命をもって、この地に神魔獣を呼び起こすのがシオンの企てであるからな」
主も、どうやらかの者共がこの地にたどり着いたことに気づいているらしい。
……であればせめて、ご自身も無事に逃れる術をお考えいただきたいものだ。
「さすがに、術式を起こすときには結界にも綻びが出よう。その一瞬を見定めて、そなたはゴルドーリアに救いを求めよ。神獣殿であれば、即座に護りの結界をもってそなたを守るはずだ」
「きゅあ!」
白き神獣であれば、我が主ですら結界をもって護ってくれるはずだ。そう主張したいのに、我は人の言葉を話せない。
故に首を振り、主の袖に噛み付いてぐいぐい引くことしかできぬ。
「これ、わがままを言うでない。そなたをシオンの思い通りにするわけにはいかぬのだ、分かっておくれ」
主の手で撫でられる、額が気持ちいい。しかし、このわがままは通さねばならぬ。
主を持つ魔獣にとって、主を守ることは最大の使命である。我にとってそれは、我が命に代えてもベンドル王帝国の王帝クジョーリカを守る、そのことにほかならない。
……だが、もし我が命を落としたならば、かの愚か者は我が魂をも利用して神魔獣を呼び起こすだろう。
我は、どうすればよいのだろうか。
「……ゴルドーリアの食事は、美味であったな」
不意に、主の言葉の内容が変化した。
今は食事すら不要な環境であるが……確かに、南の屋敷で馳走になった肉は丁寧に処理された、食べやすいものであった。
我にとってはその程度の違いであるが、人にとってはもっと違いが顕著なのであろう。
下処理、保存、味、香り。
北の地に住まう民にとって南のそれらは、天にも昇る感覚であったことだろう。
「妾の生命をもって、ベンドルの民を受け入れてもらうことはできるだろうか。せめて、腹を美味いもので満たしてやりたい」
それらを主は、民にも味わわせたいと言う。同感ではあるが、南の民が何と言うだろうか。
ただでさえ都を移し、かつての都から民があちらこちらに移る事となった国だ。そこに加えて、飢えた民がなだれ込むことを彼らは快くは思うまい。
「せめて、耕せば作物が生まれる地をほんの少し、分けてくれるのならば妾の生命なぞ、安すぎるのう」
冷たく、鍬を食い込ませることも難しい地に育った主は、それをとてもとてもむずかしい願い事として言葉に紡ぐ。
領地の問題は、我には分からぬ。ただ、そのせいで人は互いに境目を作り、争ってきたことくらいは知っている。
故に、主の願いは難しい。
それもまた、理解することができる。
だが。
「メティーオよ。無事逃れることができれば、神獣様を通じてそのように願い出てはくれまいか」
先程の願いよりはまだ叶えること容易いであろう願いに、我は大きく頷くしかなかった。
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