86.さかいめ

 十五分程、リコリス様とジェンダさんはテムを堪能した。まあ、気持ちは分かる。


「……こほん。お恥ずかしいところをお見せしてしまい、大変失礼いたしました」


 そうしてやっとのことで意識を現実に戻してきたリコリス様は、耳まで真っ赤になりながら俺たちに頭を下げた。

 ジェンダさんはこれまたどこから取り出したのか、衣服用のブラシでリコリス様の服を撫でている。ほら、猫の毛って付きやすいからさ。


「我は満足しておるぞ」


「神獣様もこうおっしゃってますし、ご心配なく」


 すっかり毛並みつやつやのテムが上機嫌なので、サファード様はそう答えられた。

 あーまー、テムって王城地下から出てきてから結構人に構われるようになってるしな。というか、これまであんまり経験のなかった『人に撫でられる』『毛づくろいしてもらう』『美味しいご飯食べる』など諸々を存分に楽しんでるようだ。

 ……いや、俺何だかんだで全部やってたなあ。やはり、青い空の下でやるのとは違うかな。王城地下って閉鎖空間だし。


「ところで。ドヴェン嬢」


 ひとまず、話の方向を戻そう。サファード様のお言葉は、そのつもりで発せられたに違いない。というか、そうでもしないと話進まないし。


「僕たちをこちらに呼ばれた理由を、お話しいただけますか」


「はい。内密にお願いしたいのですが……ああ、リコリスとお呼びくださいませ。ブラッド様」


「では、僕もサファードでお願いします。キャスバート君も、それで構いませんよね?」


「ええ、それはもちろんです。今後も問題なく、名前でお呼びくださいね。ランディス殿」


「ありがとうございます、リコリス様。あ、キャスバートで問題ないです」


 名前で呼んで良い、という許可が出たのでありがたくそう呼ばせてもらおう。この辺、貴族は面倒くさいところは面倒くさいらしい。

 うっかり名前呼んで怒られないのは俺の場合、基本的に身内周りくらいかな。というかブラッド公爵家の面々、特にセオドラ様は「親戚なんだから名前でいいじゃないの」とかおっしゃってたことがある。

 ……テムは問題外。神獣なので、ぶっちゃけ国王陛下を呼び捨てにしても構わない存在である。今、猫だけど。


「さて、内密ということであればキャスバート君、得意ですよね」


 と、サファード様がこちらをちらりと伺ってきた。ああはいはい、念のためですよね了解です。


「おまかせを。認識阻害結界、タイプ音声」


 範囲はこの部屋でいいか、と考えつつさっと結界を張る。外から聞き耳を立てても聞こえないか、せいぜい毒にも薬にもならない話にしか聞こえないようにする、割と単純な結界。

 単純で軽微な影響なので魔術師以外にはあんまり気づかれない結界なんだけれど、リコリス様とジェンダさんがはっと目を見張った。ああ、二人とも分かるんだ。さすが辺境伯家のお嬢様と、そのお付きメイドさんだ。


「……今の詠唱だけで、この結界を?」


「『ランディスブランド』の誉れであり、神獣様直々に結界を学んだ魔術師ですからね。自分のことではありませんが、鼻が高いですよ」


 結界を張ったから周囲に気を使わずに発言していいのに、リコリス様もサファード様も何というか言葉を飛ばしたりひねったものの言い方をしたりする。別に貴族だからそういう物言い、というわけではないんだろうな。多分この二人では、普通に通じてるんだ。

 それに、大したことないと思うんだ。何しろテムなら。


「テムなら、詠唱無しで展開できるんですけれどね」


『基準が違います』


「はいすみません」


 ジェンダさん含めて三人から同時に同じ言葉を言われて、思わず頭を下げた。そうだよな、テムと比べちゃだめだよな。

 なお、当のテムはのんびりと俺たちの足元でくつろいでいる。いやまあ、ジェンダさん以外全員一人がけのソファに腰を下ろしてるんだし、膝に乗ってても誰も文句は言わない……が、多分話が進まない。


「それで、どういったご用件ですか?」


「はい。此度のベンドルの侵攻に関してですが、以前から予兆はございました。わがドヴェン家はベンドルと境を接する場所に領地を持つ家ですから、そう言った情報は流れてくるんです」


 サファード様に促されて、リコリス様がお話を始めた。やっぱりというか、ベンドル絡みか。

 いや、数日前まで侵入してきた敵部隊と戦闘やってたわけだし、そもそもドヴェン辺境伯領とブラッド公爵領は彼らの領域に接した位置にあるもんな。その双方の、領主家の者同士が顔を合わせて話をするんだから、そりゃそこらへんになるか。


「ブラッド公爵領もベンドルとは隣接しておりますが、こちらにはあまり入ってきませんでしたね。山を越えるのが大変だったんでしょう」


「そうですね」


 で、国境沿いにある二つの領地の違いはというと、国境付近の環境だ。

 ブラッド公爵領との境目は山。かなりの距離にわたって、いくつもの山がベンドルとの境目を作っている……ので、人の行き来もほとんどない。だからベンドルの連中、まずは獣を操ってこちらにちょっかいかけてきたんだろうけどね。

 対してドヴェン辺境伯領は、山の切れ目の谷、というか平地。つまり川も流れているんだけど、その川は水温が低すぎてまあ泳がないよね、泳いだら死ぬよね、という。で、辺境伯領側でその平地に大きな城壁を築き、向こう側を監視しているわけだ。

 ……もうひとつ、今回ベンドル軍が越境してきたルートである、ムッチェ伯爵領。国境にあるのは湿原で、凍らないらしい。詳しいことは知らないけれど、温泉でも湧いているんだろうなあ。ただ、ものすごく歩きにくいよな。よく越えてきたなベンドル軍。


「我が父、辺境伯家当主ザムスは彼らの動きとその後を推測し、王城に何度も奏上文を提出しておりました。ベンドルの動きに先んじ、こちらより軍を派遣するべきであると」


 そんな事を考えていた俺の耳に届いたリコリス様のお言葉は、俺の目を丸くするのに十分だった。

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