63.一方その頃、辺境伯夫妻は敵を見下ろす

 ゴルドーリア王国最北部、ドヴェン辺境伯領。

 ベンドル王帝国との国境には高い城壁がそびえ立っており、その上には現在陣が敷かれている。

 壁の下に布陣し、投石機や空を飛ぶ魔獣によってこの壁を攻略せんと図るベンドル軍を相手に回し、領主ザムス・ドヴェンを長とする辺境伯軍は……


「むはははは! この俺様の軍に、勝てるとでも思うたかああ!」


『おおおおお!』


 ……大変楽しそうに、大暴れしていた。

 城壁には投石機による破損がいくらか見えているのだが、それ以上にその下……雪原には岩の落下した痕やその残骸、そうして多くの骸が散らばっている。城壁の上から、投石機で岩を撃ち返した証だ。


「あなた、落ち着きなさいな」


「わ、分かっておる」


 それを城壁の最上部から見下ろして高笑いしていた辺境伯家の当主は、その隣に立っている長身の女性に鉄扇で叩かれてやっと笑うことをやめた。

 ザムス・ドヴェンは通常の人の一・五倍はあろうかという身長に見合う筋肉質の体格に、ノースグリズリーを始めとする獣や魔獣の革を加工して造られた鎧をまとう漆黒の偉丈夫である。

 その当主の頭をひっぱたくことができるのは世界広しと言えど、ザムスの顔を照れで赤くすることができる彼の妻ドリステリアのみであった。彼女もまた、夫と揃いの鎧を装着して戦場に佇んでいる。


「我が先祖は突貫しすぎたために、ベンドルの愚か者共に首を取られたのだ。これでも俺様は、落ち着いておるほうだぞ?」


「確かに、お義父上に比べればおとなしい方でいらっしゃいますが」


 数多く降り掛かってきた小型の鳥魔獣をザムスは剣で、ドリステリアは鉄扇で見事に切り裂く。ばらばらに散らばる肉と羽が戦場に降り注ぎ味方には力を、敵には恐怖を与えた。


「と言いますか、あなた。『面倒事が増えた』というリコリスに持たせた伝言の意味、お相手様はきっとあなたのお考えと違う意味に取っておいでですわよ?」


「む」


 この戦場にいない、ドヴェン家の者は数名いる。領地の都にて父の代わりに政務に励む長男ラッシュ、他家に嫁ぎ物資面で実家を支える次女シルフィータ、そして旧王都にいるかつての婚約者に約定の破棄を突きつけに行った末娘リコリス。

 ガンドル侯爵家が『力を持つ家に王家への反感を持たせないため』にドヴェン辺境伯家と結んだ婚約であったが、そもそもザムスを始めとしたドヴェン家には王家に反感など持ってはいない。

 先祖の首を取ったベンドルとの国境に領地を構え、何事かが起きれば遠慮なく戦って良いという許しを得ているのになぜ、反感なぞ持たねばならんのだ。そう、ザムスもドリステリアも考えている。

 そうして起きた『何事か』を、ザムスは面倒事とリコリスに伝えた。そちらに忙しく、ヘマをやらかしたガンドル家にかまっている暇はないので約束を叩き切ってこい、と末娘を送り出したのだが。


「……そういえば、面倒事と言えばそのまま面倒なこと、と取るのであったか」


「普通はそうです。殴れる敵が現れたことを面倒、とは申しません」


 いや、それはそれで面倒だろう。敵と戦うのだから。

 すぐそばにいる護衛の兵士たちは、皆そう考えたに違いない。だが、ドヴェン家にとって『面倒』とは、違う意味を持っていた。


「殴っていいのかどうか問い合わせるのが面倒、なのだが」


「国境を越えて入り込もうとしている敵を殴って、何が悪いのですか。それこそドヴェン辺境伯家のお役目でしょう」


「クソ宰相は、それでも問い合わせろと抜かしたことがあってな。陛下や他の偉いさんに、緊急事態にそのような時間があるか馬鹿者と怒鳴られておったわけだが」


 曲がりなりにも国内第二の権力を持っていた元宰相ジェイク・ガンドル、末娘の婚約相手が属する家の当主だった男をザムスはクソと呼ぶ。その手をひらりと返し、投石機によって岩の雨を遠くに見える敵本陣に降らせる命令を出しながら。


「栄光ある『神なる水』を護るお役目につかれた元、クソ宰相殿ですわね。もう権力などございませんから、お気になさらず」


 閉じた鉄扇で敵陣を指し示し、穴が空いたことを知らせるドリステリア。即座に城壁を駆け下りていく数匹のリスは、伝令用の魔獣であろう。


「おかげで遠慮なく、馬鹿甥との婚約も潰せたしな。リコリスも気が晴れ晴れとしたことだろう」


「ジェンダもつけておりますから、まず身の危険もないでしょうし」


 少なくとも、当主夫妻がのんきな会話をかわせている程度にはドヴェン辺境伯軍は優勢である。もっとも、ここだけが戦場……というかベンドル軍の進路でないことは、彼らはよく知っているのだが。


「ジェンダ以外にもつけておるだろう?」


「当然ですわ。火炎魔術、扇の舞」


 自身の末娘を、ただメイド一人だけをつけて旧い王都に出すわけはない。必死に壁を登ってきた狼型の魔獣の口に剣をぶっ刺したザムスにとっても、開いた鉄扇に灼熱の炎をともしたドリステリアにとっても、それは当然のことであった。


「まあいい。こちらで激しく暴れておれば、ベンドルの王帝は尻尾を巻いて逃げ出すかブラッドの若造を狙いに行くかだ」


「そうですわねえ。どちらにしろ、私たちにはお鉢は回ってこない、と」


「案ずるな。あの旗印を焼き捨ててやれば、先祖の恨みは晴らせるからな」


 少しだけつまらなそうな顔をしたドリステリアに対し、ザムスは白い歯をむき出して笑いながら遠く、敵本陣の後ろに姿を現した援軍に剣の切っ先を向ける。

 そこにかすかに見えた旗印は、間違いなくザムスの先祖の首を落とした家の者であった。何しろ、その先祖の首を取り返すついでに相手の首を取ってきた先祖の息子が、そのときに持ち帰った印を今でも『敵の印』として保管してあるのだから。

 もっとも、相手の家にとってもドヴェン辺境伯家は先祖の敵、ということになるか。

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