91.一方その頃、大宰相は結論を出した

 『神なる水』の都寸前まで進軍したベンドル王帝国軍は、ゴルドーリア『偽王国』軍の前に敗退した。

 ほぼ壊滅状態となり、生存者もその大多数が捕虜として捕縛された。

 逃げ延びた僅かな兵士が現在、王帝陛下の進むべき道を護るため『偽王国』領内にて絶望的な戦を行っている。


「壊滅、か」


 以上の報告を受けて、ベンドル王帝国において王帝に次ぐ地位にある大宰相は呆れ果てた表情になった。

 ドヴェン辺境伯軍と交戦している部隊が不利であるのは、言うまでもなかった。何しろこちらは、正直に言えば囮であったからだ。

 大々的に戦を行い、『偽王国』の目をそちらに向けさせている間に神獣の出現したブラッド公爵領、そして王帝の偉大さにひれ伏したムッチェ伯爵領より進軍した部隊が『神なる水』のおわす都を奪還するという算段になっていたのだ。


「『偽王国』の分際で、どれほどの戦力を持っているのだ。そもそも、我が軍と魔獣使いの力をもってすれば都への凱旋は容易いはずではなかったか」


 あくまでも冷静な口調で、大宰相はこの報告を持ってきた配下に視線を戻す。びくりと震えた彼を、さすがに罰するつもりはないのだが。


「ど、どうやら、神獣が『偽王国』軍に助力したということのようでして……」


「……ふん。『偽王国』の守りをしていた神獣は、どうやら偽の神獣であったようだな。真の神獣であれば、王帝陛下の供となるはずだ」


 その言葉にどれほど本心を込めているのか、配下の兵士にはわからない。だが、王帝陛下と同じくこの大宰相の言葉はベンドル王帝国の民にとっては絶対のものであり、それに反論することは許されなかった。

 というよりも、王帝と大宰相の言葉を疑うという思考を彼らは持ち合わせていない。ただ、それだけのことだ。


「しかし、偽の神獣とは言え能力は高いようだな。これが『偽王国』側に加担したのが、我が軍の敗因と見てよかろう」


「は、はい。結界展開能力が飛び抜けて高く、しかも多数を同時に展開できるため人里への侵入が困難、とのことです」


「なるほど。それで、バックアップを叩き潰すこともこちらへ食料を供出させることもできなかったか」


 かなり、穴のある進軍計画ではあった。だが、偽の神獣が強力な結界を、しかも多数を同時に展開するという能力を持ち合わせていたがゆえの失敗だ、と大宰相は分析する。

 いくら強力な結界であっても、少数であればそこから漏れた人里を支配下に置き、そこを通じて食料調達や前線基地の設営もできた。

 いくら多数の結界であっても、力が弱いのであれば魔術師や魔獣の攻撃で破壊することができ、その場を占領することができた。

 そのどちらでもない強力な偽の神獣が、『偽王国』の守りとして存在している。


「ただ、どうやらその能力を持つのは一頭だけのようでございます。魔獣シークリッドの分体は確認されましたが、それ以外に敵軍が獣を使役したという情報は入っておりません」


「それなら良いが……そもそも、偽の神獣の能力を見くびっていたのはこちらだ。『偽王国』側にこれ以上の隠し玉があってもおかしくはないな」


「は、はっ」


 兵士の報告を否定するつもりはないが、だからといってそれ以上に何もないとは限らない。大宰相はそのことを指摘しただけなのだが、それにも兵士は怯えて這いつくばる。それほどまでの、権力の持ち主であるからだ。


「お前をどうこうするつもりはない。我らの敗北という報告書を携えてきた、その勇気と正直さを讃えよう」


「あ、ありがとう、ございます……っ、大宰相閣下!」


 その、黒衣の男が紡いだ言葉に兵士は両目を潤ませ、感謝の意を述べた。この男に讃えられた、それこそが彼らにとっては勲章とも言うべき偉業なのだから。


「今後については、すぐに結論を出す。それまで各部隊には出撃の準備を済ませ、待機と伝えよ」


「了解しました!」


 命令を出し、兵士を退室させる。たとえ既に出撃した部隊が敗北したとしても、ベンドル王帝国がこのまま引き下がるわけにはいかないのだった。

 ほぼ全ての国民を兵士として各部隊に配属し、諸外国を敵とする教育を施した。世界に君臨すべきはベンドル王帝国であり、そのために己の生命を捨てることも辞さないように、民を育てた。

 間諜として入り込んできた敵兵たちは全て捕らえ、情報を引きずり出した後に洗脳とも言える教育を詰め込んだ。その過程でほとんどの敵は生命を落としたが、僅かに残った者たちは心の底から王帝陛下に従う尖兵と化している。

 それらの兵士たちをもってしても、『偽の神獣』の能力には敵わなかった。そうすると、こちらが打てる策には限りがある。


「かくなる上は、王帝陛下のお出ましを願うほかあるまい。陛下と神魔獣のお力をもって、『偽の神獣』を跪かせる」


 一人残った室内で、大宰相はその策を言葉にして紡ぐ。どうせ誰も聞いてはいないし、もし聞いた者があったとしてもその生命は即座に吸い取られる。兵士が出ていき扉が閉じられた瞬間、この部屋はそう言った結界に包まれたのだから。


「愚かな民共が王帝陛下のご意向に従わぬのであれば、もはや最大の力をもって制することもやむをえまい。王帝陛下には凱旋ということでお出ましいただき、神魔獣の一声をもってその道を開いていただこう」


 ベンドル王帝国大宰相シオン・タキードはうっすらと目を細め、その口元に笑みを浮かべる。

 事実上、この国の頂点に立つ男は自身が動かせる全てを動かす、今の瞬間にそう決意していた。

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